自貢市塩業歴史博物館と栄海井―四川雑感〔16〕―

 前日に続き、2012年1月10日(火)午前は、自貢市は古くからの塩生産地(塩井)として知られており、そこで自貢市塩業歴史博物館と栄海井を見学しました。まず、自貢市塩業歴史博物館を紹介します。本博物館は、1959年に設立された(小平が提議して、最初の展示は1962年)、中国唯一の塩業史博物館です。市中心地区の竜尾山(「彩灯公園」)下の釜渓河畔、解放路に位置します。開館時間は9時から17時半、入場料は20元(60才以上半額、70才以上無料)です。交通は、35路の十字口站下車、自由路を下り(南)200mほどの解放路との交差点で、左(東)に解放路に道を取り、約600mです。

 写真1は、入口の建物です。実は本博物館は西秦会館(1736年〔清乾元年〕建設の陝西省籍の塩業商人による同郷会館)を補修して開設されたものです。会館は基本的に四合院造りとなっており、入口は前庁になります。

 入口を入ると中庭です。奥に後庁が見えます。後庁の左側から展示が始まります。写真2は、最初の展示で、清代の馬車提滷模型(塩水リフト運搬模型)です。奥の塩井から汲み上げた塩水(滷)を、竹管道(四川省は竹の産地)を用いて輸送・分流・配送し、写真には写っていない手前の炉(竈)へと塩水を運搬する装置です。

 写真3は、古代の煎塩竈鍋と塩井のジオラマ模型です。奥の塩井から汲み上げられた塩水を手前の竈鍋で煮詰めて塩へと精製するのです。このように、ここでの展示は古代から現代にいたる自貢市での塩井による塩製造法を模型などを用いて展示しています。

 右庁から前庁2階にかけては「中国井塩科技史」の展示室です。ここには、実際に使用された各種の工具などが展示されています。写真4はその一例で、塩井を掘削・補修する工具の一つとして打𢭐工具(サルベージ)です。

 写真5は、塩井模型で、掘削時のものです。背景の建物が後庁です。以上で、本博物館は終わりです。

 次いで栄海井です。栄海井は、1823(清道光3)年に開削が始められ、1835(道光15)年に完成した、世界最初に井深千メートルを超えた塩井です。井深1001.42mです。1940年まで黒滷(黒塩水)を自噴させていました。そして、補修を重ね方式も変えていますが、現在でも塩井から塩が生産されています。市内東北の大安区長堰塘の砕万路に面しています。開館は9時から17時半で、入場料は20元(60才以上半額、70才以上無料)です。交通は35路で栄海井站下車です。塩井が見えますからすぐ分かります。なお、35路は自貢市客運站・十字口站(自貢市塩業歴史博物館)・栄海井站(栄海井)・恐竜站(自貢恐竜博物館)となります。

 写真6は、高18.4mの水質井架(天車)と「榮海井」を示す壁です。これが本来の塩井です。杉木構造です。

 天車の奥の一段と高いところの建物が竈房です。写真7はその内部の様子です。ご覧のように湯気を上げ塩水を塩へと煮詰めています。奥に作業する人が見え、手前に精製された塩袋(20kg)が積み重ねられているように、ここの塩井は現役で生産活動を続けているのです。

 最後の写真8は、竈房を下ったところに展示している大地車(絞車)です。道光年間のもので4.5m・高2.5mです。ここには他にも塩井掘削関係の道具が展示されています。

 以上で、恐竜と塩の町として知られる自貢市行が終わり、昼のバスで成都へ戻りました。なお、フォトアルバム「自貢市塩業歴史博物館と栄海井https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkx1b_xk6IvwOm96gをご覧ください。

(2012.01.13)

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自貢恐竜博物館―四川雑感〔15〕―

 2012年正月9日(月)から10日(火)まで、成都市から東南に約200km強の所にある自貢市に行ってきました。そこで、自貢恐竜博物館を紹介します。本博物館は自貢世界地質公園(総面積56.62㎞㎡)の一角を構成するもので、1987年1月に開館されました。市中心から東北約9kmの大山鋪238号に位置し、6.6万㎡を占めます。自貢市は中国で最も恐竜化石の発掘される地で、当地発掘恐竜化石を基本として博物館は開設されました。現在、本博物館は世界三大恐竜博物館として、著名になっています。開館時間は8時半~17時半(入場は17時まで)で、入場料は42元(60才以上は22元、70才以上は無料)です。なお、日本語ガイド案内は通常時150元です。

 成都市からの交通は次の通りです。市東南の成都汽車総站(五桂橋公文站隣接)から自貢行(始発9時30分~最終17時50分。運賃79元、復路69元+保険2元。高速経由で約3時間。なお、北門汽車站発もあり)で、自貢市客運総站(丹佳大街)下車後、大街を北(ターミナルから右手に)に約200mの、市内バスの客運総站から35路(川南皮革城・恐竜館行、1元)に乗車し、恐竜站(川南の一つ前。約40分)で下車すれば、進行方向の交差点東北角奥に写真1の本博物館の游客服務中心(サービスセンター)の建物が見えます。入場券売場はセンター建物内で、入口は恐竜に模した建物の左側首部分の下です。

