文殊坊―成都雑感〔31〕―

 

成都市の古刹として知られる文殊院の周辺は昨年より再開発がなされていました。その第1期工事の完成により、10月1日、生まれ変わった古街としてオープンしました(完成は2010年の予定)。青羊宮東の琴台路・武侯祠の錦里に次ぐものです。今回は少し遅くなりましたが、この古街「文殊坊」を紹介します。

文殊院歴史文化保護区(総計画面積約26ha)は東を北大街・草市街、南を白家塘街・通順橋街、西を人民中路三段、北を大安西路に囲まれたところです。そのほぼ西北部に位置する文殊院の東・南側に文殊坊が広がります。ここには老川西(四川省西部)建築が再現され、食事・民芸品・工芸品などの店や露店が並び、この実演も披露しますし、縁日も開催されます。それに麻雀・茶文化などのコーナーもあります。

写真1は人民中路から文殊院山門に通じる文殊院街に建てられた文殊坊の牌楼です。この地区の入口に当たります。文殊院街に入り、文殊院山門を過ぎて少し行くと、右(南)に西岳巷の道があります。この辺りには小吃の店が並んでいます。この道に入り歩くと、左(東)への道があります。これが民芸品の店が並んでいる南岳巷です。

Unicode

写真2は南岳巷の中央から西へと撮ったものです。この道を東へ歩くと東岳巷に突き当たります。その東には工芸品の店が並びます。道を左に取り、東岳巷を北に進むと、文殊院街から続く五岳宮街に突き当たります。東岳巷から右(東)に五岳宮街を少し進むと十字路に出ます。左(北)へ頭福街へと道をとって歩くと、丁字路に突き当たります。そこを右(東)に曲がると、「消え去る木造民家―成都雑感〔5〕―」(2005年6月11日付)で紹介した西珠市街です。

Unicode

西珠市街を進むと、写真3の観華青年旅舎(http://www.gogosc.com/house_jp.asp)が道路の左(北)にあります。大通りである北大街の手前です。ここはシンガポール人・日本人夫妻が2004年に始めたゲストハウスです。写真に見るように、旧来の民家を改造してゲストハウスにしたものです。宿泊費は15元(ドミトリー)から200元(ファミリータイプ・ツィン)となっています。なお、写真の入口左に見えるのが、併設されている旅行社のデスクで、チベット行きをはじめ各種のツァーや切符手配が出来ますし、ゲストハウスの日本語が分かる人が必要に応じ通訳をしてくれます。

Unicode

観華青年旅舎から道を戻り、頭福街を南に下ると、右(西)への道があります。これが老成都会館です。写真4は、これを通って、丁字路の手前で東へと老成都会館を撮ったものです。道左奥に老成都民居の門が見えており、これは成都の清代末・民国初の民家(府院建築)を再現したものです。家屋内部が公開されて、家具なども再現して往事の様子が分かるようにしています。また、写真奥の方にコンクリート建てのアパートが見えますが、これは頭福街の旧前からものです。注意してご覧になれば分かりますが、実はコンクリートの外壁の外に、この地区と景観をあわせるために同色の装飾が付けられました。ここはそのまま旧来からの住民が住んで生活しています。

Unicode

丁字路を左(南)に文殊院巷(右―西側に文殊院の赤の塀が続く)を歩くと、五岳宮街にぶつかります。ここから東へと五岳宮街を撮ったのが写真5です。ゴミ箱も木製で景観にとけ込むようにしていることがお分かりでしょう。また歩行者専用となっています。しかし写真のように自転車は規制されていません。これは文殊院街・五岳宮街が旧来から生活道路として活用されているためではないからかと思います。なお、五岳宮地下には駐車場が設置されて、老成都会館側から入れます。以上で、文殊坊は終わりです。

Unicode

ところで、文殊院(入場料5元)は唐代大業年間(605~17年)に創建されたと伝える成都でもっとも古い古刹です。明末に焼失破壊され、清代前期の1697(康煕36)年に再建され、その後増改築されて、現在の規模になったのは清後期の19世紀前期です。敷地面積は5.7ha強と広く、境内は都会の真ん中にもかかわらず静粛です。写真6は1991年に建立された高さ21mの鉄製の千仏和平塔です。名前の通り外壁に1000体の仏像がはめられています。

Unicode

写真7は中国の寺院の中心である大雄宝殿(金堂)です。殿内には釈迦牟尼仏が安置されています。

Unicode

写真8は山門を入った最初の建物、三大士殿に掲示してある文殊院案内図です。このように、境内には仏閣をはじめ、庭園や茶園(茶座)・精進料理レストランがあり、ゆったりと時間を過ごせます。茶は5元からです。麻雀好きの成都人ですが、ここでは麻雀をする人は見かけませんでした。これは机が狭いためかも知れません。なお、本院のトイレは大の方が中国式ですが、すべてTOTO製のを使用しており、もちろん個室でレベルの高いものです。この点からも、成都市が国際的な観光都市を目指していることがうかがえます。

Unicode

最後に文殊坊の最寄りのバス停は人民中路側が万福橋站(16・55・75・99路)で、北大街側が市政府政務中心〔草市街〕站(1・18・302・902路)です。

(2006.12.10)

追記  上記で紹介しました観華青年旅舎は、2007年12月、再開発に伴い、全面的に―一環路北四段211号―に移転し、「観華花園青年旅舎」となりました。詳しくは旅舎の上記のWebサイトをご覧ください。新旅舎は一環路北四段と三友路・馬鞍路との交差点の一環路(西)より50mのところです。旧旅舎から見ると、北東約1.5km余といった位置です。(2007年12月24日)

追記2 昨年5月1日にオープンした麻雀博物館(白雲寺 五岳宮街・頭福街の十字路東南角)は久しく開いていませんでしたが、本日見たところ開館していました。入場料は30元です。(2009年3月10日)

〔追記〕フォトアルバム「成都・観光(文殊坊・天府広場)」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpINAp2n8wxGOm7GBAです。

(2011.10.01)

カテゴリー: 観光(成都) | 7件のコメント

成都担担麵・総店―成都雑感〔30〕―

 成都は四川料理の本場ですが、同時に各種の小吃(本来的には小腹を満たす軽食)でも知られています。夫妻肺片・鐘水餃・龍抄手・頼湯元などがその代表です。東大街にある成都小吃城はこの成都小吃をセットメニュー(20種・20元から)で食べさせる専門店で、いわば前菜からデザートまでの小吃フルコースとなっています。

 今回は写真1に見える、天府成都麗都喜来登(シェラトン)飯店の対面の「成都担担麵・総店」(人民中路一段30号)を紹介します。本店は名前のように正統な成都の担担麵の店です。現在、人民路は地下鉄1号線建設工事中(2010年完成予定)で、16路などのバスは迂回路(順城大街)を走っていますから、西玉龍街站(陳麻婆豆腐店前)がもっとも近いバス停になります。

061125成都担担麵総店 002

 写真2はこの担担麵です。写真のように小椀(50g・2.5元)です。右の椀が運ばれてきたときのものです。左の椀が中身をかき混ぜた後のものです。

061125成都担担麵総店 004

 写真3は、これを食し終わる寸前の状態です。以上見れば分かるように、一般に日本で見るスープいっぱいの担担麵とは、成都担担麵は異にします。

061125成都担担麵総店 007

成都担担麵は、清末の19世紀の中頃、自貢(成都市から高速道路で南に約200㎞で、塩と恐竜博物館で知られています)出身の陳包包が天秤棒に鍋と材料をぶら下げて街を流して歩き、その場で暖めて調理して売り出したのが発祥とされています。その後これが広まり、各地へ拡大し、現在のように店を構えるようになりました。

