江川せせらぎ緑道の桜

 2024年4月7日(日)午前、江川せせらぎ緑道(横浜市都筑区東方町)の桜を見に行きました。本年は桜の開花が遅れ、横浜も本日が満開宣言でした。緑道の桜も満開となっており、日曜日と重なり多くの人出で賑わっていました。新横浜石川線の新開橋から西へと首都高速神奈川7号横浜北西線まで歩きました。

 写真1は、新解橋から少し入ったところからです。

 写真2は、緑道に下りたところからです。

 写真3は、手前に桜を入れ、奥をぼかしたものです。

 写真4は、拡大した桜花です。

 写真5は、更に進んで奥に川向堺橋が見えます。

 写真6は、川向堺橋上からです。奥の赤いのはチューリップです

 写真7は、橋上からの桜花の拡大です。

 写真8は、縦位置の桜です。のびのと咲いています。

 写真9は、拡大した桜花です。

 写真10は、更に進み緑道が緩く曲がるところ、チューリップと桜が同時に咲いています。桜の開花が遅れたので、ちょうど両方が盛りとなりました。

 写真11は、チューリップは赤、白、そして奥に黄色が見えています。

 写真12は、前耕地橋手前で赤いチューリップに桜花を重ねました。

 写真13は、同じなのを縦位置にしてみました。

 写真14は、縦位置で上に桜、下にチューリップです。

 写真15は、首都高手前で振り返って見たものです。

 写真16は、戻り前耕地橋のところです。

 写真17は、チューリップと桜花を拡大したものです。

 最後の写真18は、チューリップを中心に拡大したものです。

(2024.04.10)

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綱島の池谷桃園の桃花

 2024年4月6日(土)午前、新綱島駅から少し東に入ったところにある池谷桃園(横浜市港北区東綱島1-8-29)の桃が開花しているので、撮りにいってきました。戦前には綱島は岡山と並ぶ2大産地でした。現在では旧名主家の池谷家の本桃園のみが生産しており、「日月桃」という綱島原種で当園のみで生産されている貴重な桃が実をつけます。

 写真1は、池谷桃園を南から東側へと撮ったものです。本園は池谷家の東からの通を挟んで南側と北側に分かれます。

 写真2は、東から撮ったものです。手前の桃は「日月桃」で、6月初めに直売されます。他に早生日川白鳳、白鳳、蟠桃を直売します。奥は新綱島駅に隣接した綱島初のタワマンです。

写真3は、日月桃を捉えたものです。

 写真4は、東からの道に南接した桜です。

 写真5は、北側の本園を東から北へと撮ったものです。

 写真6は、やはり日月桃です。

 写真7は、日月桃を近くにと捉えたものです。

 写真8は、南側に戻りタワマンを背景に撮ったものです。

 写真9は、東から西へと全体を撮ったものです。

 最後の写真10は、近くへと捉えたものです。

(2024.04.05)

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伊豆(2)城ヶ崎・だるま山・修善寺

1)沼津御用邸・小室山

(2)城ヶ崎・だるま山・修善寺

 2024年3月15日(金)・16日(土)、クラブツーリズム主催の「冬の味覚・伊豆グルメと冠雪の富士山!」に行ってきました。旅程は、

15日 昼食三島うなぎ、沼津御用邸、小室山 熱川温泉泊・夕食伊勢エビ鮑付きの海鮮トロ箱盛りと金目鯛煮付け

16日 城ヶ崎、昼食高足ガニしゃぶしゃぶ、だるま山、修善寺

です。

 2024年3月16日(土)朝、写真1~4は、ホテル志なよしの部屋からの日の出(5時55分)です。

 8時15分にホテルを出発し、城ヶ崎・ほら納屋駐車場に着きました。700m程歩いて門脇駐車場に至りました。写真5は、ここからの半四郎落とし・門脇吊り橋です。

写 真6は、遊歩道から吊り橋を撮ったものです。

 写真7は、渡って吊り橋を北へと撮ったものです。

 写真8は、門脇埼灯台です。

 写真9は、灯台へと上り、城ヶ崎を南へと撮ったものです。

 写真10は、東へと真下に門脇埼です。

 写真11は、北へと撮ったもので、左に吊り橋、右につばくろ島です。

 写真12は、つばくろ島です。

 写真13は、吊り橋です。

 写真14は、吊り橋上から下に岸壁です。

 写真15は、吊り橋全景と奥に門脇埼灯台です。以上で、城ヶ崎は観光は終わりです。

 9時35分に出発しました。戸田で高所がにのしゃぶしゃぶ昼食後、だるま山高原展望台に12時55分に到着しました。写真16は、展望台からの富士山の遠望です。下に沼津市街が見えます。

 写真17は、富士山を引きつけて撮りました。

 写真18は、「達磨山キャンプ場からの展望」碑に富士山を添えたものです。

 写真19は、富士山に沼津市街外を入れたものです。以上で終わりです。次いで、最後の観光地修善寺に13時15分に向かいます。

 修善寺のバス駐車場には13時40分過ぎに到着しました。修善寺は何度も訪れているので、通常の散策ではなく、まずここで非業の最期を遂げた頼朝異母弟の伝三河守源範頼墓を訪れました。写真20が、それです。

 写真21は、墓横にあるカフェ芙蓉でまったりしたとこで撮ったものです。

 最後の写真22は、範頼の舅である伝藤九郎盛長墓です。以上で観光は終わりです。湯河原に戻り16時34分発で帰りです。

(2024.03.24)

