多賀城跡―歴史雑感〔104〕―

 2026年7月22日(水)午前、多賀城跡(宮城県多賀城市)を訪れました。最寄り駅はJR東北本線(仙石東北ライン)国府多賀城駅から徒歩約10分です。

 軍事拠点として塩釜丘陵上に設置し、平時には陸奥国の国府として機能しました。神亀元年(724)に按察使大野東人が築城したとされます。8世紀初めから11世紀半の焼失まで存続しました。この間大きく4回の造営が行なわれました。

 写真1は、駅西隣の館前遺跡です。60棟の掘立柱建物があり、1棟は四面に廂が付いており国司館と想像されています。この下から通を越えて案内に沿っていくと多賀城跡に至ります。

 写真2は、城を囲む南側の築地塀跡です

 写真3は、多賀城南門手前の東窪みにある多賀城碑(国宝)です。10行140字の前半部は京から多賀城までの距離が記載されて、後半は神亀元年に碑が設置され、天平宝字6年(762)に藤原恵美朝臣朝獦が修造したとし、最後に年月日が記載されている。

 写真4は、碑の後半部分で、「天平寶字十二月一日」、と見えています。

 写真5は、多賀城南門(復元)です。

 写真6は、北の政庁に向う政庁南大路です。8世紀のⅡ期の復元で約幅13mです。東の建物群は城前官衙群です。

 写真7は、南大路の排水暗渠枡で西側に排水します。

 更に上ると東側に城前官衙群あり、写真8は、その一つの官衙主屋(復元)です。

 大路の東西には床張り建物があり、写真9は、この復元です。

 写真10は、政庁東殿跡です。Ⅱ期の建物で

写真11は、政庁から南門を見下ろしたものです。

写真12は、礎石式の四面廂付建物で、南は石敷の広場となっていました。現在は基壇のみを復元して一部の礎石は当時の実物です。一片約100mの築地塀で囲まれていました。

写真13は、同じく政庁正殿跡です。

最後の写真14は、多賀城見学コースを示す案内です。

(2026.09.24)

不明 のアバター

About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
カテゴリー: 日本古代・中世史 パーマリンク

コメントを残す