杭州・良渚博物院―中国雑感〔3〕―

杭州へと結婚式参席のため旅行しました。式の前日、2009年10月17日(土)、を利用して、博物館見学をしてきました。それも日本からの観光客はまず行きませんが、世界史的に見ても歴史的価値のあるところです。これが「良渚博物院」です。今回は本院を紹介します。

良渚博物院は、2008年9月29日、開館しました。開館時間は9時~17時(月曜日休館日。但し祝祭日は開館)で、入場無料です。住所は杭州市余杭区良渚鎮美麗路1号(美麗洲公園内)です。最寄りの市内バス停は旧国道104号上の「良博站」で、市内からは武林門北站発瓶窰南站行のK348路(4元)で来れます(私は卒業生のマイカーで来たので、良博站からの距離・道は不分明ですが、国道から南に山側に行きます)。「良渚文化」の命名遺跡である、良渚遺跡区に建設されたのが本館です。杭州市中心の西湖から北北西に位置し、車で半時間あまりの所です。なお、良渚鎮にあった良渚文化博物館は本館開設に伴い閉鎖されました。

良渚文化は、約8000年前の河姆渡文化や跨湖橋文化の後を追う、長江下流域の新石器文化であり、長江文明の一角をになうものです。江蘇・浙江両省にわたる長江デルタで、長江と銭塘紅に夾まれた地区に遺跡が集中的に分布し、約5250~4150年前のものであり、この中核が莫角山遺跡を中心とする良渚遺跡区です。本遺跡区は、1936年に施昕更により最初の発掘がなされ、1959年に良渚文化と命名され、1998年に中国重点文物保護単位に指定され、余杭区良渚・瓶窰の両鎮にわたっています。そして、2007年、発掘調査により、莫角山遺跡などを囲い込む城壁が確認され、祭壇と城壁を持つと古代都市遺跡であることが分かりました。

本館は、基本的に良渚遺跡区の発掘遺物(玉器・陶器・石器・木器など)と往事の生活再現パノラマが本館の展示の中心となっており、三つの展示室、展庁一「発現求真」、展庁二「良渚古国」、展庁三「良渚文明」からなっています。写真1は本館への入口と建物です。

展庁一「発現求真」は、1936年の最初の発掘から2007年の城壁発掘にいたる考古学的成果を展示するとともに、陶器・石器などの発掘遺物を展示し、本遺跡と良文化の知識が得られるようになっています。写真2は、展示の終わりの方にある、良渚「古城」遺跡のジオラマで、東西約15~1700m、南北18~1900mの城壁(底部は砕石で、幅約4~60mもある大規模なもので、土積の城壁残存高4m強)が、莫角山遺跡(祭祀基壇)を核として四囲に構築された、面積約290万㎡の中国最大の古代都市遺跡であることを示しています。
展庁二「良渚古国」は、農耕・陶器制作・玉器製作・木材加工・建築・紡織などの生活パノラマ展示があり、その中心に祭祀基壇建設(莫角山)のパノラマ、すなわち写真3に見るものがあります。高みに首長(「王」)が立ち、この後ろに従者がひかえ、指示を与え、人々が建設に励む姿が示されております。写真には写っていませんが、「王」の後方には武器を携えた兵士がひかえています。また、玉管串などの装飾品の展示もあります。これらにより、往事の社会と人々の生活が分かるようになっています。
前の二つの展庁にも遺物展示がありますが、展庁三「良渚文明」は、本遺跡発掘遺物を基本として、玉器・陶器・石器・木器・織物など千余点を展示されて、遺物展示の中心となっています。特に、本遺跡は玉器に優れ、各種の玉器が多数展示され、目を楽しませてくれます。まず写真4は玉琮です。ご覧のように、玉琮の四隅に神人獣面紋の線刻装飾がなされています。この神人獣面紋装飾は本遺跡遺物玉琮に見られる特徴で、ダイアモンドなどのないところで、如何にこの装飾をなしたか不可思議なことです。
写真5は、本遺跡遺物の白眉である、刻紋玉璧で、本館で初めて公開されたものです。写真ではお分かりになりがたいですが、玉璧上部に刻紋(図形符号)が刻まれており、これを拡大鏡で見られるようになっています。玉琮とならんで玉璧も遺物の中核を占めるものとして多数の逸品が展示されています。
写真6は、玉三叉形器です。面上に線刻があり、これも拡大鏡で、神人獣面紋の装飾を見ることができます。本写真ではコントラストが弱いため確認しづらいでしょうが。以上のほか、玉鉞・玉串飾・玉管・玉鐲など各種の玉器が展示されおり、良渚文化が玉器で満たされていたことが分かります。

