イトーヨーカドー錦華店―成都雑感〔54〕―

 1222日(日)、成都市で3号店となる、イトーヨーカドー錦華店が二環路東五段29号の大型商業施設「万達広場」にオープンしました。199711月の市中心部の春熙店・2002年9月の市西南部の双楠店に次ぐものです。本広場は市東南部に位置し、二環路東四段・東五段と三官堂街・錦華路との交差点の西南角にある総合商業施設で、下の写真(二環路側から)でお分かりのように、中国での多くのこれらの施設と同様にマンションとなっています。この地上4階・地下1階にイトーヨーカドー錦華店は入っています。フロアの広さはしかとは分かりませんが、春熙店よりは広く、双楠店よりやや狭いといったところです。営業時間は9時~22時(繁忙期には延長)です。最寄りのバス停は成仁公文站と一環路東五段東站です。

 1階が「流行仕女館」(女性関係)、2階が「紳士運動館」(男性・体育関係)、3階が「温馨家居館」(厨房・寝具・小家電関係)、4階が「双楽児童/生活用品館」(児童関係と日用百貨など)、地下1階が「食品新鮮館」(総合食料関係スーパー)となっており、基本的には既存店と同じ構成となっています。

 特筆することは、4階に信州そばの郊外チェーン店の「サガミ」(中国名・盛賀美)が上海市に続き、中国で2番目の都市として成都市に初めて進出したことです。日本のソバ・ウドンを味わえることになりました。キツネ22元からエビ天入り鍋焼きうどん58元です。四川らしいのは、唐辛子とは別に、郫県豆板醤が出されることです。なお、双楠店には1階にカレー専門店のCoCo壱番屋が10月にオープンしました。

 最後に、ヨーカドーの過去の記事を示しておきます。

  イトーヨーカドー春煕店―成都雑感〔2〕―20041226日付)

  イトーヨーカドー双楠店―成都雑感〔3〕―2005年3月10日付)

  続・イトーヨーカドー双楠店(国慶節)―成都雑感〔3〕―200510月1日付)

  イトーヨーカドー双楠店「中日友好文化交流周」―成都雑感〔24〕―20061014日付)

  成都伊藤洋華堂春熙店・新鮮食品館―成都雑感〔40〕―2007423日付)

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(2007.12.29)

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日本語学科学生の見る日本アニメ―成都雑感〔53〕―

 日本語学科3年生の作文Ⅱにおいて課題として日本のアニメを取り上げ、一つの作品を選んで批評をさせました。以下は学生(46名)が選んだ21作品を多い順に並べたものです。

 

千と千尋の神隠し     6

犬夜叉          5

DEATH NOTE        3

NANA           3

NARUTO          3

スラム・ダンク      3

ラブ☆コン        3

彩曇国物語        3

ヒカルの碁        2

桜蘭高校ホスト部     2

美少女戦士セーラームーン 2

名探偵コナン       2

One Piece         1

アイシールド21      1

ちびまる子ちゃん     1

ドラえもん        1

藏の宿          1

死神           1

月の子          1

花の子ルンルン      1

花田少年史        1

 

 

かなり古いものから最近のものまで、子供向けから成人向けまで、と時代的にも世代・内容的にも広範囲にわたって作品が選ばれていることが分かります。

 現在の学生は、すでに小学校時代に『鉄腕アトム』などをテレビで視聴し、日本のアニメの洗礼を受けた世代です。これで日本・日本語に目を向け、日本語学科への進学のきっかけとなった学生もいます。それとともに、西南交通大学大学西門の交大路にはフィギュアなどを扱うアニメ専門店があり、コスプレの大会も行われており、いわゆるアニメオタクがすでに中国に定着していることを示しています。最新の日本アニメでもインターネット上でダウンロードされて視聴されており、とりわけ中国の若者にとってアニメといえば日本アニメというほど親しみのおけるものなのです。そこで、どんなアニメに興味あるか、その一端の資料として狭い範囲ですが学生の選んだアニメ作品を示すわけです。皆さんはこれら作品をどう考えるでしょうか。

(2007.12.23)

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北京日本学研究中心・松岡榮志教授講演―成都雑感〔52〕―

 13日夜8時から、西南交通大学犀浦キャンパスにおいて日本語学科の学生を対象に、北京日本学研究中心(センター)主任教授として赴任中の、東京学芸大学松岡榮志教授による「日本の漢字・中国の漢字」と題する講演会を開きました。日中の漢字に関して、未来への見通しも含め貴重なお話を伺いました。下の写真2417教室の後方から講演中の松岡教授を撮ったものです。なお、本学期から、この2号館の教室には、パソコン・視聴覚設備が設置され、写真のように講義や講演に活用されています。

 071213松岡榮志教授「日本の漢字・中国の漢字」講演会 010

 (2007.12.14)

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武陵煨珍単鍋―成都雑感〔51〕―

 麻辣味の四川料理に堪能したら、箸休めに「武陵煨珍単鍋」はいかがでしょうか。これは簡単にいうと野生キノコ鍋です。張家界(世界自然遺産)を含む武陵源地区は湖南省西北部を中核として、広く貴州省・重慶市(旧四川省)・湖北省の省境を含む地区で、山地として野生のキノコ類の豊富な地です。この野生のキノコ類を主体とした料理が「武陵山珍」です。これに新たな工夫を加えて、1996年、苗族(貴州省を中心に、雲南省・四川省・重慶市・湖南省・湖北省などに分布する少数民族)出身の、「武陵世家」(成都市琴台路57号 電話028-8611-1967)現会長石勝利氏が創案したのが「武陵煨珍単鍋」です。もちろん、これ以外にも武陵山珍の鍋を食べさせる店はあります。が、なんといっても「武陵世家」でしょう。

 「武陵世家」の最寄りバス停は十二橋路(市内を東西に貫く蜀都大道)の通恵門站です。5・1343475864901路などがここに停まります。ここより東に直ぐの十二橋を渡ると、右(南)に大きな牌碑が迎える琴台路が通じています。この約800m弱の琴台路は明清代を模した建物が道の左右に並んだ、成都市で最初に観光用に再開発された街です。レストランや宝石・茶専門店などが軒を連ね、ホテルもあります。なお、この道は錦里とは異なり広く、自動車も通行しますし、駐車スペースもあります。