 したがいまして、成都担担麵はたれの上にゆでた麵を入れ、その上に調理した豚ミンチを載せてくるのです。このたれは、四川料理に違わず、辣椒油をベースとした辛いものですが、醤油・芝麻油・香油(ごま油)・川東菜(大芥菜を塩漬け・発酵して天日乾燥させたもの)などが入って味を決めています。日本のラーメンとは異なり、麵は鹹水を使用せず、いわばうどんに似た感じの中太麵です。そこで、食するときにはたれを麵にからませる必要があるので、まず麵・豚ミンチ・たれを十分にかき混ぜなければなりません。すなわち写真2の左の椀のようになるわけです。そして、麵を食べ終えると、写真3のように、四川料理の辛さの証明である赤油が椀にわずか残るわけです。なお、写真でお分かりのように、たれには青細ネギのみじん切りが入っています。

 この店は担担麵をはじめ、各種の麺類・沙鍋などもあり、いろいろ楽しめます。

 担担麵を昼食としてとった後、以前紹介した近くの「白果園茶館(茶座)」(2005年10月20日付)に行き、ゆったりと茶(菊花茶5元)を喫しながら撮ったのが写真4です。銀杏の古木(成都市の保護木)が黄色くなっているのがお分かりでしょう。しかし、まだ完全ではありません。成都市の気温はほぼ東京都と同じですから、もっと黄色のはずですが、今年の10月は平均気温が例年より2度以上も高かったという、暖かい年でした。確かに、10月半ばでも上着は不要でした。このせいか、銀杏の黄色への変身も遅れているのでしょう。

Unicode

(2006.11.26)

〔追記〕  2011年3月現在、担担麺(1両)4元となっています。(2011.03.05)

カテゴリー: 食事 | 4件のコメント

成都市大学生就職招聘会―成都雑感〔29〕―

 来年6月の新卒予定者の就職シーズンが本格的に始まりました。17日(金)、西南交通大学では、九里堤・犀浦両キャンパスで来年卒業予定の大学生・院生を対象に合同就職面接会が開催され、4年生は休講になりました。このために各地から求人企業が人員を派遣してきました。また、すでに個別の企業も出張して面接会を開いております。この中には、日本語学科も関係する日系企業として、トヨタ・ホンダ・松下もありました。さらに、卒業生をリクエーターとして出張させる企業もあります。

 このように、就職戦線の火ぶたは切られているのです。もちろん、大学に来る求人企業から就職先を選ぶのが基本です。これ以外に、北京市や上海市はもちろん、各省でも省都を中心に就職招聘会を開きます。これも学生が就職先を選ぶ有力な手段となるわけです。とりわけ、大学内での就職面接会などをえられない非有力校の学生にとっては重要な機会になります。

 成都市においても、この土日の1819日の両日、「四川・成都市2007年大中専畢業生、畢業研究生供需洽談会曁冬季大型招聘会」(四川省・成都市2007年大学専門学校卒業生・卒業大学院生需給懇談会・冬季大型招聘会)が催されました。写真は、会場となった、西南交大近くの沙湾路の成都国際会展中心(成都国際会議展覧センター)2号館の入口風景です。会場上には上記の横断幕が張られ、大勢の学生が集ってくる様子が見えます。

Unicode

 写真2内部で、上海市の大学関係の集ったブースです。上海市歓迎の横断幕が見えます。これら大学教員の招聘条件を見ると、80年代には学部卒でも教員に採用されたのと異にし、社会・人文系の一部が修士号であるのを除けば、博士号が要求されています。基本的に上海の大学の要求が博士号であることが分かります。この点に関して、以前には博士号取得の帰国留学生(海亀族)は各種の優遇措置があり、その帰国を促したものですが、現在では単に博士号取得だけでは大学・研究機関への就職がフリーパスとは如何ないようです。Unicode

 写真3は、更に内部に入ったところで、会場上に「熱烈祝賀中国大学生就業網開通」の横断幕が掲げてあり、就職関係のWebサイトの宣伝となっています。このように、中国でもインターネットが有力な就職活動手段になっているのです。とにかく会場は人人で、歩くにも困難ほど学生で溢れかえっていました。トイレ数が足りないのか、男女とも50人以上が列をなしてトイレ待ちの状態です。

Unicode

 写真4は、会場外正面にある、参加企業とブース番号を示した掲示です。過半は成都市の企業ですが、少数とはいえ、上海市を中心に、北京市・山東省・江蘇省・浙江省・福建省・広東省等の企業も参加しており、全国からの就職招聘会となっています。

Unicode

 以上写真でも見るように、会場は学生ですし詰め状態で、会展中心バス停に着くバスからは学生達がはき出され、会場へと続々と歩いてきますし、タクシーで乗り付ける学生もいます。どうしてこんなに学生が集るのでしょうか。経済の回復に伴い、日本での大学生の就職事情が超氷河期を脱し、好転しているのに引き替え、高度成長中にもかかわらず、中国での大学生の就職事情は最悪の就職難を迎えようとしているのです。今年7月の卒業予定学生へのアンケート調査によれば、就職決定・内定との回答は49.8%しかなく、なんと半分の学生は就職先が未定なのです。当然、学生は就職に必死なのです。

 ではどうして中国の大学生の就職戦線が超氷河期なのでしょうか。簡単にいえば、90年代末に始まった高等教育拡大策のスピードが経済成長のそれよりも極めて速いということです。求人の伸びに倍増する大学生の増加がここ数年続くことで、完全に供給を需要が上回った、需給間のバランスが需要過多になったことによるのです。

 翻って、文化大革命以前の560年代の卒業大学生数は10万人を越える程度で、同年齢層の1%を占めるに過ぎない、文字通り選ばれたエリートでした。この時期の就職は、計画経済体制に基づき、「分配」と呼ばれるもので、国家が求人企業と学生間に入って、調整・分配、すなわち人事当局が求人を各大学に割り振り、それを大学当局などが個々の学生に割り当てるものでした。当然ながら、学生の希望通りになることはごく少数でした。それを拒否すれば、即失業ですから、希望にかかわらず学生は割り当てられた就職先に向かいました。北京市の学生でも遠い地方に行くのは当たり前でした。例えば、現国務院総理温家宝氏は北京地質学院大学院地質構造専攻を1968年に卒業しましたが、同年北京より西に1000㎞以上もある甘粛省地質局の測量技術員として赴任しました。

 1978年に大学が再開され、経済開放となり、大学も拡張していきました。80年代末の卒業学生総数(院生・本科=学部・専科=短大相当)は58万に達しました。それでも同年齢層の3%を占めるに過ぎず、まだまだエリートでした。それに、就職方式の基本が分配であることは変わりませんでした。80年代半ば、一部の名門校で、「双選」と呼ばれる新方式が試験的に実施されました。これは大学に割り当てられた大型国有企業の求人(この一部)を自由に学生に選択させ、企業と学生間で直接(面談)決定させるものです。ここで初めて学生が就職先を選択する余地が出来たのです。

 1992年の鄧小平の南巡講話により経済開放が加速され、本格的な経済開放と高度成長期に入りました。大学も開放の期に入り、試験的な「双選」も拡大され、学生の選択の余地が広がりました。卒業学生数も着実に増加し、1997年には82.9万人(4.8%)に達し、エリートから大衆化への道を進みます。90年代後期、分配は完全に廃止され、企業と学生が自由に双方で選択することが出来るようになりました。