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伊豆(1)沼津御用邸・小室山

(1)沼津御用邸・小室山

(2)城ヶ崎・だるま山・修善寺

2024年3月15日(金)・16日(土)、クラブツーリズム主催の「冬の味覚・伊豆グルメと冠雪の富士山!」に行ってきました。旅程は、

15日 昼食三島うなぎ、沼津御用邸、小室山 熱川温泉泊・夕食伊勢エビ鮑付きの海鮮トロ箱盛りと金目鯛煮付け

16日 城ヶ崎、昼食高足ガニしゃぶしゃぶ、だるま山、修善寺

です。

 踊り子3号で10時13分に湯河原で下車し、バスに乗り、三島でウナ重の昼食後、最初の観光地の沼津御用邸に12時40分過ぎに着きました。沼津御用邸は1905(明治38)年に造営され、その後の増築を重ねて、1922(大正11)年に現在の姿になりました。(めいじ38)まず面積1270㎡の木造平屋建ての西附属邸に入ります。

 写真1は、皇族が食事をされる御食堂です。

 写真2は、天皇が来客と面会する謁見所です。部屋は畳敷きですが、一面に絨毯が敷き詰められています。右の天皇の椅子には御紋章の蒔絵が描かれています。

 写真3は、皇族の居間である御座所です。これに寝室等を合わせ全体を御座所と呼んでいました。

 写真4は、西附属邸の外観で、右が御座所です。左が皇后の居所です。

 写真5は、当地の住民が潮風や砂を守った垣で竹製です。

 写真6は、海岸から南を見たものです。防潮堤を工事中でした。

 写真7は、南に邸内を歩いている時に撮ったものです。

 写真8は、邸内の藤棚です。

 写真9は、馬屋です。ただ、現在は飼われいません。以上で御用邸は終わりです。

 13時は頃に出発し、次の観光地の小室山に14時40分過ぎに着きました。写真10は、リフトで上っているところです。

 写真11は、上り北へと撮ったもので、奥が熱海市街、右が初島です。

 写真12は、手前は川奈ホテルゴルフコース富士コースです。

 写真13は、手前が川奈ホテルゴルフコース大島コース、奥は伊東市富戸です。

 写真14は、カフェのCafé●321から南を見たものです。

 最後の写真15は、リフトで下っているところです。以上で本日の観光は終わりで

 16時藩頃に熱川温泉の志なよしに着きました。夕食には伊勢エビ・鮑も盛り込んだトロ箱会席でした。金目鯛一匹の煮付けも付いています。

(2024.03.22)

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岸根公園の梅

 2024年2月24日(土)午前、横浜市営地下鉄ブルーライン岸根公園駅に隣接した岸根公園(横浜市港北区岸根町725)に行ってきました。少数ながら梅が植えられいます。これを撮影してきました。これをお見せします。但し、入口近くの梅は散りかけていたので撮りませんでした。前の4枚は奥の梅で、後の4枚は中頃の梅です。

(2024.02.28)

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竹生島初日の出(4)熱田神宮・竹島

(1)豊川稲荷

(2)竹生島・近江神宮

(3)彦根城

(4)熱田神宮・竹島

2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、

31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊

1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊

2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島

です。

 2024年1月2日(火)、ツァー最終日の最初は熱田神宮参拝です。熱田神宮(名古屋市熱田区神宮1-1-1)は日本武尊の草薙神剣が鎮座する所です。祭神は熱田大神、草薙神剣を霊代とする天照大神です。

 写真1は、神木の大楠です。樹齢千年以上といわれています。

 写真2は、日本三大土塀の信長塀です。桶狭間合戦の戦捷の礼として織田信長が寄進したものです。

 写真3は、本宮拝殿です。

 写真4は、本宮奥にある天照大神の荒魂を祀る一之御前神社です。

 写真5は、本宮の裏門からです。

 写真6は、お清水です。

 写真7は、水を司る罔象女神を祀る清水社です。

 写真8は、以前は草薙神剣を奉安していた土用殿です。

 写真9は、本宮内拝殿です。

 蒲郡で昼食後、最後の竹島(愛知県蒲郡市竹島町3-15)を訪れました。

 写真10は、手前に竹島園地で、奥に387mの竹島橋と竹島です。

 写真11は、左側から見た竹島橋と竹島です。

 写真12は、101段の石段を上ったところにある宇賀神社(祭神宇迦之御魂神)です。

 写真13は、島の中心である日本七弁天の八百富神社拝殿です。祭神は市杵島姫命です。

 写真14は、竹島南端の龍神岬から東に陸側です。

 写真15は、同じく南に渥美湾です。

 写真16は、八百富神社本殿です。

 写真17は、竹島橋上から西に奥に海岸線です。

 最後の写真18は、同じく東に海岸で、鷗が群れています。以上で観光は終わりで、一路東名高速道路で帰ります。

(2024.01.26)

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竹生島初日の出(3)彦根城

(1)豊川稲荷

(2)竹生島・近江神宮

(3)彦根城

(4)熱田神宮・竹島

2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、

31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊

1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊

2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島

です。

 大津で比叡湯葉の昼食後、彦根城観光です。彦根城(滋賀県彦根市金亀町1-1)は慶長9年(1604)に彦根山に着工され、元和8年(1622)に第3代藩主直孝の時に完成しました。