 入ると、丘が前にあります。これが恐竜山です。道を右にとると、左側に山に上る道があり、そこを行くと、写真2の光景が目に入ります。全体で10数体の各種の恐竜モデルを野外展示しています。ここを過ぎて下りると、恐竜遺址館(恐竜博物館)前となります。

 入館して左の室が「恐竜世界」です。写真3をご覧のように、恐竜化石の生態陳列となっています。18種類の各種の恐竜(巴山首竜・太白華陽竜・自貢四川竜・四川巨棘竜・李氏蜀竜など)がいます。すべて自貢市で発掘されたものです。写真左に見えるのは長20mの合川馬門渓竜(Mamenchisaurus hochuanesis)で、自貢市紅旗郷発掘、晩ジュラ紀(1.5億年前)のものです。

 写真4は、大山鋪発掘の中ジュラ紀(1.6億年前)の天府蛾眉竜(Omeisaurus tianfuensis)です。大きいのが長20m、小さいのが長6mの幼年恐竜です。親子を模して展示しているようです。

 「恐竜世界」を出て、中央大庁に戻り、奥に進むと「恐竜遺址」です。ここは恐竜化石埋蔵現場をそのまま保存展示したところです。写真5は、遺址最奥からの全景です。面積1500㎡、世界最大規模の埋蔵現場です。数千の化石が埋蔵されています。基本的には上から俯瞰することになりますが、写真でご覧のように、中頃に階段が設置され下に降りて、より身近で見ることが出来ます。また、代表的な化石に関しては説明版(12か所。李氏蜀竜・天府蛾眉竜・原始新鳥類・自貢四川竜など)が設けられています。

 写真6は、説明版09の太白華陽竜(Huayangosaurus taibaii)の左側肩棘化石です。

 以上で1階の展示は終わりです。2階に上り、最初の展示室が「恐竜時代的動植物」です。陸上・水中・空中・植物などの展示に分かれて、ここには自貢市以外の中国各地の化石も展示されて、恐竜の生態を示しています。また、ここからは「恐竜世界」を俯瞰できます。写真7は、空中展示にある自貢市発掘の中ジュラ紀の長頭狭鼻翼竜(Angustinaripterus longicephalus)です。

 次は隣にある「恐竜珍品」です。自貢市で発掘された恐竜化石の貴重品10数点が展示されています。写真8は、奥に展示されている中ジュラ紀の多歯霊竜(Agllisaurus multidens)で、大山鋪発掘です。最後の展示室が「恐竜再現」です。ここでは恐竜化石の生成から発掘・生態再現までを展示しています。

 最後に、本館の他に、さらに奥に地質遺址館がありますが、当日は閉館しており、見られませんでした。以上の見学時間は約1時間半あまりでした。自貢恐竜博物館の公式サイト(中国語・英語)は、http://www.zdm.cn/です。なお、フォトアムバム「自貢・自貢恐竜博物館」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkycTZGvRUGxbFGLwです。

(2012.01.12)

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2011年度記事目次

辛卯年を終わるに当たって、2011年度(1~12月)記事目次を掲載します。本年はブログ変更・移管が相次ぎ変則的となっています(当地からアクセス状況の変動のため)。1月13日まではYahoo(http://blogs.yahoo.co.jp/kanazawa4512)、2月26日から10月1日まではwordpres(https://kanazawa45.wordpress.com/)、10月9日以降はgoo(http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512)となっています(それ以前の基本記事は、10月11・12日に再録)。また、livedoor(http://blog.livedoor.jp/kanazawa45/)にも一部記事が掲載されています。

では、壬辰年がよいお年で。

01.01 2011年元旦の文殊院―成都雑感〔107〕―

01.08 成都市内のチベット族街―成都雑感〔108〕―

01.13 冬休みの帰国〔以上、Yahoo〕

…………………………

02.07 はじめまして〔goo〕

…………………………

02.26 成都に戻る〔以下、wordpres〕

03.05 鍋魁―成都雑感〔109〕― 

04.02 2011年のDVDソフト事情―成都雑感〔110〕―

04.09 成都日本商工クラブ総会―成都雑感[111]―

04.18 成都セブンイレブン錦天国際店―成都雑感〔112〕―

04.22 楽山大仏―四川雑感〔14〕―

05.17 成都東站(駅)開業―成都雑感〔113〕― 

05.21 青城後山・虎嘯岩「5.12地震遺址」―成都雑感〔114〕―

06.24 2011年西南交通大学日本語学科卒業答弁会―成都雑感〔115〕― 

07.08 夏休み帰国

07.09 全日空NH948便の『カンフーパンダ』塗装機―成都雑感〔116〕―

08.08 『吾妻鏡』人名表記の史料的価値―歴史雑感〔10〕―

09.03 成都に戻る

10.01 北京行〔以上、wordpres〕

…………………………

10.09 周口店北京猿人遺址(遺跡)―中国雑感〔10〕―〔以下、goo〕

10.10 盧溝橋―中国雑感〔11〕― 

10.21 『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)

10.21 『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)