 さて、写真に見るように「単鍋」、すなわち大鍋ではなく一人用の小鍋です。この点、中国では珍しいです。まず、武陵湯・烏子湯(烏骨鶏)・鴿子湯(鳩)からベースのスープを選びます。今回は烏子湯(12元)です。具の基本となるキノコ類として松葺・猴頭菇(山伏茸)・雪葺・竹蓀(絹傘茸)・茶樹菇の5種類を頼みました(この他、羊肚菌・鶏樅・霊芝など10数品)。ウエイトレスがそれぞれの鍋へ順にキノコ(小皿 20元程度から)を入れてくれます。煮立つ間は鍋の右に見える小椀の烏子湯を味わいます。淡泊でわずかに塩味の効いた味わいやすいものです。煮立つと、キノコを鍋の右上に見えるタレに付けて食します。ご覧の色のように、成都らしく豆板醤がたっぷり入っていますから、別に付けなくともそのまま味わってもいいものです。その後、肉・野菜類を適宜入れて楽しみます。このように「武陵煨珍単鍋」は野生のキノコを主体とした鍋として、自然食品として健康的で滋味に富んだ鍋ということができます。そして、酒としては紹興酒(1瓶65元から)が合うようです。以上、飲料は別にして、だいたい1人50元程度くらいから楽しめます。

 なお、本店は鍋以外にも「武陵王」(スッポン)という名物料理など、各種のメニューがあり、武陵山珍料理を楽しめますし、土族・苗族の民謡の歌唱・演舞のサービスもあります。

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(200.11.10)

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望叢祠―成都雑感〔50〕―

 

今回は成都市西北郊外22㎞にある成都市郫県県城の望叢祠を紹介します。望叢祠は古蜀王国の王、望帝と叢帝を祀ったところです。

まず簡単に、両帝のことを紹介します。古代の蜀(四川省)で初めて王として登場したのは蜀侯蚕叢で、養蚕を興したとされています。次いで柏灌、魚鳧と継がれ、彼達も数百年続いたとされており、漁業(鵜飼)の象徴とされています。次いで、杜于が自立して蜀王となり望帝と名乗り4百年ほど続き、農業を盛んにします。次いで、治水に功のあった宰相鼈霊(楚人)に位を譲り、鼈霊は叢帝と称して百数十年治め、その子孫が12代続きます。これが開明氏の蜀国です。開明氏の蜀国は、BC316年、北の秦国恵文王の派遣した司馬緒によって滅ぼされます。以上が史書(『史記』、後漢末BC1世紀の揚雄『蜀王本紀』、西晋4世紀の常璩『華陽国志』)の示している、いわゆる古蜀王国の歴史です。現在では、BC1700~1200年(夏晩期~商後期)の三星堆文化の時代が蚕叢・柏灌・漁鳧の3代、金沙遺跡に代表されるBC1200~500年(商後期~春秋)の十二橋文化の時代が望帝以後に相応するのではないかと考えられています。もちろん、黄河文明の三皇五帝が伝説のものであると同様に、蚕叢以下も伝説的存在で、史実そのものではないことはいうまでもありません。ですが、黄河文明とは異なる独自の文明である長江文明の古蜀を象徴する伝説的存在が彼等なのです。この意味からいうと、時代的には相違しますが、三皇五帝の黄帝に相当するのが蚕叢、堯帝に相当するのが望帝、夏王朝の始祖とされる禹王に相当するのが叢帝ではないでしょうか。

さて、望叢祠はこの望帝と叢帝を祀る地として陵のあるところです。もちろん伝説上の帝ですから、この両陵とも伝説上のものです。望帝の陵は最初、現在の成都市から西北に50㎞あまりの都江堰市の都江二王廟のある玉塁山麓にあり、崇徳祠と称していました。南北朝の斉明帝の時(494~98)、郫県の現在地にこれを移し、叢帝陵と合併し、以後、望叢祠と称するようになりました。宋代に新修造されましたが、明末の戦乱で陵を除き破壊されました。清の道光14(1834)年に修造されて、約1.5ha弱の地を占めるようになりました。光緒33(1904)年に祠の東に聴鵑楼を建てました。中華民国の1915年に祠の後面に庭園を作りました。1884年、郫県政府が大規模な修造を行い、現在は祠の面積は5.5haとなっています。1991年、祠は四川省文物保護単位(史跡)に指定されました。

望叢祠は郫県県城の南西部に位置します。成都市からの交通は、まず金沙公文站からの305路で終点の郫県客運中心站に行きます。なお、以前はこのバスの終点は望叢祠でしたが、客運中心站が新設されたことにより、終点が客運中心站になりました。40ほどの停留場があるため、金沙から郫県県城まで1時間以上はかかります。運賃は2.5元(エアコン車は3元)です。金沙で満員となり、郫県に入るまで降車客はいませんから、金沙で乗るべきです。郫県客運中心站は西灌西路(国道213号―成都市と都江堰市を結び、その先甘粛省省都蘭州に繋がる)と二環路(望叢西路)との西南角に位置しています(なお、現在二環路は全面道路工事中です)。ここより、二環路に道を取り、1.5kmほど徒歩で南下すると望叢祠前に着きます。入場料は5元で、開館時間は掲示していませんから不明ですが、他の観光地と変わらないと思いますから、8時~18時ではないでしょうか。入口の大門の左側に窓口があります。

大門を入ると、正面に写真1に見る、「望叢祠」壁が目に入ります。現在の壁が何時できたものか、説明がないため分かりませんが。壁の後方に見える建物が望帝叢帝紀念堂(記念堂)です。これは1993年に改築されたコンクリート製の建物です。

071027郫県・望叢祠 004

この中に祀ってあるのが写真2に見る、望帝と叢帝の塑像です。左が望帝で、右が叢帝です。これも説明がないため何時のものか分かりません。堂内の壁には両帝を中心に古蜀王国の説明が掲示されています。