 写真1は、佐和口への中堀端のいろは松です。

 写真2は、二の丸佐和口多門櫓(重文)です。

 写真3は、佐和口からの中堀と石垣です。

 写真4は、佐和口多門櫓です。

 写真5は、内堀にかかる表門橋です。

 写真6は、表門橋からの内堀です。

 写真7は、表門山道です。

 写真8は、天秤櫓(重文)と廊下橋です。櫓の石垣は右側が築城当時の打込みハギ積み、右側が築城当時の打込みハギ積みです。廊下橋をくぐり左に回転して上ると橋に出ます。

 写真9は、左側からの天秤櫓と廊下橋です。

 写真10は、半ばまで上がったところからの天秤櫓と廊下橋です。

 写真11は、正面から見た天秤櫓です。

 写真12は、廊下橋から見下ろしたものです。

 写真13は、太鼓門櫓(重文)です。太鼓が置かれたからの名称と言われています。

 写真14は、三階三重の天守(国宝)です。屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配して、2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻縁」を巡らせて、外観に重きを置いています。大津城から移築されとされています。ご覧のように天守への行列が出来ており。結果として参観に並んでから参観に30分以上の時間がかかりました。

 写真15は、同じく天守です。

 写真16は、1階に置いてある井伊直政の牛皮小札赤備具足(複製)です。

 写真17は、天守3階か東を見たもので、下が玄宮園です。

 写真18は、西に琵琶湖を見たものです。下に見える櫓は二の丸三重櫓(重文)です。

 写真19は、二の丸三重櫓を拡大したものです。

 写真20は、北に伊吹山です。

 写真21は、3階の内部です。柱の古さが分かります。

 写真22は、切妻破風の瓦です。

 写真21は、南西角からの天守です。

 写真22は、西からの天守です。

 写真23は、北の西の丸からの天守です。

 写真24は、内堀に東へと架かる黒門橋です。

 写真25は、黒門橋から南へ内堀です。

 写真26は、楽々園です。延宝5年(1677)に4代藩主直興が造営したと伝わる下屋敷の範囲であり、同時に「隠居所」としても使用されました。

 写真27は、玄宮園です。下屋敷に伴う後園として江戸時代前期に作庭された池泉回遊式庭園です。池泉には大小4つの中島が築かれ、色々な形式の橋が架けられて回遊性をもつと共に庭園内の景観にもなっています。この写真は池の左側(南)です。

 写真28は、池の中央部です。

 最後の写真29は、池の右側で奥右上部に天守が見えます。ただ、天守見学に時間が取られたため、玄宮園は十分に見ることが出来ませんでした。位上で、本日の観光は終わり、夕食として鮎の塩焼き御膳を食しました。

(2024.01.24)

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竹生島初日の出(2)竹生島・近江神宮

(1)豊川稲荷

(2)竹生島・近江神宮

(3)彦根城

(4)熱田神宮・竹島

 2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、

31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊

1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊

2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島

です。

 2024年元旦朝、ホテルを出て長浜港に向かい、3艘のチャーター船の最後に乗船し、竹生島に渡りました。島での初日の出を迎える予定でしたが、船上での初日の出となりました。写真1は、初日の出前の様子です。

 写真2は、初日の出です。7時3分でした。

 写真3は、アップしたものです。

 写真4は、更に上がったところです。

 写真5は、アップしたものです。以上で初日の出は終わりです。

 写真6は、島に上陸し、165段の石段の参道を見上げたところです。7時9分です。

 写真7は、宝厳寺の本堂(弁財天堂)です。

 写真8は、唐門(国宝)です。大坂城の極楽橋の一部を移築したものです。

 写真9は、舟廊下(重文)です。豊臣秀吉の御座船「日本丸」船櫓を利用したと伝えられているものです。

 写真10は、都久夫須麻神社本殿(国宝)です。伏見城の遺構と伝えられています。

 写真11は、龍神拝所左手から見た琵琶湖北東側の遠望です。松の下の中央の山は賤ヶ岳です。

 写真12は、同じく南側の遠望です。

 写真13は、龍神拝所(かわらけ投げ)から南に琵琶湖です。浮かんでいるのが乗船したチャーター船です。

 写真14は、帰りの船上からの竹生島です。以上で竹生島初日の出は終わり、、近江神宮での初詣に向かいます。

 近江神宮(滋賀県大津市神宮町1-1)は祭神を天智天皇(天命開別大神)とし、天皇の座した琵琶湖西岸の大津宮跡に、1940年(昭和15)に鎮座しました。

 写真15は、楼門です。

 写真16は、外拝殿と初詣の列です。

 写真17は、内拝殿です。奥が本殿です。

 最後の写真18は、外拝殿回廊上からの楼門です。以上で午前の観光は終わりです。

(2024.01.22)

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竹生島初日の出(1)豊川稲荷

1)豊川稲荷

(2)竹生島・近江神宮

(3)彦根城

(4)熱田神宮・竹島

 2023年12月31日(日)~2024年正月2日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、

31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊

1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊

2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島

です。

 12時半前に本日の訪問地、曹洞宗円福山豊川閣妙厳寺―豊川稲荷(愛知県豊川市豊川町1)に着き参拝をします。写真1は、大本殿です。1920年に竣工したもので、内陣には「豐川吒枳尼眞天」が奉祀されています。