10.22 『歴史と中国』2010年度記事目次

10.23 新型低床式連節バス―成都雑感〔117〕―

11.12 文殊坊錢幣市場―成都雑感〔118〕― 

11.16 第4回神鋼カップ日本語カラオケ大会―成都雑感〔119〕―

11.20 成都伊藤洋華堂高新店オープン―成都雑感〔120〕―

12.07 2012年の中国の祝日―中国雑感〔12〕―

12.31 2011年度記事目次

(2011.12.31)

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2012年の中国の祝日―中国雑感〔12〕―

 明年の祝日(休日)に関する、12月5日付国務院の通知(国辦発明電〔2011〕45号)が6日(火)に発表されました。これに基づいて、中国の公的機関は休日を実行します。民間もこれを基準に休日を組みます。つまり、明年の休日日程が定まったわけです。

 次の通りです。

一 元旦(1月1日)

1月1日(日)~3日(火)の3日間を休日。

12月31日(土)〔3日・火〕振替出勤日。

二 春節(旧暦元旦 1月23日) 法定休日(旧暦大晦日~1月2日)

1月22日(日)~28日(土)の7日間を休日。

1月21日(土)〔26日・木〕、29日(日)〔27日・金〕振替出勤日。

三 清明節(4月4日)

4月2日(月)~4日(水)の3日間を休日。

3月31日(土)〔2日・月〕、4月1日(日)〔3日・火〕振替出勤日。

四.労働節(5月1日)

4月29日(日)~5月1日(火)の3日間を休日。

五 端午節(旧暦5月5日 6月23日)

6月22日(金)~24日(日)の3日間を休日。

六 国慶節(10月1日) 法定休日(10月1日~3日)

  中秋節(旧暦8月15日 9月30日)

9月30日(日)~7日(日)の8日間休日。

9月29日(土)〔5日・金〕振替出勤日。

国務院通知原文は、『中華人民共和国中央人民政府』

http://www.gov.cn/zwgk/2011-12/06/content_2012097.htm

です。

(2011.12.07)

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第4回神鋼カップ日本語カラオケ大会―成都雑感〔119〕―

2011年11月15日(火)夜、西南交通大学犀浦キャンパスで第4回神鋼カップ日本語カラオケ大会を行いました。12組が出場し、紅白二組に分かれ競い合いました。ここでその曲名をあげることで、中国において如何なる日本語の歌が唱われているか、その一助にしたいと思います。

AKB48 「でもでもの涙」(2009年)

AKB48 「奇跡は夜生まれる」(2011年)

赤西仁「Eternal」(2011年)

宇多田ヒカル「Prisoner Of Love」(2008年)

大塚愛「金魚花火」(2004年)

倉木麻衣「もう一度」(2011年)

Sound Horizon「美しきもの」(2006年)

少女時代「Run Devil Run」(2011年)

中島美嘉「雪の華」(2003年)

新垣結衣「小さな恋の歌」(2009年)

一青窈「ハナミズキ」(2004年)

ゆず「虹」(2009年)

写真は、最後に出場者一同で、SMAP「世界に一つだけの花」(2003年)を歌っているところです。なお、今回の大会では、1組ですが初めて、日本語学科ではなく、工学系の専攻から出場者が出ました。

最後に、本大会の開催に当たっては、成都神鋼建設機械(成都コベルコ)に感謝します。

(2011.11.16)

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文殊坊錢幣市場―成都雑感〔118〕―

文殊坊(文殊院)を訪れると、古物市場がその南に接しています。「文殊坊錢幣市場」です。ここは、以前に紹介した総合古物市場の「成都送仙橋古玩芸術城―成都雑感〔77〕―」(2008年3月13日付)と異なり、古貨幣・切手類などを主体とした市場です。文殊坊の文殊院街・五岳宮街から南に金絲(馬)街に入るとすぐの所で、東が金絲街、南が白家塘街に接した角地を占めています。南の白家塘街に接したところが南入口(写真1)です。もちろん、金絲街側からも入れます。市場は東側が錢幣・切手コーナー、奥西側が玉石・書画・古道具・奇石コーナーとなっています。

写真2は、錢幣・切手コーナーです。通路の両脇に店を構えているのと同時に、通路にも露店が開かれています。

写真3は、その露天商です。古銭などを商っているようです。

写真4は、錢幣・切手コーナーの中央にある交易大庁に店を広げている、切手商です。ここでは古錢・紙幣・配給切符(糧票など)・切手などが商われています。

写真5は、玉石・書画・古道具・奇石コーナーでの展示広場です。青空市場に店を広げています。このお爺さんは中国の元勲などの写真を並べています。

写真6は、茶館です。ここには食堂も併設されていますし、麻雀の貸し出しもあります。以上、2011年11月12日(土)の昼前に訪れたものです。なお、「王婆蕎麺―成都雑感〔73〕―」(2008年11月10日付)で紹介した、牛肉蕎麺(8元)を、文殊坊にも出店しているので、食しました。

(2011.11.12)

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新型低床式連節バス―成都雑感〔117〕―

中国の大都市ではよく見かけた連節バスが、成都市では90年代後半から見かけなくなりました。多くの都市でもそうです。しかし、この10月、成都市に連節バスが復活しました。新型の低床式(フラットタイプ)連節バスです。「蜀都客車」製造(成都市)です。