〔追記〕 フォトアルバム「杭州・良渚博物館」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpMv6_48q5vUhRPoPgです。

(2011.09.23)

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杭州行

明日朝(2009年10月16日)から19日まで、
西安交大卒業生の結婚式出席のため、杭州に行きます。
杭州は1990年夏以来です。

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国慶節の天府広場夜景―成都雑感〔83〕―

 2009年10月1日は、中華人民共和国建国60周年の、国慶節です。ニュースでもご存じのように、首都北京では天安門広場で軍事パレードを含む大イベントが行われました。ここ成都でも、60周年を祝いの飾りや催しもが街に見えます。そこで、成都市の中心である天府広場に夜出かけ、この風景をお見せします。 

 写真1は、広場の北中央に人民東・西路を隔てて立つ、ライトアップされた毛沢東像(1969年建立)です。

 写真2は、広場右(東)に位置する東魚眼龍騰噴泉です。この地下に地下鉄1・2号の駅ができます。

 

 写真3は、広場北にある成都市体育中心(総合グランド)から打ち上げられた祝賀花火を、広場左(西)の西魚眼龍騰噴泉越しに撮ったものです。この花火打ち上げは20時から約30分近く行われました。

 なお、天府広場については、「天府広場新装オープン―成都雑感〔35〕―」(2007年3月11日付)で紹介しています。〔追記〕 フォトアルバム「成都・国慶節の天府広場夜景」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpMtK_CYvt6C_4L-Xwです。

(2011.09.23)

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錦江夜景―成都雑感〔82〕―

 錦江は成都市内を西から東に流れる府河と南河(両川とも都江堰市で岷江の分流となる)の別称で、両川は市内東南で合流し、府河として黄龍溪を経て、眉山市彭山県で再び岷江と合流します。90年代に入り、汚染などで荒れていた両川を整備し、現在では、錦江は両岸に遊歩道公園などが設けられ、市民の散策の場として親しまれています。特に、一環路内主要部は夜間照明がなされ、橋共々ライトアップされるようになっています。そこで、望江楼公園から人民南路までの錦江夜景を紹介することにします。

 写真1は、望江楼(「望江楼公園―成都雑感〔78〕―」2009年4月22日付参照)を上流北から川越しにとらえたものです。望江楼にはライトアップの設備がありますが、残念ながら平日(9月24日木)のためか光はなしでした。ですが、ちょうどこの日は、成都には珍しく、夜に入っても晴で、写真に見るように、楼の頭上に月が出ていました。


 写真2は、一環路にかかる九眼橋全景を下流東南から撮ったものです。この橋の西北約3kmに市中心の天府広場が位置しています。ちょうど橋後景のビルの方向です。本橋は、1593(明万暦21)年、創建され、現在の橋は1988年建設のもので、長約120m・幅25mです。この橋の南岸に、20世紀半ばまで船着き場があり、楽山からの舟運の成都の窓口でした。なお、古橋にあった九つの橋脚間のアーチ型空洞から、この橋の名が来ています。

 写真3は、九眼橋の西約300mにある安順廊橋を上流西から写したものです。本橋の創建が何時かは不明ですが、マルコ=ポーロの『東方見聞録』にこの橋の記載があり、歴史の古い橋です。現在の橋は2003年に新築されたもので、欄干・橋舗道が石造りで長81m・幅6mです。廊とあるように、橋上に楼閣が建てられており、現在、中華レストランなどが営業しています。ちょうど、この橋の上流で、北からの府河と西からの南河が合流し、合流点直前の府河上に合江橋が架けられています。また、安順廊橋上流南岸には、茶館があり、茶などの各種の飲料が楽しめます。ちなみに、撮影途中で、私は休みを兼ねてビール(ハルビンビール中瓶15元)を頼み、ライトアップした両橋と川辺を見ながらのどを潤しました。


 この後、南河をさらに西へと上流に向かい、興安橋、復興橋(新南路)と過ぎ、人民南路へと歩きました。写真4は、南河の人民南路上に架かる錦江大橋を、上流南岸からとらえたものです。後景のビルは成都索菲特万達大飯店(ソフィテル成都 5星)です。ご覧のように、本橋は改修工事中(年末完成予定)で、照明設備が未完成です。ですが、橋の中央には国慶節をひかえて、お祝いの赤のぼんぼりが飾られています。この改修工事により、1958年建設の本橋は、長70m・幅50mが長80m・幅80mと拡張されます。車道路面本体の拡張工事は終了して利用可能になっています。

 