 写真2は、万燈堂です。文久3年(1863)に建立された間口十三間・奥行七間で、不動明王と文殊菩薩が奉祀されています。

 写真3は、大本殿から奥の院への参道にたなびく奉納された幢で、千本幢と通称されるものです。

 写真4は、霊狐塚で、奉納された千体にも及ぶお狐さんがお祀りされています。

 写真5は、正面の霊狐塚です。

 写真6は、手前の岩が本来の霊狐塚です。

 写真7は、奥の院です。文化11年(1814)の建築で、彫刻が名匠諏訪ノ和四郎の手になるものです。

 写真8は、景雲門です。安政5年(1858)の創建で、彫刻が名匠諏訪ノ和四郎の手になるものです。

 写真9は、山門です。天文5年(1536)今川義元が寄進し、当山の現存する中で最古の建物で、唯一の丸瓦葺造りの屋根の形をしています。 

 最後の写真10は、総門です。現在の門は1884年(明治17)に上棟改築されたものです。

(2024.01.21)

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2023年度記事目次

 癸卯年を終わるに当たって、2023年度(1~12月)記事目次を掲載します。では、甲辰年がよいお年で。

01.02 中田島砂丘の初日の出

01.03 2023年三嶋大社初詣

02.09 京都寺院巡り(1)臨川寺―歴史雑感〔81〕―

02.10 京都寺院巡り(2)天龍寺―歴史雑感〔82〕―

02.12 京都寺院巡り(3)萬福寺―歴史雑感〔83〕―

02.13 京都寺院巡り(4)清水寺―歴史雑感〔84〕―

03.01 2023年大倉山梅林

03.28 2023年鶴見川太尾堤の桜

05.10 2023年弘前城の桜

05.12 2023年久保田城の桜

05.18 鉄道発祥関係地―歴史雑感〔85〕―

06.28 福井県(1)―永平寺・東尋坊

06.30 福井県(2)―平泉寺白山神社・東尋坊日没・丸岡城―

07.04 福井県(3)―乗谷朝倉氏遺跡・一乗谷朝遺跡博物館―

07.07 福井県(4)―三方五湖・氣比神宮―

08.30 武蔵国畠山荘関連史跡―歴史雑感〔86〕―

10.24 安倍氏関係遺跡―歴史雑感〔87〕―

11.24 伊達氏関係地巡り(1)瑞鳳殿・瑞鳳寺―歴史雑感〔88〕―

11.25 伊達氏関係地巡り(2)仙台城跡―歴史雑感〔88〕―

11.26 伊達氏関係地巡り(3)大崎八幡宮―歴史雑感〔88〕―

12.02 2024年の中国の祝日―中国雑感〔56〕―

12.11 鳥取・島根巡り(1)倉吉白壁土蔵・白兎神社・鳥取砂丘

12.13 鳥取・島根巡り(2)松江城・出雲大社

12.15 鳥取・島根巡り(3)足立美術館・日本庭園由志園

12.27 浜離宮―歴史雑感〔89〕―

12.31 2023年度記事目次

(2023.12.30)

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浜離宮―歴史雑感〔89〕―

 2023年12月16日午後、武蔵野文化協会主催の「浜離宮恩賜庭園を散策」に参加しました。承応3(1654)年に徳川家重が浜御庭池を賜わり造営を始めたのが浜離宮の起こりです。第6代将軍徳川家宣(家重嫡男)が大手門・茶屋等の改修を行ない、浜御殿と改称しました。1870(明治3)年に宮内省管轄となり、戦災により建物は全焼しました。1945(昭和20)年に東京都に移管され都立「浜離宮恩賜庭園」(特別名勝・特別史跡)として現在にいた充ています。

 公園に入る前、北に隣接したカレッタ汐留(電通本社ビル)46階から浜離宮恩賜公園を俯瞰し撮ったのが、写真1です。

 写真2は、大手門で、大手門橋を渡り、枡形となっています。

 写真3は、入って進んだ南西角の内堀です。

 写真4は、延遼舘跡地の紅葉です。

 写真5は、奥に中の御門〔西〕入口へです。

 写真6は、松の御茶屋から手前の潮入の池と横堀に架かる中の橋です。

 写真7は、潮入の池に架かるお手伝い橋です。

 写真8は、お手伝い橋の北の鷹の御茶屋です。

 写真9は、小の字島から奥に中島のお茶屋を望むお手伝い橋です。

 写真10は、中島から北にお手伝い橋です。奥に建つ建物は東から松の御茶屋、鷹の御茶屋、燕の御茶屋です。

 写真11は、中島橋からの御茶屋です。左奥の小山は富士見山です。

 写真12は、馬場跡です。

 写真13は、南西角にある新銭座鴨場です。

 写真14は、小の字島を挟んでお伝い橋です。

 写真15は、宝永7(1710)年頃に建立された観音堂跡です。

 写真16は、富士見山から見た塩入の池等です。

 写真17は、富士見山です。

 写真18は、潮入の池です。

 写真19は、中島の御茶屋です。

 写真20は、横堀の海手お伝い橋です。

 写真21は、お手伝い橋からの横堀です。

 写真22は、横堀水門です。

 写真23は、新樋の白山から遠望するレインボーブリッジです・

 写真24は、将軍お上がり場です。最後の将軍徳川慶喜が大坂城か逃げ帰った時、ここから上陸しました。

 最後の写真25は、戻り大手門の手前にある三百年の松です。

(2023.12.27)

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鳥取・島根巡り(3)足立美術館・日本庭園由志園

2023年12月15日 16時47分39秒 | 観光(日本)