 1999年、中国は高等教育拡大政策を実施し、これ以降各大学は負けじと拡大に走ります。2002年の卒業生133.7万人(13.8%)が、2003年には187.7万人(17%)と、以前の伸び率10%以下だったのが、なんと40%以上も増加したのです。これ以降も、2004239.1万人(20.3%)、2005306.8万人、2006413万人と、年率20%強以上という急拡大なのです。まさしく、中国の高等教育は大衆化の時代に入ったのです。

 これでは、如何に経済が高度成長しているとはいえ、卒業生の伸びに求人数が追いつけるはずがありません。まさに、「大学を卒業したけれど」の時代に入ってきたのです。

(2006.11.18)

カテゴリー: 教育 | 8件のコメント

901路「成都観光」オープン二階建てバス―成都雑感〔28〕―

 11月、成都市内バスに新たな観光路線が生まれました。901路の成都旅游集散中心站(旧新南門バスステーション)~金沙遺址站(バス停)と902路の成都旅游集散中心站~熊猫(パンダ)生態公園站との二つです。

 今回は初めてのオープン二階建てバス(成都市製造)を走らせた901路を紹介します。

 バス停(経路)は次の通りです。成都旅游集散中心站~春熙路南口站〔東大街〕~塩市口站~要都〔南郊〕~武侯祠站~人民公園站〔小南街北〕~支磯石站~琴台路〔通恵門〕~青羊宮站~古玩(骨董)市場站〔送仙橋〕~杜甫草堂站〔草堂寺〕~金沙車站~金沙遺址站の20㎞です。以上、武侯祠・青羊宮・杜甫草堂・金沙遺址博物館(12月開館予定)の市内主要観光地と春熙路・塩市口の中心商業街とを巡っています。

 運賃は3元で、一日乗車券(5回まで乗車可能)10元もあります。始発は成都旅游集散中心站が8時半、金沙遺址站が9時45分で、終車は成都旅游集散中心站が18時、金沙遺址站が18時半となっています。この間、20便が出ます。所要時間は54分程度となっています。

 では、901路の一端を写真でお見せします。写真1は金沙遺址站前でのバス全景です。二階建てバスで、2階部がオープンになっていることがお分かりでしょう。車体2階の前部に四川省のシンボルのパンダのイラストが描かれています。また、車体後部に大きく描かれているのが金沙遺跡出土の代表的遺物「太陽神鳥」です。なお、バス後方が博物館入口です。

061111 901路「観光旅游」オープン二階建てバス・金沙遺址站

 写真2はその2階部(40席)を後方座席から撮ったものです。右に黄色のカバー(雨天用)が掛けてあるところが階段です。旧来の二階建てバスとことなり、階段は前方部の右側にあります。この一体は住宅街として開発された(金沙遺跡は開発工事中の2001年に発見)ところで、まだ開発途上です。また、右の博物館と対面した道路左側の2階建ては商店・レストランなどが入る予定でしょうが、現時点では無人です。

061113 901路「観光旅游」オープン二階建てバス・二階部

 写真3は車中より見た武侯祠入口です。先頭部座席より撮りました。黄色の保護棒が前面ガラスに反射して映り混んでいるのがお分かりでしょう。

061113 901路「観光旅游」オープン二階建てバス・武侯祠

 写真4は成都市のへそともいう天府広場です。中央右に小さく白く見えるのが毛沢東像です。現在、広場はご覧のように工事中です。これは1号地下鉄線の駅(将来、2号線とのターミナルに)と地下商店街建設のものです。車内には若い女性の車掌が乗車しており、車内案内として、バス停ごとに観光案内をしており(もちろん中国語)、それにバス停の英語録音案内もあり(最近、一部の市内路線ではバス停の英語録音案内が)、観光路線であることをアピールしています。

Unicode

 写真5は1階降車口左より前方部を撮ったものです。1階は窓が密閉ですから、エアコン付です。それにご覧のようにデジタルモバイル液晶テレビ付です。これは非エアコン車にも入り、市内主要路線から郊外路線にも広がり、ごく普通のものとなりました。また、座席は2階と異なりクッション付のものです(2階はおそらく雨などで濡れることを考慮しているのでしょう)。

Unicode

 最後の写真6は成都旅游集散中心站を発車するバス全景です。後方に見えるのが902路のバスです。運賃は2元です。赤の上着を着ている人々はこの観光路線の係員で、運転手・車掌も同じ上着を着ており、共通の制服です。なお、バス停の後方に見える建物が交通飯店です。すなわち、901・902路の成都旅游集散中心站は交通飯店の入口のところ、川岸に位置しているのです。

061113 901路「観光旅游」オープン二階建てバス・成都旅游集散中心(新南門)站

 以上ですが、写真1のみが11日(土)に撮ったもので、他は13日(月)のものです。実は11日に乗車しようとしたのですが、休日のためか、子供連れの家族も多く(中にはマイカーで来る組もありました)、2階席は満席となり、乗車はせずに、この日はバス外観を撮ることにしたのです。そして、休日を避け、13日(月)の昼間に乗車して、バス内部と車中風景を撮ったのです。いずれの日も客は成都市民のようで、観光客らしき人は見かけませんでした。まだ、始まったばかりで、外地の人には知られていないのでしょう。それでも、平日にもかかわらず2階はほぼ満席状態で、観光地ではない途中バス停でも、このバスを見て乗る人もいて、初物として市民にもなかなか人気のように感じました。なお、ここにお見せしているのはフォト成都・901路『観光』オープン二階建てバス」に載せた一部です。

(200.11.14)

〔追記〕 現在、901路は運行されていません。(2011.10.01)

 

カテゴリー: 観光(成都) | 3件のコメント

焼肉「牛牛福」―成都雑感〔27〕―

 昨10日(金)夜、成都在住の日本人が焼肉を食べる会を開きました。四川大学の留学生を中心に20数名が集いました。

 そこで、この会で食した焼肉店「牛牛福」(8515-9393 住所:一環路南四段13)を紹介します。この店は一還路南四段の西南民族大学の対面の永楽家電店の裏面にあります。永楽家電店の左側に沿って奥に進むと、階段があり、「奥林保齢球館」(ボーリング場)と「牛牛福」の案内があります。そのまま階段を2階へと上ると、ボーリング場に入ります。右にレーンを見ながら直進すると、コーナーの受付に着きます。コーナーを右折して直進して窓際まで進むと、写真1見る、「牛牛福」の入口になります。この両方の施設は実は邱永漢集団が経営するものです。「牛牛福」はこの1月にオープンしたのです。

Unicode

 写真2は肉類を網に載せて焼きはじめたところのものです。メニューは牛肉を中心に、豚・鳥の肉類、魚類、キノコ類などが無煙の網焼となっていいます。もちろん、写真に見えているように、キムチなどの定番の漬け物類やスープなどもあります。

Unicode

 写真3は店の奥から見た店内風景です。店内は清潔であり、店員のサービスもきびきびしており、好感を持てるものです。肝心の肉類の方ですが、もちろん和牛などは手に入らず、中国産ですから、その点に不満足の方がおられるかも知れません。しかし、生ビルを友として、十分に食しても、70元程度でまかなえることを思うと、成都での日本料理店の水準(本格的なものは望めず、もどきです)と値段に比して、十分に満足できるものといえましょう。中華料理にあいたら、訪れるのもよいでしょう。

s-061110牛牛福 005

(2006.11.11)