写真1は、前方から見た車体外観です。これは二環路外回り(時計逆回り)の52路です。現在の標準塗装色です。前部車輌前が乗車口、後が降車口、後部車輌前に乗車口と、3か所の乗降口があります。

写真2は、前部乗車口付近から見た車内全景です。赤色の席が優先席です(以前は黄色)。なお、新型連節バスでは、以前あったテレビ設備がなくなっています。

写真3は、連節部から見た後部車内です。乗車口後方の車内は低床式のため、ステップ2段が少し高くなっています。

最後の写真4は、後部車輌乗車口です。ドアーが開いているところで、床が低床式なのがお分かりでしょう。ポールで隠れていますが、少し赤が見えるところが天府卡(IC交通カード)のタッチ機で、その下のボックスが運賃箱です。上部の赤色の電光掲示板では停留所を表示します。

なお、本記事からのスナップ系写真は、夏に購入したオリンパスXZ-1です。2004年から長らく使用してきたリーコーGXは引退です。

(2011.10.23)

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盧溝橋―中国雑感〔11〕―

周口店遺址に続いて、2011年10月3日午後、盧溝橋に行きました。盧溝橋は、北京市中心から西南約15kmの永定河に架かり、1189(金・大定29)年に建設された石造の古橋で、何回かの修理を経ていますが、建設当時から変わらず現在に至っています。全長265.5m、幅7.5m、10本の橋脚と11のアーチ構造です。橋の東は宛平城です。1937年7月7日夜半に発生した、日中戦争の勃発ともなる盧溝橋事件の現場でもあり、歴史的な古橋としても、現代史の証人としても、見逃せないところです。入場料は20元、開放時間は7時~19時(4月1日~10月31日)・8時~17時(11月1日~3月31日)です。北京市街からの交通は、六里橋東站発の339路、北京南站(北広場)発の458路、北京西站発の661路など各市内バスで盧溝新橋站下車、北に約700mで、橋東側です。また、周口店遺址への交通は、盧溝新橋站から952路で大董村站(黄辛庄站以降なら可)下車、房38路に乗り継ぎ、猿人遺址站下車です。

写真1は、宛平(県)城西門です。門は二重門です。城内に入り進むと「中国人民抗日戦争紀念館」(開館時間9時~16時30分・月曜休館)です。宛平城は四囲を城壁で囲まれ、保存保護されており東門から北京市中心へと通じます。

写真2は、御題漢白玉碑(盧溝暁月碑)で、高4.52m・幅1.27mです。燕京八景の一つ「盧溝暁月」を示すもので、清乾隆帝の筆になるものです。

写真3は、南側欄干上の獅子群です。欄干には約500体に及ぶ獅子像があり、どれ一つ同じものはありません。

写真4は、北側欄干の獅子像です。

写真5は、1987年、旧前のコンクリート・アスファルト面を剥がし、古橋に修復したことを示すもので、この路面が古橋の原貌を表すもので、ご覧のように、長い年月で不均衡に摩耗した様が分かります。

最後の写真6は、北側欄干の獅子像群の奥に宛平城西門を写し込んだものです。

フォトアルバム「北京・周口店と盧溝橋」は、https://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxngqBT-boPc41UFRr3lQです。

(2011.10.10)

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周口店北京猿人遺址(遺跡)―中国雑感〔10〕―

国慶節の北京行で、2011年10月3日午前、周口店北京猿人遺址(北京市房山区周口店大街1号)を見学しました。周口店遺址は、市内から西南約50kmの周口店龍骨山に位置します。本遺跡は、1921年、発見され、1929年12月、中国の考古学者裴文中が古人類の完全な頭蓋骨化石を発掘しました。その前後の発掘と合わせて、全40体に及ぶ古人類化石と動物化石・石器などが発掘されました。この古人類は約60~20万年前のものと分かり、現在、北京猿人(Homoerectuspekinensis)と命名されました。1987年、世界文化遺産に登録されました。但し、残念なことに、1941年12月、太平洋戦争勃発により、避難の途上で北京猿人化石は行方不明となり、現在でもその所在は謎です。遺跡には「周口店遺址博物館」が併設され、発掘遺物やジオラマが展示され、往時の北京猿人の様が分かるようになっています。入場料は30元、開館時間は8時30分~16時30分(年中無休)です。北京市内からの交通は、天橋長途汽車站始発の917路で周口店路站下車、房38路に乗り継ぎ3つ目の猿人遺址站下車、約200mです。この他、北京西站南広場站発の616路、前門西站発の646路で、良郷西門站で房38路乗り継ぎなどもあります。

写真1は、博物館前にある北京猿人像です。本館は、7つの展示室からなります。序室が周口店遺址全景と紹介文、第1展示室が遺址地形模型など、第2展示室が歴史回顧(発掘過程など)、第3展示室が北京猿人化石(基本はレプリカ)・石器展示、第4展示室が動物化石、第5展示室が山頂洞などの発掘化石(山頂人)、第6展示室が田園洞発掘成果、となっています。

写真2は、第3展示室の北京猿人頭蓋骨化石(レプリカ)です。共に第1地点発掘で、左がⅦ号頭蓋骨(8-9層)、右がⅡ号頭蓋骨(10層)です。この他、左右に何点かの頭蓋骨化石(レプリカ)が展示されています。