(1)倉吉白壁土蔵・白兎神社・鳥取砂丘

(2)松江城・出雲大社

(3)足立美術館・日本庭園由志園

 2023年11月29日(水)、最終日三日目の最初の観光地は足立美術館(島根県安来市古川町320)です。本美術館は地元の実業家足立全康が1970年に創設し、横山大観を中心としたコレクション展示と日本庭園です。季節から庭園は紅葉しています。

 写真1は、入ったところから奥(西)に枯山水庭と白沙青松庭を撮ったものです。手前の建物の角は喫茶室翠です。

 写真2は、喫茶室翠から眺めた枯山水庭から左に白沙青松庭です。

 写真3は、同じく枯山水庭の右側です。

 写真4は、同じく枯山水庭の左側です。

 写真5は、立石を拡大したところです。

 写真6は、白沙青松庭庭です。

 写真7は、南西角の池庭です。

 写真8は、枯山水庭です。

 次は由志園(松江市八束町波入1260-2)です。所在地の中海にある大根島は牡丹苗とT高麗人参の生産地です。当園の食事処「禅」で雲州薬膳料理の昼食です。その後、庭園を散策しました。

 写真9は、「禅」から料亭「菖蒲」を挟んで庭園です。ご覧のように紅葉真っ盛りです。

 写真10は、庭園に入ったところです。

 写真11は、左に「菖蒲」です。

 写真12は、少し入ったところです。

 写真13は、更に入り奥に茶房「一望」(南)を見ます。

 写真14は、更に進み南へと撮りました。

 写真15は、奥へと入ったところです。

 写真16は、「一望」を奥に撮ったものです。

 写真17は、赤橋を南に捉えたものです。

 写真18は、「一望」前の池から霧が立ったところです。

 写真19は、奥の雌滝です。

 写真20は、枯山水庭園です。

 写真21は、「一望」前の池です。

 写真22は、盛んに霧を吹き上げているところです。

 時間の余裕があり、予定にないところとして水木しげるロード(境港市本町)を訪れました。写真23は、「水木夫妻」です。

 写真24は、「ゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじ」です。

 写真25は、「八岐大蛇」です。

 写真26は、「がしゃどくろ」です。

 写真27は、「豆腐小僧」です。

 写真28は、「ねずみ男」です。

 写真29は、西への水木しげるロードです。

 最後の写真30は、ねずみ男です。

 大漁市場なかうら(境港市竹内団地)で買物後、松江空港より羽田空港に21時過ぎに到着し、ツァーは終了です。

(2023.12.15)

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鳥取・島根巡り(2)松江城・出雲大社

(1)倉吉白壁土蔵・白兎神社・鳥取砂丘

(2)松江城・出雲大社

(3)足立美術館・日本庭園由志園

 2023年11月28日(火)、二日目の最初の観光地は国宝5城の一つである松江城跡です。戦前の国宝が戦後に重要文化財となり、2015年に改めて国宝となったものです。

 写真1は、大手門に入るところの角から西に向かう内堀です。右の櫓は南櫓です。奥の橋は千鳥橋(御廊下橋)です。

 写真2は、外曲輪からの大手門跡です。左手へと本坂(階段)を上り二ノ丸・本丸へと入ります。

 写真3は、大手門跡から右に天守、左に大手櫓を見たものです。

 写真4は、火点からの天守です。上って左手が三ノ門跡で、二之丸に入ります。

 写真5は、二ノ門跡から本丸へです。左に曲がって上ったところが一ノ門跡です。

 写真6は、南面した天守全景です。

 写真7は、天守内部に入り地階の井戸です。

 写真8は、「慶長拾六年」の記載のあるレプリカの祈祷札(国宝)です。

 写真9は、旧鯱です。

 写真10は、地階と1階の2本の通し柱で包柱をもたない天守最大柱です。

 写真11は、最上階(5階)からの松江市街(東)です。正面の建物は内堀外の松江歴史観です。

 写真12は、南に宍道湖です

 写真13は、東面する天守です。

 写真14は、東南からの天守です。

 写真15は、更に南寄りの天守です。

 写真16は、北之門跡で、塩見縄手通り下り、北惣門橋へと到ります。

 写真17は、内堀の北西にある稲毛橋です。

 写真18は、北の内堀から奥に稲毛橋を見ます。これで、松江城は終わりです。

 松江城北にある地ビール館でしまね牛付きの直食後、午後は出雲大社参拝です。写真19は、大社入口の勢溜の大鳥居です。

 写真20は、浄の池です。

 写真21は、祓橋です。

 写真22は、東神苑の幸魂・奇魂と大国主命像です。

 写真23は、銅の鳥居です。

 写真24は、拝殿です。

 写真25は、本殿前の八足門です。

 写真26は、本殿です。

 写真27は、本殿の奥に位置する素戔嗚尊を祀る素鵞社です。

 写真28は、本殿です。

 写真29は、拝殿と奥に本殿です。

 最後の写真30は、神楽殿です。以上で本日の観光は終わりです。大社近くの島根ワイナリーで試飲と島根和牛等の夕食です。

(2923.12.13)

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鳥取・島根巡り(1)倉吉白壁土蔵・白兎神社・鳥取砂丘

(1)倉吉白壁土蔵・白兎神社・鳥取砂丘

(2)松江城・出雲大社

(3)足立美術館・日本庭園由志園

 2023年11月27日(月)~29日(水)、クラブツーリズム「上質なカニの証!タグ付き「香住ガニ」と鳥取・島根の7つの名所へ はじめての山陰旅 3日間」で旅してきました。旅程は、