071027郫県・望叢祠 008

紀念堂の後面に出て、橋(左右は池)を渡り直進し、左手に階段を上ると、望帝陵正面に出ます。がこれです。正面に1919年に四川省督軍の熊克武の建てた「古望帝之陵」碑があります。望帝陵は高さ15m・周囲約200m余の長楕円形(軸は南東・北西)のものです。陵は古柏で覆われており久古を感じさせます。正面の祭壇の後方は階段となっており、本来はそこから上り陵の前に出るのです。以上、地形を見ますと、元来の丘が整備されて陵と化したといえます。いわば自然地形を生かしたものなのです。この点で、陝西省黄陵県にある黄帝陵が自然の橋山山上にあり、山自体が陵墓とされているのと、同様に考えることが出来ます。すなわち、望帝陵は人工によるものではなく、自然の丘(山)を、後世の人がそれを陵墓として祀るようになったのです。望帝は郫に治したとある(『蜀王本紀』)ので、平地のこの付近で自然地形上の丘といえば、その地しかないのです。

071027郫県・望叢祠 020

望帝陵から下って直進し、道を左(北)へ池を越えていくと、写真4の叢帝陵の正面に出ます。叢帝陵は高12mで、直径20mほどの円形をしています。これも古柏に覆われています。地形を見ますと、望帝陵からの続きの丘の稜線の末端が叢帝陵に相当します。ですから、この陵も自然地形を利用したものといえます。この陵の後方へと道を取ると、聴鵑楼に出ます。そして、望帝叢帝紀念堂へと戻ります。

071027郫県・望叢祠 021

最後に、望帝陵の南には博物館が設置されて、郫県の遺跡発掘品の展示などがなされています。また、紀念堂の右手の池に面して、レストランが設置されており、同時に池畔に竹椅子を出して、四川の茶館を楽しめます。四川人の麻雀好きを表すように、麻雀卓も用意されています。この望叢祠は成都・都江堰間に位置していますから、都江堰観光の帰り、時間的余裕があるならば、寄られるのもいいでしょう。

(2007.10.28)

 

追記  古蜀王国に関しては、「金沙遺址(遺跡)博物館―成都雑感〔39〕―」(2007年4月19日付)を参照してください。(2009年1月7日)

 

〔追々記〕 フォトアルバム「成都(郫県)・望叢祠」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpIQnLgHFWfVvql5tQです。

(2011.09.30)

カテゴリー: 観光(成都) | 3件のコメント

武漢から戻る

4日(木)の厦門航空MF8447便で、武漢から成都に帰ってきました。
が、1時間ほど前に搭乗待合室に入った時、定刻(17時)出発と表示がありましたが、
その後、18時と遅延表示になり、結局、18時10分過ぎに出発となりました。
結果、部屋に戻れたのは21時を回っていました。
武漢は半袖のまだ夏状態でした。
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武漢行き

明日から国慶節のゴールデンウィークです。前年はビザ手続きの関係で、手元にパスポートがなく、動けませんでした。
が、本年はそのこともなく、前半は卒業生のいる武漢を訪れることにしました。後半は成都にいます。

イトーヨーカドー双楠店の1階に、10月10日、カレーのCoCo壱番屋が成都に初お目見えします。

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新型タクシー導入―成都雑感〔49〕―

 8月25日から成都市に新型タクシーが導入されました。慢性的なタクシー不足を補う増車(500台の予定)です。車種は上海大衆(フォルクワーゲン)の成都市初登場の「SAGETER」です。中国大都市では最低といわれていた料金は、初乗り5元(深夜22~6時 6元)を7元(8元)、と初乗り料金が値上げとなりましたが、1キロ毎の追加料金1.4元(1.7元)は従来どおりです。この結果、旧タクシー変わらず、新型タクシー値上げと、初乗り料金のみが二本立てとなりました。

 写真1は新型タクシーの前から外観を眺めたものです。

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  写真2は横断歩道橋から上面を撮ったものです。

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 そして、写真3は同地点から新旧のタクシーをとらえたものです。以上により、旧タクシーが黄色と緑か青とのツートンカラーに対して、新型タクシーは薄緑の塗装で足回りがシルバー色であることがお分かりでしょう。同時に、新旧のカラーニングで最も異なるのは、ボンネット上面のマークが新型タクシーでは「太陽神鳥」であることです。旧来はこれがパンダで、成都を訪れる日本人にパンダの街として印象づけていました。この「太陽神鳥」とは、およそ3000年前の古蜀王国の遺跡、成都市金沙遺跡の発掘遺物中の白眉「太陽神鳥金箔」のことです(遺跡の詳細については「金沙遺址(遺跡)博物館―成都雑感〔39〕―」をご覧ください)。パンダは中国の宝にして四川省全体のシンボルなのです。ですから、成都市では「太陽神鳥」を新たな市のシンボルとして掲げているのです。したがいまして、新型タクシーのシンボルマークもパンダから太陽神鳥になったわけです。なお、パンダは新たに給油口のイラストとして健在です。

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 最後の写真4は、たまたま901路「成都観光」オープン二階建てバスが見えたので、横断歩道橋上から人民東路・総府路(東西)と順城大街(南北)との交差点を人民東路(成都市の中央広場の天府広場に通じ、毛沢東立像前に)へと左折しようとしているところを撮ったものです。中央の赤いバスがこれです。二階が全面的にオープン仕様なのがお分かりでしょう。なお、左端に自転車群が信号待ちしていますが、パラソルの下のoreオレンジ色服の人が交通整理員で、信号を守らないと笛を吹いて停止させられますから、写真のように整然とライン前で信号待ちしているわけです。

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(2007.09.22)

 

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訪中中央大学法学部学生交流会―成都雑感〔48〕―

 13日(木)午後、訪中の中央大学法学部ゼミ学生17名と西南交通大学日本語学科学生の交流会を学部生のいる犀浦キャンパスで行いました。中大生は8月下旬より1か月間、北京・新彊・チベット・成都などを回り、日系会社・大学などを訪問し、観光とともに研修と交流を深め、上海から帰国の予定です。この研修旅行の一環として、本大学を訪問されたわけです。