カテゴリー: 食事 | 2件のコメント

西南交通大学子弟小学校下校風景―成都雑感〔26〕―

 西南交通大学には付属小学校がキャンパス内(教職員宿舎地区の中間)にあります。西南交通大学子弟小学校といいます。

 日本では、近頃は安全面から、生徒の集団登下校に父兄らが送迎を行っているようですが、中国ではどうでしょうか。

 写真はその下校時のものです。写真1に見るように、校門前には多くの自転車(実は、写真に見える多くは電動スクーターです。電動自転車の発展したもので、成都では一般化しています。時速20キロ以下となっているはずですが、それ以上出るのもあり、歩行者にとっては注意すべきものです)が集まり、父兄が生徒を待っています。母親ばかりでなく、父親も多いことがお分かりでしょうか。中国では、このように生徒の保護者(両親だけでなく祖父母も)が送迎をするのは都市では普通のことなのです。

Unicode

 もちろん、写真2に見るように、1人や友達と帰る生徒もたくさんいます(なお、青紫のジャージの集団は、ちょうどキャンパス内の付属病院に行く、付属中学校―中国では中等部〔初中〕と高等部〔高中〕が併設―の生徒)。ともかく、下校時にはこのようにお迎えの保護者で校門の前がいっぱいになるのが中国の都会での小学校です。ただ、このお迎えはあくまでも個人単位のもので、日本のような組織的・集団的なものではありません。

Unicode

 子弟小学校は市内でも優良校(コンピューター教育の先進校)で、キャンパス外部からの通学もかなりあり、その中には、写真3に見るように、自家用車送迎もあるのです。それも1台や2台ではなく、校門前の道路にずらりと駐車しているのです。なんといっても、成都はマイカーの普及率がトップクラスの都市なのです(実は、日本語学科では2人の教授はもちろん、若手の教員の何人かもマイカー持ちです)。

Unicode

 8時半登校で、朝礼などの後、8時45分に1時限目(40分授業)が始まり午前中4時限で、12時から14時までが昼休みとなり、多くの生徒は自宅に戻り昼食を取ります。午後は14時登校で、1410分に5時限目が始まり、1540分に6時限目の授業が終了し、下校時となります。もちろん、その後も課外活動する生徒もおります。以上が小学校の1日で、この昼休み時と下校時に保護者の校門前でのお迎えがあり、写真のような風景を見せるわけです。

 最後に、写真4ですが、これは「学校收費」、すなわち学費などの経費を示したものです。校門脇に掲示されています。国家の基準に基づいて、成都市金牛区の定めた標準経費です。学期ごとに学費は294元(雑費168元・教科書代75元・テキスト代15元・情報技術費〔いわゆるコンピューター教育、3~6年生〕36元)、綜合服務費77元(委託管理費〔いわゆる、昼休みなどで学校が生徒を保育すること、保護者の自由意志〕62元・社会実践活動費15元)です。2学期制ですから、委託保育すると、年に742元となります。なお、最後の「借読費」年1600元とは、他の小学校の生徒を受け入れる場合の費用です。本来的には居住地により学区が定まっていますが、優良校には学区外からの希望者が集ります。

Unicode

(2006.11.4)

カテゴリー: 教育 | 2件のコメント

成都市バスの新ボディーカラー―成都雑感〔25〕―

 成都市バスはこの10月から新ボディーカラーとなりました。従前の標準は、写真1に見るように、白を基調に下部をブルーとして窓上部にブルーのラインが入れてあります。そして、ボディーサイド中央に「CTIY BOAT」とカラーで書いてあります。しかし、エアコン付の新車が増加し、同時に写真2に見るように、ボディー広告付バスが増えるにしたがって、市バスのボディーカラーも多種多彩となりました。

Unicode

Unicode

 今回の新ボディーカラーは路線類別により5色に分けられます。

○「常軌」路線(市内の幹線・主要道路を走る路線。例えば、市街地を南北に縦貫する人民路を走り、成都北駅と南駅を結ぶ16路)は、緑色

○「環城」路線(市内の環状道路である、一環路と二環路を走る路線)は、オレンジ色

○「支線」路線(市内の中小道路を走る路線)は青色

○「郊外」路線(市内と郊外を結ぶ路線)は黄色

○「快速」路線(ラッシュ時を主体とした快速路線。将来の予定)は赤色

以上です。

 ここでは「常軌路線」バスと「環城路線」バスを写真でお見せします。

 まず「常軌路線」で、写真3は交大路を走る3路(交大の北の九里堤バスターミナルから、総府路〔中心繁華街〕を経由して、市南部の樺林園を結ぶ)のバスです。写真1と同タイプのバスですから、カラーリングの違いが明確です。下部の緑が濃く上部との境が白い曲線ラインとなっております。そしてボディーサイドの文字が「Chengdu Bus」(成都バスのローマ字)となりました。なお、3路はワンマン化されて、また車両の過半がエアコン化されています。

061028成都市バス 005

 写真4は一環路を走る27路(北駅を始発として、時計の逆回りに一環路を一周)です。オレンジ色で「環城路線」であることが分かります。27路は完全にエアコン化していますが、車掌は乗車しています。なお、写真のバスは、以前紹介した「モバイルデジタル液晶テレビ付バス」です。

061028成都市バス 007

(2006.10.29)

追記  「郊外路線」のを写真5として追加します。これは九里堤バスターミナルと郫県栄軍校とを結ぶ362路です。交大の犀浦キャンパス前でのもので、バス後方に見えるのが正門です。

s-061207成都市バス_edited

(2006年12月10日)

カテゴリー: 交通 | 4件のコメント

イトーヨーカドー双楠店「中日友好文化交流周」―成都雑感〔24〕―

 今日は買い物のためイトーヨーカドー双楠店に出かけました。ちょうど、「中日友好文化交流周」の催し物を行っていたので、これを紹介します。

 「中日友好文化交流周」は昨年より春・秋の年2回開催されています。イトーヨーカドーの社会活動として日本啓発のものです。これには広島県(四川省と姉妹都市)などが協力しています。今回は11日(水)から15日(日)までの5日間です。11日「観光」・12日「礼儀文化」(茶・花など)・13日「礼儀文化」(餅つき・和服など)・14日「現代文化」(カラオケ・コスプレ・剣道など)・15日「縁日」(日本語コーナーも)となっています。1階中央の吹き抜けのところが会場です。もちろん、そのそばで日本関連の小物の10元均一ワゴンが出ているように、日本関連商品のセールも行われています。

 写真1は、カラオケ大会の様子です。この女性はKiroroの「未来へ」を歌っているところです。なお、日本の歌手の中国国内販売CD正規版としては浜崎歩(あゆみ)が最多で、宇多田光(ひかる)・倖田來未・島谷ひとみなどが見られます。

Unicode

 写真2は、二環路から見たイトーヨーカドーの全景です。この夏に6階に映画館が開館しました。角の広告はこの上映映画のものです。上の「夜宴」はもっとも人気のある馮小剛監督の歴史アクションで、本年の話題作として、興行成績もトップと予想されています。なお、主演として日本でも知られている章子怡が出ています。

Unicode

(2006.10.14)

カテゴリー: | コメントを残す

国慶節の春熙路―成都雑感〔23〕―

 本日10月1日は57回目の国慶節、すなわち中華人民共和国の建国記念日です。1949年のこの日に北京天安門上から毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言したのです。もちろん祝日として休みです。中国の祝日は、1月1日の新年、春節(旧正月)、5月1日の労働節(メーデー)、そして10月1日の国慶節の、以上4日です。このうち、春節・労働節・国慶節は3日間の法定休日となりますから、年間の法定休日は10日というわけです。