27日 羽田発岡山着、蒜山高原(昼食)、倉吉市白壁土蔵群、鳥取砂丘、香住ガニ付きの夕食 鳥取市泊

28日 松江城、出雲大社、 松江泊

29日 足立美術館、日本庭園由志園、大浦市場なかうら、岡山発羽田着

です。

 岡山空港に9時過ぎに到着し、バスでの観光のはじまりです。蒜山高原で当地のひるぜん焼きそばの昼食をとり、鳥取県へと向かいます。最初の観光地は倉吉市白壁土蔵群です。

 写真1は、本町通東側の1908(明治41)年建設の擬洋風建築の旧国立第三銀行倉吉支店(白壁倶楽部)です。

 写真2は、土蔵群北側の展望台上から南に打吹山を望んで撮った土蔵群で、3階建てコンクリート建物の先です。

 写真3は、戻り玉川に沿った土蔵群を西へと撮ったものです。町屋は南面して商家がならび北面して土蔵等がならび、裏口には木戸を設け、写真のように玉川には橋を架け通り抜けられるようしていました。

 写真4は、土蔵群を北西角の桑田醤油醸造所を撮ったものです。

 写真5は、桑田醤油店です。

 写真6は、本町通西側にある高田酒造店です。

 写真7は、土蔵群の南東角からです。

 写真8は、当地出身の第53代横綱琴櫻です。

 次いで、因幡の白ウサギで知られる白兎神社です。写真9は、参道横にある御見洗池です。

 写真10は、正面からの拝殿です。

 写真11は、本殿と拝殿です。

 写真12は、神社入口にある因幡の白ウサギ砂像です。

 本日最後の観光地は鳥取砂丘です。以下の写真13~20は、鳥取砂丘で撮ったものです。

 以上で本日の観光は終わりで、夕食はタグ付き香住ガニ1杯付きと鳥取和牛すき焼き等です。

(2023.12.11)

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2024年の中国の祝日―中国雑感〔56〕―

 明年の祝日(休日)に関して、2024年10月25日(水)、国務院の通知「国務院弁公庁関于2024年部分節假日安排的通知」が国務院公式サイトにアップされ公表されました。例年の12月初頭の発表が早くなり、遅くなりましたが、これを載せます。

一 元旦(1月1日)

12月30日(土)~1月2日(月)の3日間を休日。

二 春節(旧暦元旦 2月10日) 法定休日(旧暦元旦~3日)

2月10日(土)~17日(金)の8日間を休日。

2月4日(日)〔14日・木〕・2月18日(日)〔15日・金〕振替出勤日。

三 清明節(4月4日)

4月4日(木)~6日(土)の3日間を休日。

4月7日(日)〔5・金〕振替出勤日。

四 労働節(5月1日)

5月1日(水)~5月5日(日)の5日間を休日。

4月28日(日)〔3日・木〕・5月6日(土)〔4日・金〕振替出勤日。

五 端午節(旧暦5月5日 6月10日)

6月8日(土)~10日(月)の3日間を休日。

六 中秋節(旧暦8月15日 9月17日)

9月15日(日)~17日(火)の3日間を休日。

9月14日(土)〔16日・月〕振替出勤日。

七 国慶節(10月1日) 法定休日(10月1日~3日)

10月1日(火)~7日(月)の7日間を休日。

9月29日(日)〔4日・金〕、12日(土)〔7日・月〕振替出勤日。

国務院の発表原文は、

国务院办公厅关于2024年部分节假日安排的通知

国办发明电〔2023〕7号

各省、自治区、直辖市人民政府,国务院各部委、各直属机构:

经国务院批准,现将2024年元旦、春节、清明节、劳动节、端午节、中秋节和国庆节放假调休日期的具体安排通知如下。

一、元旦:1月1日放假,与周末连休。

二、春节:2月10日至17日放假调休,共8天。2月4日(星期日)、2月18日(星期日)上班。鼓励各单位结合带薪年休假等制度落实,安排职工在除夕(2月9日)休息。

三、清明节:4月4日至6日放假调休,共3天。4月7日(星期日)上班。

四、劳动节:5月1日至5日放假调休,共5天。4月28日(星期日)、5月11日(星期六)上班。

五、端午节:6月10日放假,与周末连休。

六、中秋节:9月15日至17日放假调休,共3天。9月14日(星期六)上班。

七、国庆节:10月1日至7日放假调休,共7天。9月29日(星期日)、10月12日(星期六)上班。

节假日期间,各地区、各部门要妥善安排好值班和安全、保卫、疫情防控等工作,遇有重大突发事件,要按规定及时报告并妥善处置,确保人民群众祥和平安度过节日假期。

国务院办公厅 

2023年10月25日

カレンダー表示もあります。

(2023.12.02)

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伊達氏関係地巡り(3)大崎八幡宮―歴史雑感〔88〕―

(1)瑞鳳殿・瑞鳳寺

(2)仙台城跡

(3)大崎八幡宮

 2023年11月19日(日)午後、最後の訪問地は大崎八幡宮(仙台市青葉区八幡4丁目6-1)です。本宮は坂上田村麻呂が創建したのと由来があり、慶長9(1604)年に伊達政宗が仙台城北西の現在地に勧請しました。社殿(本殿・石の間・拝殿)が1952年に国宝に指定されました。