写真3は、北京猿人の復元頭蓋骨です。

写真4は、切断用石器です。打製石器、すなわち道具を製作・使用していたことが理解できます。

写真5は、灰かす層です。これにより、北京猿人が火の使用をしていたことが理解できます。以上は、第1地点発掘のものです。

写真6は、第5展示室の山頂洞人の復元頭蓋骨と頭蓋骨化石です。山頂洞(第26地点)から発掘された山頂洞人は、約2万年前の古人類で、新人(ホモサピエンス)に属します。

写真7は、その山頂洞人の発掘された山頂洞です。博物館手前で、左に上り道を取ると道なりに行けます。3個の完全な頭蓋骨化石の他に、これを含め8人分の化石や動物化石・石器が発掘されました。洞口は高さ約4m・幅約5mです。洞は東南から西北に緩やかに傾斜しており、南北約8m・東西約14mです。

最後の写真8は、猿人洞(第1地点)です。遺址入口から博物館への上り道のほぼ中間(トイレの手前)、左手に入る道から行きます(案内板は右側に小さくあります)。写真をご覧のように、エレベーターが設置されて、研究者など許可された人が洞を見ることが出来ます。天然の石灰岩溶洞で、東西140m、南北の最広40m・最狭2mです。全体で13層の堆積層があります。なお、第13層から下の試掘では化石・遺物は発見できていません。

フォトアルバム「北京・周口店と盧溝橋」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkS-BAyH-mOAD-vKAです。なお、周口店遺址博物館のURLはhttp://www.zkd.cn/です。

(2011.10.09)

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gooブログの移行

gooブログが終了予定なので、順次移行を行ないます。

(2025.04.17)

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2021年度記事目次

遅れましたが、『歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2021年度記事目次」を転載します。

辛丑年を終わるに当たって、2021年度(1~12月)記事目次を掲載します。では、壬寅年がよいお年で。

O2.23 ソフィール踊り子1号

02.25 伊豆下田

02.27 河津桜2021

03.02 北条氏常磐亭跡―歴史雑感〔62〕―

03.04 大仏切通し―歴史雑感〔63〕―

03.22 2021年鶴見川の紅桜

04.12 山木夜討ち(その四)―歴史雑感〔37〕―

04.20 桜の盛岡城跡公園

04.21 平泉の桜並木

04.24 衣川北岸の安倍氏・奥州藤原氏関係地―歴史雑感〔64〕―

05.02 鎌倉幕府第2代将軍源頼家は何時元服したのか―歴史雑感〔65〕―

05.28 旧藤本家住宅―歴史雑感〔66〕―

06.28 湯河原の不動滝

08.06 後北条氏小田原城遺址(その1)―歴史雑感〔67〕―

08.08 後北条氏小田原城遺址(その2)―歴史雑感〔67〕―

08.12 後北条氏小田原城遺址(その3)―歴史雑感〔67〕―

08.14 後北条氏小田原城遺址(その4)―歴史雑感〔67〕―

08.16 後北条氏小田原城遺址(その5)―歴史雑感〔67〕―

10.16 黒部峡谷と黒部ダム(1)―黒部峡谷

10.12 黒部峡谷と黒部ダム(2)―黒部ダム

11.13 青森・北海道の縄文遺跡(1)大森勝山遺跡―歴史雑感(68)―

11.15 青森・北海道の縄文遺跡(2))亀ヶ岡遺跡―歴史雑感(68―

11.17 青森・北海道の縄文遺跡(3)小牧野遺跡―歴史雑感(68)―

11.19 青森・北海道の縄文遺跡(4)三内丸山遺跡―歴史雑感(68)―

11.22 青森・北海道の縄文遺跡(5)三内丸山遺跡常設展示―歴史雑感(68)―

11.24 青森・北海道の縄文遺跡(6)三内丸山遺跡特別展示―歴史雑感(68)―

11.25 2022年の中国の祝日―中国雑感〔54〕―

11.26 青森・北海道の縄文遺跡(7)大船遺跡―歴史雑感(68)―

12.09 安達氏祖盛長は何故藤九郎とのみ称したのか―歴史雑感〔69〕―

12.31 2021年記事目次

(2022.12.17)

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2020年度記事目次

遅れましたが、『歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2020年度記事目次」を転載します。

庚子年を終わるに当たって、2020年度(1~12月)記事目次を掲載します。では、辛丑年がよいお年で。(2022.11.05)

01.01 茅ヶ崎杉山神社初詣

01.06 創作された『平家物語』一谷合戦の熊谷直実先陣争い―歴史雑感〔52〕―

01.13 2020年西安交通大学日本語学科東北会新年会

02.24 武蔵国国府遺跡等―歴史雑感〔53〕―

02.28 湯河原梅林

05.10 源頼朝の偏諱を賜った武士(その一)―歴史雑感〔54〕―

06.30 蜂神社―歴史雑感〔55〕―

07.02 観自在王院―歴史雑感〔56〕―

07.06 毛越寺―歴史雑感〔57〕―

07.07 高館―歴史雑感〔58〕―

07.16 中尊寺―歴史雑感〔59〕―

07.18 柳之御所跡―歴史雑感〔60〕―

07.19 無量光院跡―歴史雑感〔61〕―

10.09 栗駒山と出羽三山(1)―栗駒山須川湖

10.11 栗駒山と出羽三山(2)―栗駒山須川高原

10.13 栗駒山と出羽三山(3)―羽黒山神社

10.14 栗駒山と出羽三山(4)―月山弥陀ヶ原

10.15 栗駒山と出羽三山(5)―湯殿山神社

11.29 箱根強羅公園

11.30 2021年の中国の祝日―中国雑感〔53〕―

12.31 2020年度記事目次

(2022.11.05)