なお、今回の撮影はペンタックスK-7によるもので、すべて手持ち撮影(ノーストロボ)で、シャッタースピード0.4秒のもあり、手ぶれ補正機能のありがたさを実感しました。

〔追記〕 フォトアルバム「成都・錦江夜景」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpMuU7kj9tvO5EfMeQです。

(2011.09.23)

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「日本語研究学術交流団」講演会―成都雑感〔81〕―

 2009年9月4日(金)、大正大学名誉教授倉島尚節先生以下、総勢9名の先生方を迎え、14時から18時過ぎまで、西南交通大学外国語学院会議室で、「日本語研究学術交流団」講演会を行いました。9名の先生方がそれぞれ20分程度の日本語の各分野の講演を行い、最後に30分程度の質疑討論を行いました、本学の教員・大学院生・4年生を始め、市内の一部の大学の教員・大学院生も参席し、会場は満席の盛況でした。

 各先生方の講演題目は講演順に次の通りです。

   倉島尚節(大正大学名誉教授)  漢字の音読みと訓読み

   山本真吾(白百合女子大学教授) 古文献の表記―漢字・平仮名・片仮名―

   木村義之(慶応大学准教授)   敬語接頭辞「お」と「ご」の諸問題

   中山緑朗(作新学院大学教授)  和製英語について

   陳力衛(成城大学教授)     日中同形語の問題点

   沖森卓也(立教大学教授)    助詞の諸問題

   山田進(聖心女子大学教授)   「する」と「やる」

   梁継国(茨城大学教授)     「你」≠「あなた」?

   木村一(東洋大学専任講師)   鼻濁音について

 写真1は、最初の講演、倉島先生の講演風景です。

「日本語研究学術交流団」講演会―成都雑感〔81〕―

 写真2は、質疑討論の場で、本学大学院生による最初の質問風景です。

「日本語研究学術交流団」講演会―成都雑感〔81〕―

 写真3は、講演会終了後になされた、記念撮影です。日本語学科主任劉旭宝教授の左右に日本の先生方が並んでいます。

「日本語研究学術交流団」講演会―成都雑感〔81〕―

 なお、今回の講演会は私の初中国でお世話になった陳先生のグループの先生方で、前々から九寨溝・黄龍行を兼ねてお誘いをしていたところ、ようやく実現できたものです。

(2009.09.06)

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成都に戻る

本日(8月31日)、いつものCA422便にて、成都に戻りました。
北京での離陸待ちにより、30分あまり遅延しました。
昨日は、総選挙の投票を終え、開票速報を見続けて、家を出発しました。
但し、昼間にたっぷり昼寝をしておきましたが。
歴史に残る選挙結果といえましょう。
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西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会

 2009年8月1415日(金・土)の2日間、西安交通大学日語系1期生(1985年入学・1989年卒業)が、卒業20周年の同窓会を西安で集いました。中国各地および日本から11名(全14名 女9・男5名)の卒業生が母校に顔を合わせました。14日午後から、恩師や外国語学院幹部との懇談会、夜は懇親宴会とカラオケで、よく話し、食べ飲み、歌い、大いに楽しみました。15日は郊外へと繰り出し、昭陵(唐太宗墓)観光後、礼泉県袁家村(観光農村)でゆったりとした時間を過ごし、最後に夜のキャンパスを散策しました。

 写真1は、懇談会での卒業生一同で、左端がクラス担任の王精誠先生です。

 西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会

 写真2は、顧明耀教授らの恩師および外国語学院幹部の先生方です。この中には、当時教鞭を執っておられた日本人の方もおられます。また、母校に残り、教員として後輩を育てている卒業生もいます。

西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会

 写真3は、在学時に学び、現在でも外国語学院の入っている校舎前での記念撮影です。

西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会

 写真4は、袁家村での昼食風景で、地元の野菜を主体とした、農家料理です。この村は全村をあげて、観光村として再開発し、料理や麻雀・釣りなどで過ごすことができます。中国のマイカー化の促進がこのような村を大都市近郊に生み出しました。

 西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会

 最後の写真5は、大学正門の北門でのものです。現在では、学生区のある南側地区に新しい建築群があり、南門も設置されたので、日常的な中心出入口は南に移っています。

西安交通大学日語系1期生卒業20周年同窓会

付記  今回の撮影は、ペンタックスK-7(ペンタックスDA1770mm)の初お目見えです。

(2009.08.18)

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夏休みの帰国

本日、夏休みの帰国をします。
戻りは、例年より少し早く、8月31日の予定です。
なお、お盆の時期に西安に出かけます。
西安交通大学日本語学科1期生卒業20周年同窓会のため。