 写真1は、大崎八幡宮の入口です。奥に見える大階段を上ります。

 写真2は、藩時代に整備された四ッ谷用水跡です。大階段下の橋のところから下流を撮ったものです。

 写真3は、大階段を上ってすぐのところから撮った三之鳥居です。

 写真4は、本殿へと入る長床(重文)です。

 写真5は、拝殿です。

 写真6は、本殿です。

 最後の写真6は、るーぷる仙台の車内から撮ったもので、仙台城跡から青葉山植物園西の途上です。

 なお大崎八幡宮のホームページはhttps://www.oosaki-hachiman.or.jp/です。

(2023.11.26)

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伊達氏関係地巡り(2)仙台城跡―歴史雑感〔88〕―

(1)瑞鳳殿・瑞鳳寺

(2)仙台城跡

(3)大崎八幡宮

 2023年11月19日(日)午後、瑞鳳殿に続いて仙台城跡(仙台市青葉区川内1)を訪れました。写真1は、本丸詰門の脇に立てられている仙臺城鳥瞰図です。

 写真2は、本丸の東崖上に建てられた懸造跡です。

 写真3は、本丸からの仙台市街展望で、中央当りが仙台駅方向です。

 写真4は、仙台藩藩祖伊達政宗騎馬像です。戦後再建された本像は東北大震災で破損しましたが、本年3月31日、伊達政宗公騎馬像帰還記念式典を行ない、修復がなり元の位置に鎮座しました。

 写真5は、同じく伊達政宗騎馬像です。

 写真6は、本丸大広間跡遺構表示です。

 写真7は、反対方向から伊達政宗騎馬像を入れての本丸大広間跡遺構表示です。

 写真8は、大手門へと到る詰門跡です。

 写真9は、詰門跡です。

 写真10は、本丸北壁石垣です。

 写真11は、中門跡です。ここも東北大震災で破壊され、修復中です。

 写真12は、大手門跡です。

 写真13は、大手門脇櫓です。現在の建物は戦災で大手門と共に焼失し、現在の建物は1967年に再建されたものです。

 大手門復元を見通した発掘調査を本年から行ない、本日午後、「大手門跡および周辺発掘(第1次)遺跡見学会」が開かれました。ちょうどこれに出会い撮ったのが写真14です。写真に見るように礎石跡が確認され、3か所に及びます。大手門南面には5本の柱があり、写真の礎石跡は他の遺構からと合わせると2~4番目の南面柱跡に相当すると推測できます。

 写真15は、二の丸の北東角の堀です。

 最後の写真16は、二の丸東堀です。

(2023.11.25)

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伊達氏関係地巡り(1)瑞鳳殿・瑞鳳寺―歴史雑感〔88〕―

(1)瑞鳳殿・瑞鳳寺

(2)仙台城跡

(3)大崎八幡宮

 2023年11月19日(日)午後、仙台市の伊達氏関係地を巡りました。利用交通手段は仙台市交通局の「るーぶる仙台」を利用しました。最初に訪れたのは経ヶ峯に位置する瑞鳳殿(仙台市青葉区霊屋下23-2)です。本殿は仙台藩々祖伊達政宗の御霊屋です。寛永13(1636)年に2代藩主伊達忠宗により造営されました。戦前に国宝に指定されましたが、1945年に戦災により焼失し現在のは1979年に再建されたものです。他に2・3代藩主の御霊屋や子孫の墓があります。

 写真1は、瑞鳳殿入口からの杉参道です。上がって左側に折れて上ると瑞鳳殿で、

 写真2は、瑞鳳殿に入る涅槃門です。

 写真3は、左右に大香炉と正面に唐門です。奥が瑞鳳殿です。

 写真4は、唐門越しの瑞鳳殿です。

 写真5は、瑞鳳殿です。

 写真6は、涅槃門から唐門への階段に並ぶ伊達政宗の重臣寄進の石灯籠で、10基有る内の代表として片倉小十郎のものです。

 写真7は、瑞鳳殿を出て奥にある戊申戦争弔魂碑です。戊辰戦争で仙台藩は奥羽列藩同盟の中心として1200名の戦死者を出しました。1877(明治10)年に建立されました。

 写真8は、2代藩主伊達忠宗(1599~1658年)の御霊屋の感仙殿です。

 写真9は、左に位置する3代藩主伊達綱宗(1640~1711年)の御霊屋の善応殿です。

 写真10は、両殿の右側に広がる妙雲界廟です。奥のが第9代藩主伊達周宗(1798~1812年)墓です。以上で、瑞鳳殿は終わりです。

 次いで杉参道を下ったところにある臨済宗正宗山瑞鳳寺(仙台市青葉区霊屋下23-5)に行きます。本寺は藩祖政宗の菩提寺として寛永14(1637)年に2代忠宗のより創建されました。

 写真11は、山門の冠木門です。

 写真12は、本堂です。

 写真13は、本堂左手前の花塚にある紅葉です。

 写真14は、山門内右側の紅葉です。

 写真15は、紅葉を背景とした石塔です。

 最後の写真16は、山門内右側と本堂間の紅葉です。以上の通り山門内右側には少ないですが紅葉が盛りです。

(2023.11.24)

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安倍氏関係遺跡―歴史雑感〔87〕―

 2023年9月29日(金)午前、昨年4月(「衣川北岸の安倍氏・藤原氏関係地―歴史雑感〔64〕―)に回れなかった衣川北岸に位置する安倍氏関係遺跡を巡りました。今回は昨年は徒歩でしたが、今回はより遠いためもあり、JR平泉駅前のレンタル電動自転車を利用しました。