 日本語学科の学生にとっては、犀浦キャンパスが郊外にあるため、キャンパス内・周辺には日本人がおらず、通常ネイティブ・スピーカー(母語話者)と話す機会は、日本人教員以外に皆無といってもいい環境なのです。ですから、このような日本人との交流会は、生の日本語に接する機会であるとともに、自身の会話のチャンスでもあるわけです。とりわけ、同世代の大学生同士であれば、興味・思考からいっても最もいいことになります。

 交流会は少し遅れて14時半過ぎに教学1号館に新学期から設けられた「外語沙龍」(外国語サロン)という部屋で行われました。ここは外国語の本・雑誌(まだ英語のみ)が備えられ、ソファーや飲み物もあり、ゆったりと過ごせる場所となっています。日中双方の学生はテーブル毎に数人のグループに分かれ懇談に夢中になりました。やはり若者らしく、人気タレント(特にキムタク)のことなどが話題になりました。その後、場所を移して、バスケットボールやバレーボールを楽しみ、中大生が野球ボールとミットを持ってきていたので、本学の学生は初めて硬球を握りキャッチボールを体験しました。17時過ぎに参加のみんなで見送り、今回の交流会を終えました。

 写真1は「外語沙龍」での交流会における本学日本語学科学生の歓迎挨拶風景です。奧に本棚とカウンターがあり、この左手に見えるのが飲み物の機器で、その左手は別室になっています。

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 写真2は交流会最後のキャッチボール風景です。総合グランド前の広場で、隣がバスケットボール場です。後方の建築中のは住宅団地です。

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 なお、この両日、終日晴天で雲一つない時もあり、曇天が普通の成都にとってまことに珍しい天気でした。おかげで、長袖から半袖に逆戻りです。

(2007.09.15)

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成都に戻る

本日午後、CA422便にて成都に戻りました。ほぼ定刻通りの15時45分着でした。
来週の月曜日から新学年度の開始です。
今日の成都は雨模様で、成都空港到着前の案内では気温も22度とのことで、
夏も終わり、秋モードに入ったことを示してるようです。

追記  先ほど成田空港のWebサイトで確認したところ、
本日のCA421便は欠航になっていました。
ですから、明日の便でしたら、まさに欠航となります。
危うく台風の影響を避けえました。
(2007年9月6日北京時間21時20分)

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「神鳥谷曲輪」城館遺跡―歴史雑感〔8〕―

 

2007年8月11日(土)10時から栃木県小山市神鳥谷字曲輪の「神鳥谷曲輪(ひととのやくるわ)現地説明会」が開かれました。同遺跡地内の開発に伴う発掘現況の説明会です。当日は夏の晴天で猛暑の中、50名を超える参加者があり、小山市教育委員会秋山隆雄氏から、遺跡の発掘成果と出土品に関して説明がありました。

当遺跡は中世の城館遺跡として知られており、下野国の平安時代以来の豪族武士小山氏関係の城館と考えられております。当遺跡はJR小山駅の南900mほどの所、東北本線で分断されて東西約160m・南北約200mの方形に土塁を巡らし、この回りに20m程度の堀で囲まれていたと推定されています。典型的な中世武士の方形単郭館と考えられているわけです。

今回の発掘地は本館の中央部と推定される所で、写真1は発掘現場全景を南側から北に向けて撮ったものです。右側(東)に東北新幹線の高架線が走っているのがお分かりでしょう。後方左に見えるビルが小山パレスホテルで、この前を東西に走っている道路辺が本館の北限と推定されています。発掘現場は南側に掘立て柱跡などが希少で、中央部に大井戸跡があり、後方に多数の建物柱跡などが見られます。ですから、本館の南側部分は弓場などの平場とし、中央に中心の井戸を配して、この東から北側に館の主要建物があったと私は推察します。

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写真2はその大井戸跡(14号井戸)で、秋山氏が説明しているところです。本井戸跡は外径約4mの円形の中央に、さらに約1mの方形に粘土層まで掘り、この方形を木枠(写真で、方形の下部に見えます)で押さえて、各面を5枚の立て板で覆い、この木枠と立て板を何段(7段と推定)か重ね、井戸を確保した構造となっており、他の掘切の井戸(約1m程度)とは構造も大きさも段違いで、まさしく館の中心井戸と推定されるものです。現在でも井戸跡地には地下水が流れ、このため木枠などが朽ちることなく保存されていたわけです。なお、井戸内からは青磁片などが出土しています。

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写真3は発掘現場東北角より見た道路跡です。ちょうど東南方向へ走っています。道路幅は約4mで、写真に見るようにこの両側に溝を切っていますし、道路全体は地表面から掘り下げられており、本館の南西約1kmの小山市外城・神鳥谷境辺で発掘された道路跡(奧大道と推定)と、これらの構造や作りは同じです。ただ道路幅が半分であることから、その支道と推定されています。ですから、この方向から、本館の南南東約4kmの小山一族の伝塚田館(小山市塚崎字八反田)へと通じる道と考えてもいいのではないかと私は思います。また、写真を見ればお分かりのように、道路面には建物柱跡や井戸跡が多数あり、これらは道路の後の時期に掘られたもので、より新しい時代のもので、それに当道路面からは多量のかわらけ類が出土し、これらの制作年代は14世紀後半と考えられています。これらのことから、この道路は14世前半の鎌倉時代後半までには建設されていたと推定されています。

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以上の外、出土品として、井戸木枠・立て板片、かわらけ・青磁片・陶器片・漆器片・将棋駒などが展示されていました。本遺跡の発掘状況と出土品を総合的に判断すると、14世紀(中期以降か)に築かれた武家館と考えるのが本時点では妥当ではないかというのが発掘側の見解です。なお、現在井戸の木枠の伐採年代測定に出しているとのことです。