 90年代後半に労働節と国慶節は、3日間の法定休日にその直後の土日を加え、それ以外に1~7日までのこれらに入らない平日の2日を休日として、1日から7日までの1週間連続の休みとなりました。その替わり、平日の2日分は前後の適当な土日に振替えられて、これが平日となります。今年の国慶節の場合、1日(日)・2日(月)・3日(火)は法定休日で、5日(木)は1日が日曜日と重なるための振替え休日で、7日(土)は土曜休み、そして、4日(水)は前の土曜日9月30日と振替えて休み、6日(金)は後の日曜日8日と振替えて休みとなり、以上で1日(日)~7日(土)の連続休日となりました。なお、例年ですと平日の振替えは連続日、すなわち木・金となるはずですが、それでは学校などでは木曜日分が近すぎる(9月28日と30日)ので、少しでも離れた水曜日(27日と30日)と替えたことになります。

 この労働節と国慶節は中国のゴールデンウィークで、観光の二大ピーク期間です。ですから有名観光地は中国人で溢れかえります。この点からいうと、この期間での中国への旅行はお勧めしません。そして、この期間は春節前とあわせて三大商戦期です。以上のことに、この連続休日を設けたねらいの一つが見えているのです。すなわち消費刺激策でもあるのです。この点は、観光を盛んにし商戦期となったことで、見事成功したといえるでしょう。それも90年代前半から本格的になった中国の高度成長の成果ともいえるでしょう。

 ところで、本年の国慶節は久しぶりに旅行をしません。というのも、ビザ延長手続きのため、現在手元に旅券がないからです。中国では宿泊や飛行機利用に旅券は必須なのです。当然ながら旅行できない羽目になったわけです。

 そこで、今日は成都中心繁華街の春熙路に出かけてみました。この日は成都らしく曇り日ですが、そのさい撮った写真をお目にかけることで、中国での国慶節の休日を垣間見てください。

 まず写真1左、成都1の人気と実績を誇るイトーヨーカドーに敬意を払い、この春熙店を正面入口から撮ってみました。入口上には「歓度国慶」の四つの赤ボンボリがつり下げられています。春熙店の奥に見える工事中のビルに来春オープン予定の成都伊勢丹が入ります。

Unicode

 写真2は、北の総府路と南の東大街を南北に結ぶ、春熙路の中心に位置する中山広場を東側の3階にある泡沫紅茶坊(茶館で、10元から各種の飲料と食事とがあります。昼時でしたが、窓側にも楽に席が取れ、ゆったりと過ごすことが出来ました)から撮ったものです。中央に見えるのが広場の名となった、近代中国の父、孫中山(孫文)の彫像です。この広場は春熙路での無料休憩場の役割を果たしており、中山像を囲む半円形階段には市民が腰掛けて休んでいます。それにこの像は記念写真の場でもあります。像の後方には春熙路を走るオープン電動車が見えています。

Unicode

 写真3は、総府路に昨年春に再新築された、歩道橋から見た春熙路の全景です。人並みで埋まっていることがお分かりでしょう。春熙路は古くからの成都の中心繁華街でしたが、建物も含め全面的な改修の結果、2002年に歩行者専用道に生まれ変わったのです。

Unicode

 写真4は、太平洋百貨店の先に、中華民国時代の建物を再現させた、錦華館(1914年建設)の入口です。通路の先の道にも当時の建物が再現されています。なお、通路の赤いのは茶館です。通路にも木の椅子を出してあり、そこでも茶が楽しめます。

Unicode

 写真5は、路上に埋め込まれた「老春熙路」のレリーフです。中山広場の前後に10点ほどあり、これを見れば、かつての春熙街を忍ぶことが出来ます。ちょうど、女の子がソフトアイスクリームをなめながら歩いています。

Unicode

 最後の写真6は、中山広場で中山像の前南側から撮ったものです。像の左奥に見える建物がハーゲンダッツの成都1号店です(現在店舗を展開中)。価格は日本より高めで、中国では極めて高価なアイスクリームとなります。今年は6日が仲秋節(お月見)で、中国では月餅を送る習慣があるので、目下月餅販売の季で、各種の月餅が出回っています(今年はフカヒレ・アワビ入りのが出てきました)が、ハーゲンダッツも負けじとアイスクリームの月餅を売り出しています。ただ、アイスクリームのため溶けてしまう心配があるので、贈り物の時は引換券でするそうです。また、像の手前右のテントは結婚記念写真の店です。春熙路は若者にも人気があるので、像の周囲にはこの種の店が3店も出ています。中央の白ワイシャツの男性は左の女性に宣伝パンフを渡しています。2005年4月24日付「石象湖生態風景区―四川雑感〔1〕―」と2006年3月24日付「続・石象湖生態風景区―四川雑感〔1〕―」とで紹介した、石象湖での百合節の結婚記念写真を謳う店は大きくテントに1500元と記しています。

Unicode

 以上が国慶節昼時の春熙路の様子です。

(2006.10.01)

カテゴリー: 買い物 | 6件のコメント

成都ウォルマート開業―成都雑感〔22〕―

 9月28日(木)、ウォルマート交大路分店が成都市1号店としてオープンしました。西南交通大学西門から交大路を北に10分弱歩いた、4階建ての大型商業施設の嘉信茂広場・金牛(シンガポール資本)の2・3階に尓瑪(ウォルマートの音訳中国名)購物広場として開店しました。売り場面積は1,900㎡です。ウォルマートは、1996年に広東省深圳市に中国進出を遂げ、各地に店舗を展開し、この交大路店が66店目になります。ようやく成都の地にも進出してきたわけです(なお、10月下旬開業予定の、市内東部の大型商業施設SM広場1階に2号店がオープンの予定です)。嘉信茂広場の1階および2・3階の一部(ウォルマート交大路分店を除く)にはテナントが入っており、4階はまだ未営業です。なお、バスの最寄り停留所は交大路西(3・33・48・56・75・94・101・106路など。徒歩1分)です。

2・3階の過半、中央部に位置するウォルマート交大路分店は、2階をそのほとんどを綜合食料品売り場とし、これ以外に洗剤売り場があります。なお入り口左右には美容院と携帯電話販売店があります。3階は、文具・スポーツ用品・自転車・玩具・乗用車車内用品・家庭工具・家具・室内用品・ベッド用品、子供服・嬰児用品・男女服・靴鞄、家電・眼鏡、化粧品・女性用品、書籍・CD等、それに宝石アクセサリー店が入っています。なおメイン入出口は2階ですが、3階にも入出口があります。2・3階間は売り場中央にエスカレーターがあり自由に行き来できます。なお、トイレは2階のレジ中央を出たところに設置され、3階には子供遊び場が設置されています。

 写真1は、交大路から見た尓瑪購物広場です。2階のKFCの表示の下が建物の南側出入り口で、開店日はここが入り口で誘導ロープが張られて、整理員が配置されていました。なお北側にも出入り口があり、ここが出口となっていました。もちろん、駐車場完備しており、この北口の道路を挟んだ北側にあります。交大路から出入りできます。

Unicode

 写真2は、奥のパン売り場から見た2階です。

Unicode

 写真3は、パン売り場の先の魚売り場の活魚コーナーです。四川は海と縁がありませんから、もちろん養殖の川魚です。

Unicode

 写真4は、中央に位置する包菜(漬け物)等の売り場です。四川でポピュラーな包菜は大根などで少し酸味がします。ここは量り売りです。以上が2階食品売り場で、生鮮三品以下、中国人が食する物がそろっており、当然酒・茶類もあり、この高級品専売コーナーがあり、ここで最高級の50年物五糧液(5300元)を初めて見ました。日本食品ですが、味の素の本だしと不二家のペコちゃんなどの菓子しか見あたりません。