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2019年度記事目次

歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2019年度記事目次」を転載します。

己亥年を終わるに当たって、2018年度(1~12月)記事目次を掲載します。なお、前回までは「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』2010年度記事目次」(2011年10月22日付)、「2011年度記事目次」(2011年12月31日付)、「2012年度記事目次」(2012年12月31日付)、「2013年度記事目次」(2013年12月31日付)、「2014年度記事目次」(2014年12月31日付)、「2015年度記事目次」(2015年12月31日付)、「2016年度記事目次」(2016年12月31日付)、「2017年度記事目次」(2017年12月31日付)、「2018年度記事目次」(2018年12月31日付)です。

では、庚子年がよいお年で。

01.01 鶴見神社初詣

01.22 2019年西安交通大学日語系東北会新年会

01.27 熱海梅園

01.29 伊豆山神社―歴史雑感〔42〕―

02.26 2019年大倉山梅林

04.03 2019年三ツ池公園の桜

04.16 西安交通大学日語系1期生卒業30周年同窓会

05.06 大唐西市博物館―中国雑感〔45〕―

05.08 宝鶏先秦陵園博物館―中国雑感〔46〕―

05.10 周公廟―中国雑感〔47〕―

05.22 平林寺&法台寺―歴史雑感〔43〕―

06.11 厳島神社―歴史雑感〔44〕―

06.12 大山祇神社―歴史雑感〔45〕―

06.13 善通寺―歴史雑感―〔46〕―

06.18 再訪小机城―歴史雑感〔47〕―

07.05 長春―中国雑感〔48〕―

07.09 長白山北線―中国雑感〔49〕―

07.12 長白山西線―中国雑感〔50〕―

07.15 五女山―中国雑感〔51〕―

08.30 比企氏伝承地―歴史雑感〔48〕―

09.12 さきたま風土記の丘・上―歴史雑感〔49〕―

09.16 さきたま風土記の丘・下―歴史雑感〔50〕―

09.27 2019年9月27日九寨溝観光再度一部再開―四川雑感〔28〕―

10.25 論文作成について―成都雑感〔163〕―

10.28 再訪宝光寺―成都雑感〔146〕―

10.30 再訪大慈寺―成都雑感〔147〕―

11.02 2019年秋週末の春熙路―成都雑感〔148〕―

11.04 2019年秋週末の天府広場―成都雑感〔149〕―

11.30 2020年の祝日―中国雑感〔52〕―

12.09 2019年横浜公園の紅葉

12.25 妙本寺―歴史雑感〔51〕―

12.28 能登

12.31 2019年度記事目次

(2020.01.08)

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2018年度記事目次

歴史と中国』http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512での「2018年度記事目次」を転載します。

戊戌年を終わるに当たって、2018年度(1~12月)記事目次を掲載します。なお、前回までは「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』2010年度記事目次」(2011年10月22日付)、「2011年度記事目次」(2011年12月31日付)、「2012年度記事目次」(2012年12月31日付)、「2013年度記事目次」(2013年12月31日付)、「2014年度記事目次」(2014年12月31日付)、「2015年度記事目次」(2015年12月31日付)、「2016年度記事目次」(2016年12月31日付)、「2017年度記事目次」(2017年12月31日付)です。

では、己亥年がよいお年で。

01.01 綱島諏訪神社初詣

01.30 西安交通大学日本語学科東北会新年会

02.10 相模国武士土肥実平の没年―歴史雑感〔38〕―

02.27 獅子ヶ谷横溝屋敷―歴史雑感〔39〕―

03.07 根岸森林公園の梅

03.10 2018年3月8日l九寨溝観光一部再開―四川雑感〔27〕―

03.28 鶴見川の桜と新幹線

04.12 西安交通大学日語系10期生卒業20周年同窓会

04.24 半坡博物館―中国雑感〔35〕―

04.28 漢長安城未央宮遺址―中国雑感〔36〕―

04.30 中国高速電車の商務座―中国雑感〔37〕―

05.02 魚鳧古城遺址―成都雑感〔160〕―

05.06 再訪永陵博物館―成都雑感〔161〕―

05.08 再訪宝墩古城遺址―成都雑感〔162〕―

06.02 熊野古道と熊野三山(上)―熊野中辺路と熊野本宮大社―

09.08 拙著『鎌倉幕府成立期の東国武士団』出版のお知らせ

10.05 西湖―中国雑感〔38〕―

10.06 銭塘江大逆流と西湖月見―中国雑感〔39〕―

10.09 黄山(1)―中国雑感〔40〕―

10.12 黄山(2)と屯渓老街〔41〕―

10.14 朱家角古鎮―中国雑感〔42〕―

10.16 外灘と黄浦江ナイトクルーズ―〔43〕―

11.30 境田貝塚―歴史雑感〔40〕―

12.07 2019年の中国の祝日―中国雑感〔43〕―

12.12 都築中央公園の紅葉

12.18 鎌倉史跡散策―歴史雑感〔41〕―

12.31 2018年度記事目次

(2019.03.01)