写真4は、写真3の左端奧に東北本線の向こうに見える緑の部分、すなわち本館遺構で地表に唯一現存する土塁跡を、東側から撮ったものです。写真に見るように、1982(昭和57)年10月1日建設の小山市による「史跡曲輪館跡」の碑が建てられて史跡であることを示しています。

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(2007.08.12)

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五能線「リゾートしらかみ1号」と三内丸山遺跡

 

7月29日(日)から31日(火)にかけて東北に出かけました。経路は、21時45分上野駅発寝台特急「あけぼの」で翌日6時46分秋田駅着、8時26分秋田駅発快速「リゾートしらかみ1号」で13時30分青森駅着、三内丸山遺跡見学後、浅虫温泉泊、翌々日9時58分浅虫温泉駅発「つがる12号」で10時45分八戸駅着、最後に10時56分八戸駅発「はやて12号」で14時8分東京駅着です。今回の主点は「リゾートしらかみ」に代表される各種の列車に乗ることで、いわば東北一周列車の旅というわけです。このついでに、縄文遺跡を代表する青森・三内丸山遺跡の見学と、浅虫温泉で温泉入浴・海の幸を堪能することです。

以下、「リゾートしらかみ1号」と三内丸山遺跡の写真をお見せすることで、今回の旅行の一端をお示しします。写真1は、秋田駅で発車を待つ「リゾートしらかみ1号」です。これは青池編成(他に橅編成とくまげら編成)の車両です。ホームにはすでに運転手と車掌がいて乗り込む寸前です。なお秋田発時点では3号車が先頭です。

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東能代駅で五能線に入り車両方向が逆転し、1号車が先頭になります(A席が海側)。やがて海岸線と平行に走るようになり、岩館駅と大間越駅間の景観地では、車掌の案内放送とともに列車は徐行運転となり景観をゆっくりと楽しめるようになっています。これが写真2です。

 

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次いで十二湖駅・ウェスパ椿山駅を経由して、深浦駅に着きます。ここで、五能線が単線のため、青森からの「リゾートしらかみ2号」と待ち合わせをして、行き違いとなります。今回の2号はくまげら編成でした。写真3は深浦駅での1号です。ほぼここまでで、秋田駅等からの乗客はほとんどが降りてしまい、極めてゆったりとした車内となりました。すなわち、多くの乗客が五能線内の観光地を見るため、「リゾートしらかみ」などを乗り継いで旅をするからです。午後の便では逆に多くの乗客で賑やかになるでしょう。

 

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深浦駅を発した列車は千畳敷海岸で再度車掌の案内と徐行運転となり景観を楽しめます。これが写真4です。

 

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鰺ヶ沢駅からは車内イベントとして津軽三味線の2人組が乗り込み、五所川原駅まで生演奏と民謡の歌唱が行われます。写真5がその生演奏です。この生演奏を楽しみながら、車内販売の駅弁(「白神浪漫」850円)とビールで昼食としました。以上で五能線の基本的な旅は終わりで、弘前駅を経由して、終点の青森駅に時間どおりに到着しました。

 

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青森駅に降り立ち、次の目的地の三内丸山遺跡に向かいました。ここは現在では縄文文化を代表する遺跡として著名なもので、特に大型掘立柱建物の復元建物は目を見張らせるものです。現在でも発掘が継続しており、写真6は環状墓石跡と考えられる遺跡の発掘作業中のものです。

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写真7は大型掘立柱建物跡で、保護のため温度湿度調整のなされた建物で覆われています。

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同様に保護された建物に覆われたのが、写真8の南盛り土跡で、1000年以上に渡る生活廃残物などが集積されたもので、ここから貴重な遺物・資料が採取されました。

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なお、三内丸山遺跡へは市内バス(免許センター行・三内丸山遺跡前下車330円)が駅前よりありますが、1時間に1・2本しかありません。

青森駅からJRで浅虫温泉駅に降り立ち、今夜の宿(「割烹旅館さつき」)へ向かいました。この宿はこぢんまりとしており、落ち着いて個人客向きでした。まずは温泉につかり汗を流し、そして海の幸を全ての品に用いた料理が、冷酒と見合って、舌を楽しませてくれました。

翌朝も温泉を楽しみ、浅虫温泉駅から、「つがる12号」・「はやて12号」と乗り継いで、午後には帰宅して、今回の旅を終えました。

(2007.08.01)

 

〔追記〕 フォトアルバム「五能線「リゾートしらかみ」と三内丸山遺跡」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngrNeehNCFZqRFb7eOQです。

(2011.09.30)

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本日無事帰国

本日(16日)午前0時過ぎ、想定の範囲内で自宅に戻りました。

13時20分発のCA421便は20分遅れで成都を出発し、21時成田着が21時41分着と、この便としては想定の範囲内での遅れで日本に到着しました。ただ、今日は台風4号のため、一時成田空港が閉鎖されたので、それで溜まった便の着陸が再開後に集中したため、最終便であるCA421便の入国検査は普通はたいした列が出来ないのに、今日は全ての列が満杯で、検査後にターンテーブルに行ってみると、すでに託送荷物は回っていました。この便では初めての経験です。22時5分過ぎに横浜行のリムジンバス券を購入し(この時点で走っているのは東京・新宿・横浜のみ)、リムジンに乗り、横浜からタクシーで帰ってきました。この経路はCA421便を利用するときの通例ですから、私の想定の範囲内でした。

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夏休み帰国

本日(15日)、いつものCA421便にて夏休みの帰国です。今回は、中国国際航空の「里程奨励」(マイレージ)を利用したものです。往復3万キロですが、変更不可です。戻りは9月6日と予定しています。なお、取れた航空券の関係で、この日程は当初の予定より数日短くなりました。
さて、台風4号の本土襲来が問題です。私は中国入国・出国いずれの便でも台風によるキャンセルの経験があり、今回もその可能性が高そうです。現時点(9時半)、成都双流空港のサイトでの離発着情報には何の掲示もありませんから、ともかく空港に行くしかありません。それではまた。
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宝光寺―成都雑感〔47〕―

 