Unicode

 写真5は、特売(2.4元)のDVDの山です。当然ながら海賊版で、この隣には正規版(アメリカ映画で9.9元~22元)の棚があります。現在は海賊版取り締まりのため、電脳街や大型店や市中心部のCDショップでは棚から海賊版DVDは消えているのに、こう公然と出ているのは初めてでした。

Unicode

 写真6は、子供服売り場です。この奥の方に男女服売り場などがあります。以上が3階です。

Unicode

 写真7は、2階のレジを出たところから撮ったものです。ここには16列のレジが設置されており、この日は全てが解放されていました。私が買い物を済ませて出た15時ごろは全列に渡って10人程度の行列でした。なお、3階のは2列です。

Unicode

最後の写真8は、オープンの広告パンフ表紙です。店の位置地図と一押し商品が見えています。

Unicode

 なお、バック類は持ち込めます。この点はイトーヨーカドーやカルフールに見習ったのでしょう。また、現在のところ成都ウォルマートを含め個別の店のWebサイトはありません。

(2006.09.29)

カテゴリー: 買い物 | コメントを残す

成都イトーヨーカドー春熙店前での「反日」行動への所感―成都雑感〔21〕―

 1820時、成都の中心繁華街、春熙路にあるイトーヨーカドー春熙店前で、「反日」デモが行われたとの報に接しました。改めて、Webで確認すると、『産経』は、若者2030人が「歴史を忘れるな」との横断幕を掲げて午後8時に店の前に集り、見物人も含め100人ほどになり、1時間で中国国歌を斉唱して解散したと、記しています。また、『日経』は、400人がデモとの見出しを付けて、午後8時に店の入り口を封鎖し、その後繁華街を練り歩き一般市民をも巻き込み、午後8時半に国歌を斉唱して解散したと、記しています。他の全国紙、『読売』『朝日』『毎日』には、同日、遼寧省瀋陽市での「九八一」集会後に、参加者の一部が日の丸を焼いた記事はありましたが、成都の件はありませんでした。

 1931年9月18日夜、奉天(瀋陽市)柳条湖での関東軍の自作自演による満鉄爆破事件に端を発し、満州事変は勃発し、「満州帝国」成立となる、いわゆる15年戦争の開始です。中国にとっては、日本による軍事侵略の開始なのです。したがってこの日は中国にとって国恥の日です。ですから、その地である瀋陽では市政府主催でこれを忘れないための集会が毎年行われています。他の中国の各地と同様に、成都においても本年もサイレンが鳴らされました(14時半と15時の2回)。

 こういった意味で、「反日」行動がこの日に起こされることは不思議ではありません。しかし、かといって、中国の中に「反日」ムードが充満して危険であると考えるのは、また行き過ぎです。当然ながら、成都と瀋陽での出来事は中国のメディアには報じられません。また、成都での件が町の噂として耳には入っていません。したがいまして、現在私が知るのは日本からのものです。

 そこで、過去に成都で起きた「反日」行動から今回の件を推察してみます。成都には20代の社会人を中心とした「反日」グループが存在し、Webなどにその主張などを載せています。過去においても、何回か行動を呼びかけ、「反日」行動を実施しています。だいたい初動の参加人数は1020人程度です。行動地点は基本的にイトーヨーカドーです。ヨーカドーは成都で一番人気のある商業施設で、成都における日本企業の代表ともいえる存在ですし、春熙店は成都中心の繁華街にあります。したがいまして、ヨーカドーをターゲットにするのが一番効果的だからです。彼等は2号店が双楠に開店した後、わざわざその存在を示すべく、双楠店前で「反日」集会をしています。その時の模様は彼等自身がWebに写真付で誇示していました。いわば、「九一八」とか「七七」(1937年7月7日の蘆溝橋事件)などに示威行為を行うのはその存在アピールなのです。今回の場合もその行動パタンから外れていません。今回の行動が夜8時に開始されたことは、彼等の主力が社会人であり、最初の人数が2030人と報道されていることは中核メンバー規模が旧来と変わりなく、その規模に変化がないことを表しています。もちろん公安局(警察)との絡みがありますから、大規模とは行けないでしょうから、実際の活動家規模が広がっている可能性は排除できませんが、その後の広がり、見物人を入れても100人程度(「日経」の400人は多すぎると感じます)ということはその可能性は低いでしょう。それに1時間(「日経」では30分)で解散したことと市民の巻き込み規模(100人程度)を考えると、激しい口喧嘩や交通事故などにおいて、野次馬の規模が数十人から百人程度になることがさほど珍しいことではない事実を見れば、今回の行動は一般市民をほとんど巻き込むことが出来なかったことを意味しています。すなわち、今回の「反日」行動は彼等グループのみで広がりに欠けた、いわば自慰行為といった感すらあります。こうした点から、今回の出来事を冷静に見るべきで、いたずらに危険視したり重大視したりし、感情的に対処することは、かえって逆効果になり、好ましい結果を生み出すものとはいえないでしょう。

 成都は穏やかな町であり、古くからの茶館が今でも広く存在しているように、他の中国の地と異なり、市民もゆったりと生活を楽しんでいる町です。

(2006.09.20)

カテゴリー: | コメントを残す

CA422便による成都への入国手順―成都雑感〔20〕―

 現在、日本と成都を結ぶ航空便は、北京経由成田・成都のCA422と、上海経由福岡・成都のCA916便の二つです。いずれも経由便で、いったん経由地で航空機を降り、空港ターミナル待合室で待機し、同じ機に再搭乗して成都に着きます。このため、現在の中国の方式では入国審査は最初の空港となっていますから、入国に当たって、①経由地の空港で入国審査、②成都双流空港で託送荷物受け取り・税関検査の、二段階になります。前回、「成都双流国際空港での国際線搭乗―成都雑感〔16〕―」で成都からの出国を、CA421便を例に述べましたので、今回はCA422便での入国の様を述べます。

 最初に、成田を離陸して食事後に、キャビンアテンダントがワッペンを配りにきます。これは、北京行の乗客ではなく、成都行の乗客であることを中国側の空港係員に明示させるものですから、成都に到着まで、目立つところに剥がれないようにしっかりと張ってください。北京空港に到着すると(現在のところ、ほとんど駐機場に駐機し、直接にボーディングされません)、国際到着の案内標識にしたがって進んでください。ターミナルビル2階が出発階ですが、北京空港の通常の入国審査場(イミグレーション)は3階にあるので、そのための階段と案内標識があります。その付近に、成都と書いたプラカードを持った係員達がいて、乗客に「成都、成都(チャンドウ)」と声を出します。そこで、成田でのCA422便のボーディングパス半券を示してトランジットボーディングパスを受け取って、係員の指示に従って、この場で待機してください。間違っても、3階への階段を上ってはいけません。しばらくすると係員が誘導しますから、その誘導にしたがって進んでください。前方上に過境聯檢庁(トランジット)との表示が見えます。ここが入国審査のところです。まず、入り口で係員に入国検疫申告書を提出します。次いで、旅券・入国カード・トランジットボーディングパスを提示して入国審査を受けます。最後に税関申告書を税関(海関)係員に提出して、入国審査は終わりですから、係員の指示にしたがって待合室で待機してください(トイレは待合室までありません。また、ここまででかなり時間を費やしますから、出発が遅れない限りはそう時間がありませんから、ターミナル内を動き回ることは止めた方がいいです)。時間がくると係員が案内しますから、それにしたがって進んで、先に降りた機に搭乗します。以上が北京空港です。