 最初は白鳥舘遺跡(岩手県奥州市前沢白鳥舘地内71)です。北上川が東側に大きく湾曲する西岸の旧領北端部に位置します。本遺跡は前九年の役で安倍貞任の弟白鳥八郎則任の柵と伝えられてきました。発掘調査により10~16世紀にかけて長期間利用されていたことが分かりました。現在の遺跡は15世紀の郭・土塁・堀跡等の城館跡が良く残されています。

 最初の写真1は、駐車場から遠望した白鳥舘遺跡です。中央の丘陵です。下に人家が見えます。

 人家のところから順路に従うと、写真2の、郭Ⅰ(伝本丸跡)に出ます.説明板の前からに撮ったものです。木々で見えませんが約250m先が北から南へと湾曲した北上川です。

 写真3は、郭Ⅰを南から北へと撮ったものです。

 写真4は、郭Ⅰから左に郭Ⅱを見たもので、下が空堀です。

 写真5は、郭Ⅰと郭Ⅱ間の空堀です。

 写真6は、左が郭Ⅱ(伝二の丸跡)の東面です。

 写真7は、郭Ⅱの西から東へと撮ったものです。こちらが主郭と考えられています。

 写真8は、郭Ⅱの北側内に位置する神社です。

 写真9は、郭の南東部分での発掘調査です。

 写真10は、南西角の出口で、ご覧のように郭西側に土塁があります。

 次いで、長者ヶ原廃寺跡(岩手県奥州市衣川区田中西)に移動しました。本廃寺は金売商人吉次の屋敷跡とも伝えられてきました。1958年の発掘調査により、一辺約100mの築地塀・本堂跡・西建物跡・南門跡が確認され、寺院様式の建造物群跡であることが分かりました。そして、発掘遺物から約1000年間に安倍氏が建立したものと推定されました。

 写真11は、説明板から遺跡を東に撮ったものです。

 写真12は、北へと遺跡を撮ったものです。

 写真13は、本遺跡の道路脇では発掘調査中で、これを撮ったものです。

 長者ヶ原廃寺跡西北隅から道路を挟んで約170mに渡船場跡があります。発掘調査で衣川川岸に約1間間隔で3列の柱脚跡が20個発見されました。廃寺跡に近接しており、衣川水運と密接に関係した遺跡と考えられます。写真14は、この説明板です。

 最後の写真15は、木々の間から見た衣川です。以上、駅前を9時過ぎに出発し11時前に遺跡探訪は終りました。

(2023.10.24)

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武蔵国畠山荘関連史跡―歴史雑感〔86〕―

 2023年8月26日(土)午後、武蔵国畠山荘(埼玉県深谷市畠山)の関連史跡を巡りました。畠山荘は立荘経緯等や荘園領主は不明です。この地は、桓武平氏良文流の秩父武基から嫡宗の武綱、重縄、重綱、重弘と続き、その長男重能が秩父郡吉田郷(秩父市吉田)から本荘に移転し、初めて畠山氏を名乗ったところです。

 まず畠山重忠公史跡公園です。ここは竹山重忠墓(五輪塔)の地で、公園として整備されました。写真1は、『源平盛衰記』第三十七・義経落鵯越並畠山荷馬付馬因縁事に、「馬を労らんとて、手綱腹帯より合せて、七寸に余て大に太き馬を十文字に引からげて、鎧の上に掻負て、椎の木のすたち一本ねぢ切杖につき、岩の迫をしづ/\とこそ下けれ。東八箇国に大力とは云けれ共、只今かゝる振舞、人倫には非ず、誠に鬼神の所為とぞ上下舌を振ける。」とあるのを、すなわち福原合戦の「鵯越」で畠山重忠が馬を担いで崖を下ったとの故事を像としたものです。

 奥に入り五輪塔を保護する覆堂が見えます。ここには6基の五輪塔が収められています。写真2は、左側の2基で、奥のが伝本田親常五輪塔で、13世紀後半のものと推定されます。近常は『吾妻鏡』では二俣川合戦で重忠郎従として戦死しています。手前は鎌倉後半を降らないと推定されます。

 写真3は、中央にある伝畠山重忠五輪塔で、近常墓より新しいですが、鎌倉後半を降らないと推定されます。

 写真4は、右の3基で、奥は13世紀後半、中は室町初期、手前は南北朝と推定されます。

 写真5は、嘉元二年甲辰(1304)卯月(4月)九日と刻された三弁宝珠種子阿弥陀一尊・種子の板石塔婆です。重忠没後百年に当たるので、重忠百回忌供養として立てられたと伝わっています。

 写真6は、伝畠山重能(重忠父)墓で、一枚板の自然石と伝わります。

 写真7は、右に覆堂、左に伝重能墓です。

 次いで北に移動して、真言宗豊山派の白田山観音院満福寺です。平安時代後期創建とし、重忠が寿永年間に再興して菩提寺としたと伝わります。写真8は、重忠の守本尊である千手観音像を安置する観音閣です。

 写真9は、本堂です。

 写真10は、重忠廟です。奥は観音堂です。

 満福寺から左(西)に回り込み北に行くと、荒川に出ます。重忠が帰路で豪雨にあい、荒川を渡れなかったところ、鶯が鳴いて浅瀬を知らせたとの伝承があり、ここを鶯の瀬といいます。写真11は、この案内板の脇から見た荒川です。

 奥(東)に少し行くと、秩父氏の発祥地の秩父郡吉田郷の井椋五所宮を重能が分祠した井椋神社です。最後の写真12は、本殿です。

(2023.08.30)

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