宝光寺は後漢創設と伝えられ、長江四大禅林の名刹です。成都市の北郊19kmの新都区に位置しています。約10haの敷地内に、1塔5殿16院(庭)があります。舎利宝塔、山門・天王殿・七仏殿・大雄宝殿・蔵経楼です。拝観は8時から17時半までとなっており、拝観料は5元です。

宝光寺は後漢創立と伝えられ、最初「大石寺」と称していました。史書の確実な記載の最初は唐代の713(開元元)年ですから、伝えはともかく、1300年あまりの歴史をもつ古刹です。しかし、唐末の黄巣の乱で、四川に逃れた僖宗が当寺を行宮として滞在し、この関係で寺と舎利塔を建て直し、881(中和元)年、寺名も「宝光寺」と改められました。宋代に最盛を迎えましたが、明滅亡の崇禎年間(1640~4年)の兵火で全山焼失し土台のみが残りました。清代の1670(康煕9)年に再建されて、その後、増改築がなされ現在の姿に到っています。

成都からの交通のことです。北門車(梁家巷)站~新都汽車中心(鐘楼)站の650路、鐘楼站~宝光寺站の8路と乗り継ぐことで、成都市内から宝光寺へ到達します。北門車站は一環路と解放路の交差点の北東角に位置します。ここで、650路に乗車します(二環路と解放路の交差点の高笋塘站からの乗車も出来ますが、始発で満席となり、乗客は新都区まで乗車しますから、立ちっぱなしとなり、お勧めできません)。運賃は3元で、乗車してから車掌に払います。終点の新都汽車中心站で降ります。約40分を要します。この站は蓉都大道(南北)と桂湖東路の交差点の南西角に位置します。

8路の鐘楼站は交差点を渡って、左(西)に桂湖東路に入ったところにあります。鐘楼~小花園~鎮政府~東環路~宝光寺と四つ目の宝光寺で下車(1元)すると、客運站前で、道(宝光大道)を進行方向(西)へ少し行くと右(北)に宝光広場が広がります。ここを進めば、300mほどで宝光寺です。実は、宝光寺へのバスは幾つかあるのですが、新都区のバス停表示は路線により異なり、またバス停自体に名前表示がないため分かりにくいので、間違いのない8路のみを記します。なお、徒歩で行く場合は、桂湖東路・桂湖中路と歩き、右(北)に新中路と折れて進み、東街・西街との食い違い交差点に出、左(西)に曲り、直ぐに右(北)に北街に道を取り進めば、宝光広場に到達します。中心站から寺まで歩いて30分は要します。

さて、以下に写真をお見せし(本記事登載以外に、フォトアルバム「成都(新都区)・宝光寺」を参照)、寺内を紹介していきます。まず、写真1は山門です。門の左側が入寺口です。現存の山門は清代後期の1835(道光15)年に建てられたもので、門内の両側左右に1体の密跡金剛力士像を捧持しています。

070709宝光寺 (1)

山門から進むと天王殿です。1863(同治2)年に再建された天王殿には、写真2に見るように、弥勒菩薩像と左右に四天王像を捧持しております。また、殿裏は1413(永楽11)年に創建され1863年に再建された尊勝幢で、このことから天王殿は尊勝宝殿とも呼ばれます。

070709宝光寺 (18)

天王殿を出て、前を見るとそびえ立つ舎利宝塔が目に入ります。写真3は宝塔を正面から撮ったものです。高30m・13層の煉瓦造の宝塔は、唐代の中和年間(881~5)創建で、四面に仏像が彫られていますが、時代を経て今ではご覧のようにしょうしょう傾いでいます。現存する寺内建築物の最古参が宝塔で、寺のシンボルともいえるものです。

070709宝光寺 (24)

宝塔の奧の建物が写真4の七仏殿です。1861(咸豊11)年に再建された七仏殿には釈迦無尼仏像とそれ以前の六仏像が安坐しており、殿裏には韋駄天菩薩像が捧持されています。

070709宝光寺 (32)

七仏殿を抜けると、寺内の中心、写真5の大雄宝殿が聳えます。1859(咸豊9)年に再建された宝殿は約700㎡で36本の石柱に支えられた建物で、殿内中央に釈迦無尼仏像が安坐しております。

070709宝光寺 (42)

寺内の最奥が写真6に見る蔵経楼です。楼は高30m・延面積約1000㎡で、1848(道光28)年の再建です。楼内には大蔵経336冊以下が納められています。楼の左右には東・西方丈が接しています。西方丈北側の西花園にチベット仏教ゲルク派の創始者ツォンカパ(1357~1419)を捧持した密壇があり、四川の仏教界とチベット仏教の関係が深いことが察せられます。

070709宝光寺 (46)

さて、楼前の右側に通路があり、ここを進むと1851(咸豊元)年創建の羅漢堂前に出ます。門をくぐると右が羅漢堂です。ここには557体(祖師59体・羅漢518体)の像が捧持されています。自然光の中でいろいろな表情をした羅漢像を目にすることが出来ます。この羅漢像は清代後期の作で、これだけの羅漢像を一同に見ることは他では望めず、圧巻といえるもので、寺内の目玉的存在といえます。写真7はこの羅漢像の一例です。ただし、この堂内のみが撮影禁止です。ですから、この写真はいわば盗み撮りしたものです。しかも、ストロボを使用しない(羅漢像保護からも当然)自然光だけですから、撮影条件は厳しいです。羅漢堂の奧には石彫舎利塔(1906年)と玉仏殿があり、玉仏殿には南北朝時代の梁代作とされる玉仏が安置されています。

070709宝光寺 (57)

羅漢堂を出ると、前に両側を赤壁に覆われた道があります。これを歩むと、舎利宝塔の横に出ます。写真8は舎利宝塔を背景にしてこの道を撮ったものです。この赤壁に覆われた道は四川によく見られるもので、成都市内の武侯祠や杜甫草堂にもあります。

070709宝光寺 (73)