 北京からは国内線の乗客が入ります。成都双流空港に到着すると、国際線乗客(成田から)と国内線乗客(北京から)とはそれぞれ出口が異なります。そのため、係員が両者を分けるために案内・指示します。だいたい国際線乗客の方が少ないですから、多い国内線乗客に引きずられないように、係員の指示に注意しましょう。今回は国際線用のボーディングブリッジに航空機が着きましたので、ボーディングブリッジの途中に係員がいて、「東京、東京」と声を出しています(駐機場等の場合は、バスでターミナルに向かいますから、係員の指示によく注意して、国際線乗客のバスに乗ってください。皆さんがワッペンを付けているはずです)。そのまま、ボーディングブリッジを進めば、ターミナルビルに入り、案内標識にしたがって内部通路を進めば、右に曲がりますからそのまま進んで、案内標識にしたがって階段を下りると1階です。検疫と入国審査のところがありますが、今回は北京でそれをすませているので、係員もおらず、そのまま通過すると、託送荷物受け取り場です。荷物が出てきたら受け取って、税関検査を受けます。ここで税関申告書を出すのが本来ですが、今回は北京でも出してしまい、2度出す手間となってしまいました(用紙はここにありましたが、再び同じものを書く羽目になりました)。申告するものがないなら、日本人はほとんど無検査で通過できます(今回は税関係員1人)。以上で全ての入国手続きが終わり、成都に入れることになります。

(2006.09.11)

追記  北京空港の第3ターミナル使用開始に伴い、経由手順が変わりました。新手順は、「CA422便での北京経由・成都入国手順―成都雑感〔72〕―」(2008年9月20日付)です。(2008年10月1日)

 

カテゴリー: 観光(日本) | 2件のコメント

成都に戻りました

昨日(9月8日)、CA421便にて、成都に戻りました。

明後日月曜日(11日)から新学年度の授業開始です。今学期より、学部生は1年生から4年生までの全員が成都市郊外の郫県犀浦鎮の犀浦キャンパスとなり、市内の九里堤キャンパスは院生と成人教育生となります。したいがいまして、私も来週からは週に4日は犀浦キャンパスでの授業となります。

カテゴリー: 未分類 | コメントを残す

武蔵国伝源範頼関係史跡―歴史雑感〔7〕―

 

 鎌倉幕府の創始者源頼朝の異母弟範頼は、この西国派遣軍総大将として、九州まで遠征し、平家滅亡に役割を果たしましたが、政治家の頼朝・武将の義経として大きく評価されている兄弟に比して、平凡とされて一般的には無名といってよい存在です。この範頼を再評価すべく、範頼を主題とした拙稿(2005年8月24日付「拙稿のファイル頒布のお知らせ」参照)をいくつか発表してきました。

 範頼の正室は頼朝側近の安達藤九郎盛長(武蔵有力武士の足立遠元叔父)の娘で、彼女は流人時代の頼朝を支えた乳母比企の尼の孫(盛長妻が尼長女)です。また、範頼の子孫は吉見氏を名乗ります。以上のことからと思われますが、埼玉県の旧吉見・足立郡内には範頼に関する伝承が遺されており、範頼関係の史跡と伝える所がいくつかあります。その詳細については関係市町村(北本市・吉見町等)の市町史や史跡・観光案内等を御覧ください。

 さて、政治経済史学会恒例の中世史部会の夏合宿(8月1921日)からの帰途、久しぶりに伝範頼関係史跡に立ち寄りましたので、その代表の2か所の写真を載せました。写真1が伝源範頼館跡の息障院(吉見町御所)の正門前から左(西)に堀跡と伝えるものを撮影したものです。ただ、館の規模としては最小規模であり、範頼の格からすれば小さすぎる感がします。

Unicode

 写真2が国天然記念物の蒲桜(北本市石戸宿)で、この地も範頼館跡と伝える所です。桜の根元には鎌倉時代からのものと見られる板碑が残されており、以前は囲いがなく根本まで行けましたが、現在では写真の石碑(大正12年)の外側に柵が整備されて木を保護するようになっています

Unicode

 現在とは異なり、鎌倉時代には荒川本流は元荒川で、足立・吉見両郡間は馬の交通に支障なく、伝範頼館跡の息障院・石戸蒲桜と、南北朝期造立と考えられる伝安達盛長像を捧持するとともに伝盛長館跡とされる放光寺(鴻巣市糠田)との三か所は、相互に指呼の間です。以上、比企・足立(安達)との縁戚関係から、範頼が何らかの所領をこの地に得ていたとしても不自然ではなく、この意味から範頼関係の伝承地があることも自然といえましょう。ただ、それで伝承そのものが史実であるとまではいえません。

(2006.08.22)

カテゴリー: 未分類 | コメントを残す

西安交通大学日本語学科11級(95年卒業)同窓会・在西安

去7月22日(土)、久しく顔を会わせていなかった日語11級(7期生・91年入学)の諸君が、キャンパスの地である西安で、1995年7月の卒業以来初めての同窓会を開きました。18名の卒業生中の12名が参加しました。北は遼寧省から南は広東省までの中国各地から参集したのみならず、日本から訪れた同級生もいました。ここに、その時の写真を載せます。学科創立以来の校舎前での撮影です。

s-060722西安交通大学日語系11級同窓会 (9)

(2006.07.31)

カテゴリー: 教育 | 11件のコメント

夏休み帰国

WCのフランス・ポルトガル戦を見終えたところです。実際はかなりの部分寝ていましたが。PKを決めて1-0でフランス勝利。

さて、夏休みとなり、本日CA421便にて帰国します。9月初頭までの2か月ほどの休みとなります。この間、成都雑感はお休みとなります。

WC決勝は伊仏戦。これは日本で見ることになります。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント

冷鍋魚―成都雑感〔19〕―

 今回紹介するのは、火鍋の一種の「冷鍋魚」です。まず、火鍋と同様な麻辣味のスープ(鍋底)であらかじめ調理済みの魚の入った鍋が運ばれてきます。この調理済みの魚を各自の取り椀に取り分けて、これを食します。鍋の中に入れる魚は当然ながら長江育ちの川魚で、花鰱魚(レンギョ)が一般的で、1kg前後を入れて食します。写真1は、取り分けて取り椀に入った魚(頭部分)です。

060704栄金華魚頭 001

 写真2は、この鍋です。全ての魚を食してから、鍋に火を付けて好きな食材を火鍋と同様に入れて食します。したがいまして、最初は調理場で鍋に火をかけて調理された魚が少し冷えて味が身に染みこむようにしてから鍋ごと運ばれますので、「冷鍋魚」と呼ばれるわけです。

060704栄金華魚頭 002

 これは北宋の政治家・詩人蘇軾=蘇東坡(四川省眉山出身)が、重慶を訪問した際に、食した魚料理に手を加えて名付けたといわれているものです。この起源譚は少々うなずけないところがあります。火鍋が清後期の庶民料理に起源を持つのものですから、火鍋系の「冷鍋魚」が北宋時代からのものであるとはいえないでしょう。美食家としても知られた蘇軾に由来を求めた「冷鍋魚」の一種の宣伝でしょう。それはともかく、この由来譚は、元祖火鍋と同様に「冷鍋魚」が重慶生まれであることを表すものです。「冷鍋魚」に関しては成都三只耳有限公司が成都市に5店舗と、さらに中国全土へとチェーン展開をしており、もっともポピュラーな店といえましょう。今回行ったのは、西南交通大学に近い、交大路の金牛区公安分局対面の交桂路を入ったところにある栄金華魚頭(金牛区交大智能二期綜合楼二楼)です。3人で魚を主体に食して、前菜(鴨舌―写真1後方)とビールを入れて80元ほどです。どうぞお試しを。