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『歴史と中国』のgooブログへの移管

2011年10月初旬以来、当地からアクセス不能状態が続いています。

本日、日本に帰国したので、アクセス可能となりました。そこで、2011年10月9日付「周口店北京猿人遺址(遺跡)―中国雑感〔10〕―」以後、『歴史と中国』をgooブログ、http://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512、に移管したことをお知らせします。

(2012.01.16)

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北京行

本日は国慶節です。この休みを利用して、2日から4日まで、北京に行ってきます。2004年以来です。

(2011.10.01)

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成都に戻る

昨日(2日)、成都に戻りました。ANA便は台風の関係になどで、短縮コースを飛行し、ダイヤより早く22時前に成都空港に着きました。成都空港の税関検査では、すべての乗客の荷物をX線(1台のみ)にかけるため、行列待ちでした。

成都は連日30度を越しているようで、まだ夏です。

(2011.09.03)

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『吾妻鏡』人名表記の史料的価値―歴史雑感〔10〕―

『吾妻鏡』人名表記の史料的価値

金澤 正大

阿部猛編『中世政治史の研究』2010年9月日本史史料研究会は、院政期から織豊期まで40編の論考を載せた、意欲的な論文集である。しかし、残念なことに、鎌倉期に関する論考中で、『吾妻鏡』の史料操作において、初歩的な疑問が見られることである。『吾妻鏡』が鎌倉前中期の基本史料であることはいうまでもない。だが、『吾妻鏡』は編纂物であり、八代国治氏『吾妻鏡の研究』1913年吉川弘文館、以来の諸先学が論じているごとく、幾多の誤謬・錯簡(中には作為的なものも)がある。従って、絶対的に信用できる史料ではなく、やはり厳密な史料批判が必要なことは周知のことである、

では、その諸論考における初歩的な疑問とは何であろうか。それは、『吾妻鏡』の人名表記を基本的に正しいとして、これのみを根拠に当該人物の官職を論じていることである。

具体的な例を出そう。佐藤雄基氏「公卿昇進を所望した武蔵守について」において、

建保六年七月八日条の行列の記事には、前駆の中に「民部権少輔親広」という表記が見える。この記事から七月八日の時点では親広は武蔵守ではなく(頁99)

と、この官名表記により大江親広の武蔵守の当該時期の現任を否定している。すなわち、この官名表記が正しいとされるのである。

この実証は正しいであろうか。氏自身が表二(頁118・9)に示しているように、将軍家政所下文の親広の署判は、建保四(一二一六)年八月十七日「民部権少輔大江朝臣」、建保五(一二一七)年六月二十一日「前遠江守大江朝臣」とあって、建保五年には民部権少輔を辞めていたことになり、民部権少輔ではなく、以前任官していた遠江守(建暦二〔一二一二〕年から建保三〔一二一五〕年にかけて。表二参照)を前官として、散位の表記としたのである。すると、先の『吾妻鏡』の官名表記は「前遠江守」「前遠州」となるはずである。すなわち、『吾妻鏡』の官名表記自体が正しいとはいえないことをこのことは示している。従って、上記の官名表記のみをもってなされる論証は不十分といえ、実証とはいえないのである。

次いで、氏は、

『鏡』建暦三年五月二日・三日条の和田合戦の記事に、義氏が和田方の勇将朝比奈義秀と戦って名を挙げたという記述が見えるが、そこでは「足利三郎義氏」「上総三郎義氏」と表記されており、無官の三郎に過ぎない。(頁100)

と、当該時期での足利義氏の任官(武蔵守)否定の根拠を、その人名表記に求めている。極めて素朴に『吾妻鏡』の人名表記を疑っていないのである。

これは正しいであろうか。その人名表記は『吾妻鏡』編纂における作為、すなわち誤謬であることは、拙稿「十三世紀初頭に於ける武蔵国国衙支配―武蔵守北条時房補任事情―」『政治経済史学』第二百二十二号一九八五年一月において、論証したところである。残念なことに、実朝将軍期の武蔵守を論じた氏の論考には、拙稿を見た気配が全く見られず、いわば先行論考無視の論述といわざるをえない。

また、『吾妻鏡』建保元(建暦三・一二一三)年同日条の人名表記を根拠として、足利義氏の元久二(一二〇五)年八月九日の任武蔵守を否定しているのは、前田晴幸氏「鎌倉幕府家格秩序における足利氏」(頁177)も同様である。しかも氏はこれに加えて、拙稿「武蔵守北条時房の補任年時について―『吾妻鏡』承元元年二月廿日条の検討―」『政治経済史学』第百二号一九七四年十一月を註として挙げ、

義氏の武蔵守補任時期を、(中略)金澤正大氏は建永二年(一二〇七)正月十四日とする。(頁177)