以上のほかにも、寺内には茶園(茶館)があり、のんびりと休み茶(3~10元)を楽しめますし、精進料理レストランもあります。また、寺内西側には高僧塔林があり、当寺の高僧が眠っています。

最後にトイレですが、とかく中国のトイレは日本人に評判がよくありません。しかしながら、当寺のトイレは最新のもので一級の設備を整えてあります。西側のトイレの一端を説明すると、身障者用の個室トイレ設備(フォト「成都(新都区)・宝光寺」23枚中22番目写真参照)があり、また、一般の便器は中国式の跨座式ですが、TOTO製を用いており、もちろん個室鍵付で小さいながらも物置用の棚も設置され、ハード的には5星級のホテル並みです。この点、例えば、金沙遺址博物館南門脇の駐車場の公衆トイレもTOTO製を用いており、成都の観光地でのトイレ事情はハード的にはよいものとなっております。

(2007.0710)

 

〔追記〕 フォトアルバム「成都(新都区)・宝光寺」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngrNtdj6XjAWqfKPviwです。

(2011.09.30)

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2007年度前期記事目次

 2007年前期(1~6月)の記事目次を掲載します。なお、前回までの記事目次は「ブログ開設1周年記念・記事目次」(20051124日)、「2005年度後期記事目次」(同年1231日)、「2006年前期記事目次」(2006年6月30日)、「2006年度後期記事目次」(同年12月31日)です。

01.11 氷の九寨溝へ

01.15 冬の九寨溝―四川雑感〔5〕―

01.18 冬休みの帰国

03.02 成都に戻る

03.08 交差点の観光地案内標識―成都雑感〔34〕―

03.11 天府広場新装オープン―成都雑感〔35〕―

03.25 DVDソフト事情(10)昨今の日本のテレビドラマ―成都雑感〔4〕―

04.01 901路「成都観光」オープン二階建てバスの経路変更―成都雑感〔36〕―

04.06 山珍老鴨湯―成都雑感〔37〕―

04.12 学生アルバイト募集ビラ―成都雑感〔38〕―

04.16 速報・金沙遺址(遺跡)博物館開館

04.19 金沙遺址(遺跡)博物館―成都雑感〔39〕―

04.21 5月19日成都伊勢丹開業予定

04.23 成都伊藤洋華堂(イトーヨーカドー)春熙店・新鮮食品館―成都雑感〔40〕―

05.01 陳麻婆豆腐調料―成都雑感〔41〕―

05.10 第三学生食堂の値上げ

05.19 成都伊勢丹オープン―成都雑感〔42〕―

05.26 人身事故に遭遇―成都雑感〔43〕―

06.06 続・成都市バスの新ボディーカラー―成都雑感〔44〕―

06.11 成都市のバス検索サイト―成都雑感〔45〕―

06.24 成都市内バス「公文電子站牌」―成都雑感〔46〕―

06.30 2007年度前期記事目次

(2007.06.30)

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成都市バス「公文電子站牌」―成都雑感〔46〕―

 この5月に設置され、6月から本格的な試験運用に入ったのが、「公文電子站牌(Erectronic Bus stop Information System)」、すなわち成都市バス運行情報システムです。これは、現在、一環路の環状路線の34路(内回り―時計方向))と27路(外回り)のみのようです。

 写真1は西門車站でのこの設備の全景です。最上部に「西門車站」と停留所名があり、その下が電光表示となって、写真では一部の電光しか見えませんが、「公文電子站牌 測試中」と二段に表示されています(肉眼では問題なく見えます)。これは英語表示でも出ます。この他、月日時間表示もされます。下部はご覧のように広告スペースです。

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 右横に突き出ているのが、バス運行情報の電光表示板です。例えば、「34路車距此2站1039米」といった具合に表示されます。これは、34路バスが西門バス停まで二つ目の停留所と一つ目の停留所間にあって、あと1039mであることを示しています。そして、この情報は更新されて接近している様が分かるようになっています。200m以下に接近すると、「34路即将到站」(34路バスは間もなくバス停に到着)という表示に変わり、間もなくすると、写真2のように34路バスが滑り込んできます。ただ、現在は二階建てバスの多くには発信設備が設置されていないようで、この場合は運行情報とは無関係で到着します。なお、運行情報はバス停を発車すると、次のバスの発信情報により、3駅先程度から表示されるようです。

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(2007.06.24)

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成都市のバス検索サイト―成都雑感〔45〕―

 成都市関係のバス検索サイト(中国語・簡体字)を二つ紹介します。

 第1は、『成都公衆出行服務網』(http://www.cdgzcx.com/sceneInf.do?type=jttd)で、成都市内発の長距離・郊外バスの検索サイトです。

 「目的地」を入力して、「査詢」をクリックすると、車次・車型・始発站(始発市内バス・ステーション)・途経站(目的地が途中駅の場合はここ)・終点站・票価(運賃・元単位)・発車時間・余票(残席数)・班次類型(定期便か臨時便かなど)を、一覧として1週間分が表示されます。

 例えば、6月10日午後6時に九寨溝と入力して検索すると、ある1列が、「5004 中型高 新南门车站 九寨沟 九寨沟 121.00 2007.06.11 8:05 1 固定班」と表示されます。これはバス番号5004で、中型高級バス(エアコン付)使用、九寨溝が終点、運賃121元、11日8時5分発、残席1人、定期便を意味します。なお、これより早い便(7時半など)もありますが、残席0となっているので、満席のように思うかも知れませんが、16日の便も残席0となっていることから、現時点では休便であることが分かります。

 第2は、『8684成都公文網』(http://chengdu.8684.cn/?)で、成都市内バスの検索サイトです。これは全国市内バス検索サイトの一環として、各地の市内バス検索サイトとリンクしています。

 ここでは四つの検索が出来ます。「成都公文線路査詢」(路線毎の全停留所が分かります)・「成都公文站点査詢」(停留所毎の路線が分かります)・「成都公文換乗査詢」(乗り換え―2回まで―を含む、出発停留場から目的停留所までの路線経路が分かります)・「成都長途客運査詢」(長距離バスの検索)です。いずれも中国語のピンインがお分かりなら、入力は「選擇輸入」の「abc」から目的地を選択すればいいです。