(2006.07.05)

カテゴリー: 食事 | 3件のコメント

2006年度前期記事目次

 2006年度前期(1月~6月)の記事目次を掲載します。なお、前回までの記事目次は「ブログ開設1周年記念・記事目次」(20051124日)、「2005年度後期記事目次」(同年1231日)です。 

01.05 武蔵武士足立遠元(その7)―歴史雑感〔6〕―

    七、頼朝期における遠元(下)―第二次建久上洛―

01.06 新城市広場の「味千拉麺」店―成都雑感〔14〕―

01.07 冬休み帰国

02.06 在関東・西安交通大学日語系卒業生による来日先生歓迎の集い

02.23 在成都・ようやく宿舎に戻れた

02.24 おめでとう荒川静香

03.05 2005/6年度後期の担当課目

03.10 DVDソフト事情(8)新タイプの圧縮DVD

    ―成都雑感〔4〕―

03.18 味千の生麺で醤油ラーメンを作る

03.24 続・石象湖生態風景区―四川雑感〔1〕―

04.01 西南交通大学(その4)第三学生食堂―成都雑感〔1〕―

04.08 武蔵武士足立遠元(その8)―歴史雑感〔6〕―

    八、晩年〔頼家・実朝期〕の遠元

04.16 成都西武の開店―成都雑感〔15〕―

05.06 成都双流国際空港での国際線搭乗―成都雑感〔16〕―

05.19 西南交通大学(その5)110周年―成都雑感〔1〕―

06.10 DVDソフト事情(9)「迷」日本語字幕付の外国語映画

    ―成都雑感〔4〕―

06.25 中国三大映画監督―成都雑感〔17〕―

06.27 新型二階建てバス―成都雑感〔18〕―

06.30 2006年度前期記事目次

(2006.06.30)

カテゴリー: 記事目次 | 2件のコメント

新型二階建てバス―成都雑感〔18〕―

 中国の大都市と同様に、成都市内バスにも二階建てバスが走っています。この春から、この新型タイプを見かけるようになりました。成都市製造の新型二階建てバスは、在来型と比して、写真1をご覧のように、全体的に曲線を多用しているフォルムとなっています。二階部分にこれが現れています。

060625二階建てバス 001 

 写真は二階の先頭から見た車内です。

060625二階建てバス 002

 写真3は二階の階段後方から見た車内です。基本的な車内設備は変わらず。いすもアクリル製の固いものですが、通路側座席に肘掛けにしては低すぎるワクが付けられたところが新しいところです。

060625二階建てバス 003

 写真4は一階の降車口から前方を見たものです。ご覧のように、運転席後方にテレビが設置されて放映中です。これは「モバイルデジタル液晶テレビ付バス―成都雑感〔9〕―」2005年9月23日)で紹介した、モバイルデジタル液晶テレビです。これが現在では普及して、多くのバスに取り付けられ普通のものになりました。なお、運転席右の座席に腰掛けているが車掌です。ここは車掌の定席で、前ドアーから乗る乗客から運賃を徴収します。

060625二階建てバス004

 新型タイプでも写真をご覧になればわかるように、エアコン設備はついていません。これは、たぶんエンジン出力の関係でエアコンにまわす余裕はないからと思います。最後に、二階建てバスの二階、とりわけ後部は乗り心地のいいものではありません。よく弾みます。というのは写真1を見れば分かるように、後部車輪も一つですから、後部にエンジンルームがあるなどして後半部の方は重量が重いのに、それを支えるバランスに欠けているからです。この設計は中国製の二階建てバスに共通のようです。

 今回の新型二階建てバスは、成都の南北縦貫幹線である人民路を通り、成都北站(北駅)と成都南站(南駅)とを結ぶ16路のものです。なお、現在、南北縦貫の1号地下鉄線の建設中で、成都市の中心の天府広場は中心駅として工事中で、完成時には一大地下商店街としてお披露目になります。ですから、この16路も天府広場経由が臨時に順城大街経由(塩市口)となっています。

付記  四川省産の果物として、5月はびわ、6月からは桃が出回っています。しかし、私が好きなのは荔枝(レイチ)です。楊貴妃の好物で、玄宗皇帝が早馬で産地の福建省から取り寄せ、楊貴妃を喜ばせたエピソードをもつ南方産の果物で、今が時期です。1kg10元程度です。以前は一般の市場には出ていませんでしたが、今ではどこでも見かけるようになり、これを自転車のかごに入れて売り歩く人もいます。一度食べて見れば良さが分かります。

(200.06.26)

カテゴリー: 交通 | コメントを残す

中国三大映画監督―成都雑感〔17〕―

 この22日で卒業論文答弁会も終わり、本学期の私の担当は終了しました。そこで、昨年の「中国三大男優・女優―成都雑感〔4〕―」2005年6月18日)に続き、本年も2年生の作文で「映画」を課題とした時、中国の映画監督を3人とその代表作を挙げてもらうアンケートをしましたので、その結果を示します。全員からの回答があったわけではなく、19人と少ないですが、2票以上獲得した映画監督とその最高得点となった代表作は以下のとおりです。

1.張芸謀 14票   英雄(HERO

2.馮小剛 11票   手机(CELL PHONE

3.王家衛 10票   2046

4.陳凱歌  4票   無極

5.呉宇森  3票   英雄本色

5.李安   3票   断臂山

7.徐克   2票   七剣

7.劉鎮偉  2票   大話西遊

以上です。上位の3人が圧倒的なことがおわかりでしょう。

 1950年生まれの張芸謀は第5世代の監督に属し、1987年の処女作『紅いコーリャン(紅高梁)』でベルリン国際映画祭金熊賞を獲得し、日本でももっとも知られた中国人監督となり、中国を代表する監督として世界を活躍の場として、高倉健主演の『単騎、千里を走る(千里走単騎)』が本年公開されました。国際的には彼の作品は中国の大地とその庶民を率直に描いたものとしてよく知られています。近年の作品では、『初恋のきた道(我的父親母親)』が日本においても高い評価を得ており、ご存知の方もおられるでしょう。学生の選んだ2002年の『HERO』はいわゆる武侠映画に属して、彼の本来のもではありませんが、これが第1に選ばれたことは学生の映画に対する好みを反映したといえましょう。

 1958年生まれの馮小剛は日本ではさほど知られていませんが、テレビドラマ演出出身で、1994年の『永失我愛』で映画監督となり、ユーモアにあふれた作品で知られています。毎年の正月作品を公開しており、中国国内では評価の高い監督です。学生の選んだ200312月公開の『手机』は日本ではまだ公開されていませんが、そのような作品です。

 1958年生まれの王家衛は幼くして香港に移り、そこを拠点として活動しており、1994年の金城武主演『恋する惑星(重慶森林)』で知られるようになり、1997年の『プエノスアイレス(春天乍使)』で国際的にも名が知られました。学生が選んだ2004年公開の『2046』には中国の若者にも人気のある木村拓哉が出演しています。

 以上、サンプルとして極めて限られていますが、現代の大学生の好みを示していましょう。

 なお、学生はどこで映画を楽しんでいるのでしょうか。それはパソコン上です。DVDか、Web上からダウンロードして見るのです。現在の中国では、90年代前半までと異なり、その設備はよくなりましたが、学生にとって映画館の入場料はきわめて高額ですから(だいたい20元以上します。学食での1食分が4元以下程度)。

(2006.06.25)

カテゴリー: 映像 | 2件のコメント