と本文で述べているのは、本当に拙稿を読んだのか疑うものである。何故ならば、拙稿は北条時房の任武蔵守年時が、承元元(建永二)年ではなく、承元四(一二一〇)年であることを論証したものであり、拙稿には足利義氏を一切記述していないからである。

以上のごとく、『吾妻鏡』の人名表記を疑うことなく、これのみを根拠として、当該人物の官職を論じるは実証不十分であることが理解できよう。

『吾妻鏡』の人名表記に、実際の官職(無官も含む)に関して誤謬がある例を二つ示そう。一つは、無官表記の時にすでに任官していた例である。北条有時がそうである。先ず、有時の任官歴を見よう。『関東評定衆伝』(『群書類従』第四輯補任部)によると、次の通りである。貞応元(一二二二)年十二月二十一日・任大炊助、貞永元(一二三二)年六月二十九日・叙爵、同日・任民部少輔、嘉禎三(一二三七)年七月十三日・罷民部少輔、同年十一月二十九日・任駿河守。

『吾妻鏡』での有時の人名表記は次の通りである。承久三(一二二一)年五月二十二日条に「陸奥六郎有時」と初見して以降、元仁元(一二二四)年六月十八日条に「同(陸奥)六郎」と所見するまで、無官を意味する「陸奥六郎」表記なのである。嘉禄元(一二二五)年五月十二日条で「大炊助有時」と初めて官名表記となるのである。すなわち、貞応二(一二二三)年十月十三日条と元仁元年条の「陸奥六郎」の無官表記は誤謬なのである。これを根拠に、有時の無官を論じるわけにはいかないのである。なお、嘉禎三年六月二十三日条に「駿河守有時」と見え、官名表記においても誤謬が見られるのである。

もう一つは逆に、無官にかかわらず官名表記の例である。安達景盛がそうである。景盛の官暦は『吾妻鏡』の卒伝記事、宝治二(一二四八)年五月十八日条により、建永二(一二〇七)年月日(十月二十五日改元し承元元年)・任右衛門尉、建保六(一二一八)年三月六日・任出羽権介(秋田城介)、同年四月九日・叙爵。

『吾妻鏡』での景盛の人名表記は次の通りである。正治元(一一九九)年七月十六日条の初見から正治二(一二〇〇)年二月二十六日条までは基本的に「安達(弥)九郎景盛」である。これが、建仁三(一二〇三)年十月八日条に「安達九郎左衛門条景盛」と、初めて官名表記が出現する。以後の所見は官名表記(但し、左衛門尉と右衛門尉が混合している)が基本となる。これに対して、建保六年十六日条に去六日の秋田城介の任官記事があり、これに対応して、以後の所見では同年六月二十七日条に「秋田城介景盛」と見えるように、基本的に「秋田城介景盛」表記となる。

以上、二つの例の人物は共に評定衆を勤めた(『関東評定衆伝』)幕府重臣である。かかる人物であっても人名表記は正確に官職表記を反映していないのである。すなわち、『吾妻鏡』の人名表記は当該人物の官職を正しく反映しているとはいえないのである。当然ながら、『吾妻鏡』の人名表記をもって当該人物の官職を論じる場合、特に正確な日時を論じる場合、『吾妻鏡』のみを根拠として論じてはならず、厳密な史料批判が必要なことが改めて痛感されるのである。

〔付記〕 本雑感は、論考批判ともなり、本来は研究ノート的ともすべき専門性を有しているので、デス・マス体ではなく、論文文体のダ・デアル体としました。

(2011.08.08)

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全日空NH948便の『カンフーパンダ』塗装機―成都雑感〔116〕―

2011年6月19日、全日空が日本の航空会社としては初めて成田成都間の直行便を開通しました。NH947便で、成田発15時35分・成都着22時20分です。翌20日、NH948便が成都~成田へ飛び立ちました。成都発9時5分(木・土8時55分)・成田着15時(14時50分)です。今回の帰国に当たっては本便を利用しました。内陸の直行便では、旧日本エアシステムの成田西安便、旧中国西南航空の成都成田便以来です。

本便就航に当たって、全日空は本便運行機ボーイング737-700に、四川省がパンダの生息地であることから、夏公開の米アニメ映画『カンフーパンダ2』のキャラクター塗装の機を運航させました。今回の私の搭乗機はその塗装機だったので、ここに写真で紹介します、

写真1は、成都双流国際空港でボーディングブリッジに付けられたNH948便の左側面です。

写真2は、右側面です。

写真3は、ボーディングブリッジ内から右側面をみたものです。

写真4は、成田では沖止めでしたので、降機後に右側面を撮ったものです。ご覧のように、『カンフーパンダ』の主人公ポーのキャラクタ-を描き、この右に「成田←→成都就航」とあります。

なお。6月16日からは中国国際航空もプログラムチャーター便形式で成都成田直行便を就航させました。この便は次の通りです。最初は木・土曜日の周2便でしたが、7月5日から火曜日が加わり、週3便運行です。

CA413 成都12時10分 成田17時40分

CA414 成田19時 成都23時20分

(2011.07.09)

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夏休み帰国

本日、夏休みの帰国をします。
今回は、先日に開通したANA直行便を利用します。
旧中国西南航空以来の直行便利用です。
戻りは9月頭の予定です。

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