 なお、成都市は地下鉄工事などで市内バス路線の臨時経由変更がかなりあります。例えば、人民中路は地下鉄工事のため、一部が全面通行止めで、16路以下は順城大街経由となっています。このサイトではこの臨時変更の情報も反映されています。停留所では臨時変更の情報が十分に掲示されていないことも多く、この点、このサイトは重宝できるでしょう。

 以上のサイトは中国語(簡体字)入力しなければいけませんが、成都市内でのバス利用に当たっては便利なサイトと思います。出来れば、成都市内地図と併用されれば、より理解が進むでしょう。また、バス検索以外にも旅行関係の情報をえる場としての機能もあり、四川省・成都市で旅行される方は情報源として活用してください。

(2007.06.10)

 

追記  『成都公衆出行服務網』(http://www.cdgzcx.com/index.jspの検索は、このトップページから、「途客运查询」に、目的地を入力して行う方式になりました。同時に、同頁には「公交线查询」も設けられているので、成都市内路線も検索できます。

2008年4月5日)

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続・成都市バスの新ボディーカラー―成都雑感〔44〕―

 「成都市バスの新ボディーカラー―成都雑感〔25〕―」(200610月29日付)で述べましたように、昨年10月から成都市内バスは路線種別にボディーカラーが新たに分けられました。繰り返しますと、次の5種類です。

○「常軌」路線(市内の幹線・主要道路を走る路線。例えば、市街地を南北に縦貫する人民路を走り、成都北駅と南駅を結ぶ16路)は、緑色

○「環城」路線(市内の環状道路である、一環路と二環路を走る路線)は、オレンジ色

○「支線」路線(市内の中小道路を走る路線)は青色

○「郊外」路線(市内と郊外を結ぶ路線)は黄色

「快速」路線(ラッシュ時を主体とした快速路線)は赤色

 このうち、すでに上記の記事で「常軌」路線・「郊外」路線・「快速」路線は写真付で紹介しました。「快速」路線はすでに年初よりバス停に表示が出ていますが(例えば、交大路を通る56路とか二環路の27路等です)、なにぶん朝晩のラッシュ時のみの時間限定なので、まだ見る機会がありません。

しかし、この5月に、「支線」路線の青色カラーのバスを見つけましたから、これを紹介します。写真1がこの「支線」路線バスカラーの外観全景です。これは交大九里堤キャンパス前(北門)と交大犀浦キャンパス前を結ぶ119路です。本路線はこの2月に新設された路線です。写真は犀浦キャンパス前バス停でのものです。

 

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 写真2119路と従来からの362路(九里堤公文站~栄軍校)とのバスを比較したものです。362路が「郊外」路線の黄色カラーですが、よく見ると119路バスが小型であることがお分かりでしょう。そうです、119路は最初362路と同様な車種を用いていましたが、この青色カラーの車種は新型車両で、従来からの市内バスの標準車体より一回り小さいのです。362路に比べて119路の方は窓ガラスが1枚少ないことがお分かりでしょう。

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 写真3は車内前部入口付近から車内全景を撮ったものです。これを見ても車体中間部にある出口より前の座席数が1列しかなく、車体が小型化されていることがお分かりでしょう。この新型車両は非エアコン車で、エンジンも中国の旧来のバスの標準であった運転手横のフロント搭載ですから、決して最新技術による新型車とはいえません。が、この小型バスは成都市製造(ここ1年余で導入された市内バスの新車種はみな成都市製造)で、同じく交大犀浦キャンパス前を通る別の路線にも導入されましたから、これからは「支線」路線の主力車種として使用されていくのではないかと思います。

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(2007.06.05)

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人身事故に遭遇―成都雑感〔43〕―

 本日(5月26日土曜日)午後、人身事故に遭遇しました。場所は二環路と青羊正街の交差点です。たまたま、27路のバスに乗っていたところ、交差点の信号待ちで、前方を見たところ、路上に仰向けの男性が視界に入りました。それが事故現場でした。

 ちょうど二階建てバスの前部に座っていましたので、事故の全景が俯瞰できました。横断歩道上に停止したタクシーの右前方2mほどに左に転倒した三輪自転車タクシーがあり、タクシー前方1m弱に、ほぼタクシーフロントに平行に頭を左に男性が仰向けのまま路上に棒のように横たわっていました。すでにパトカーが到着しており、バスが信号待ち中に救急車が到着しましたから、事故発生から少々時間が経過していると思われます。しかし、男性はまったく動く気配がなく(手足・頭に注意して見ていましたが全く動きがありませんでした)、意識がないように感じられました。警察官も救急車到着までも全く被害者の男性に近づく気配がありませんでした。この後信号が青になったため、27路バスは発進してしまい、救急隊員がどう処置したか見届けることは出来ませんでした。

 路上に血の跡が見られないことから、大量の出血はなさそうで、男性に意識がないのは脳震盪の可能性もありますが、むしろ転倒打撲したことによる脳内出血の可能性が高いと考えられますから、被害者の男性は重傷と判断されます。事故現場の状況から、事故は、交差点を直進(おそらく青信号中)しようとしたタクシーの前方を、左から右に横断出来ると思った三輪自転車タクシーが横切り、横切る前にタクシーと接触して、自転車から投げ出された男性が後頭部を路面に打ち付けて昏倒して意識を失った、と考えます。この際、三輪自転車タクシーの後部、客席部が男性へのタクシーの接触のクッションとなり外傷が見られないとも考えられます。そして、三輪自転車も右前方へ押されたと考えます。

 交通事故の発生率は日本と比して中国では一桁多いといえますから、今までも交通事故の現場に遭遇することは珍しくありませんでした(例えば、新キャンパスへのスクールーバス上でも複数回見ました)。しかし、市内で重傷者が出たと思われる人身事故に遭遇したのは初めてでした(農村地区ではもっとすごいのに遭遇したことがありますが)。ますます、交通に留意しなければならないと感じました。

(2007.05.26)

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