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2009年度前期記事目次

2009年度前期(1月~6月)の記事目次を掲載します。なお、前回までの記事目次は「ブログ開設1周年記念・記事目次」(20051124日)、「2005年度後期記事目次」(同年1231日)、「2006年前期記事目次」(2006年6月30日)、「2006年度後期記事目次」(同年1231日)、「2007年度前期記事目次」(2007年6月30日)、「007年度後期記事目次」(同年1231日)、「2008年度前期記事目次」(2008年7月5日)、「2008年度後期記事目次」(20081231日)です。

 

01.09 冬休み帰国

02.22 成都に戻る

03.13 成都送仙橋古玩芸術城―成都雑感〔77〕―

04.07 蜀南竹海―四川雑感〔10〕―

04.22 望江楼公園―成都雑感〔78〕―

04.26 西安交通大学日本語学科老師来成都

05.07 西安旅行へ

05.12 五一二・四川汶川大地震1周年

05.26 西南交通大学での新型インフルエンザ対策

06.08 四川博物院(旧四川省博物館)オープン―成都雑感〔79〕―

06.14 西南交通大学日本語学科卒業答弁会―成都雑感〔80〕―

(2009.06.30)

06.30 2009年度前期記事目次

 

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西南交通大学日本語学科卒業論文答弁会―成都雑感〔80〕―

 6月1213日(金・土)、西南交通大学日本語学科の卒業論文答弁会が犀浦キャンパスで行われました。例年ですと大学の答弁会(抽選で答弁者を)後に、日をあけて学科答弁会でしたが、本年は連続して行いました。13日8時より大学答弁会(6人)、午後学科答弁会(14名)、13日学科答弁会午前・午後(28名)で、17時過ぎに終了しました。学科答弁会は、両教授を主任に、指導教官別に2班に分けて行いましたから、各班の各回は7名ということになります。2クラス全48名となります。発表時間は12分で、質問時間が8分で、1人当たり20分ですが、だいたいこれ以上かかりました。写真は大学答弁会のもので、学院の多能機能教室を用いました。この教室はLL機能を有し、教官用のコンピューターのみならず、各学生用のコンピューターを有しています。発表者はパワーポイントでレジュメを作成し発表しますから、各自はデスク上のディスプレーで見ることになります。大学の答弁会であることは、写真の赤い横断幕に、「西南交通大学2009届本科畢業設計(論文)校抽答弁」とあることでお分かりでしょう。

 

今回、私が審査した大学答弁会・学科答弁会の卒論題目(27編)を示します。

〔言語類〕(9編)

中国語兼語形式使役句の日本語表現の研究

中日慣用語の比較

中日の身体語彙慣用句の対照比較―「目」と「口」を中心に―

日本語の動物慣用語についての研究

中日同形語の差異に関する研究

日本の若者用語に関する研究

日本語の曖昧語に関する研究

日本語の男女用語差別

外来語から見る日本語

〔翻訳類〕(4編)

「愛と美について」の翻訳について

「走れメロス」の翻訳について

「橋」の翻訳について

「病院の窓」の翻訳実践および技巧研究

〔日本文化類〕(10編)

諺語から日本人の性格を見る

中日神話の比較研究―創世神話と英雄神話を中心に―

日本人の死生観

教育活動から見る中日小学校の教育理念

日本少子化の現状の原因と対策についての研究

日本相撲の問題と対策の検討

日本のスター広告の魅力

宮崎駿の作品から見える人類生存環境への思考

日本のライトノベル成功の必然性

「オタク」および「オタク」市場についての研究

〔日本文学類〕(4編)

『奥の細道』から松尾芭蕉の美意識を見る

芥川龍之介作品中の母親像の分析

『風の又三郎』に関する研究

『雪国』から見る川端康成の美意識

ここ数年と比較すると、日本文化類が最大数ですが、言語類が増加しました。その分、日本文化類が減少したことになります。

 西南交通大学日本語学科卒業論文答弁会―成都雑感〔80〕―

 (2009.06.14)

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四川博物院(旧四川省博物館)オープン―成都雑感〔79〕―

卒論指導が全員(6名)稿了となり、時間に余裕ができたので、5月9日にオープンした四川博物院に5日(金)行ってきました。

四川博物院は、2002年に閉鎖された四川省博物館(人民南路四段)が移転し、新築されて、面目を一新してオープンしたものです。本院は1941年に創立され、新中国で四川省博物館となり、今回の新オープンで創立時の名称に戻りました。住所は浣花南路251号で、浣花溪公園の東側に当たり、正面入口(北)は青華路です。公園の西が杜甫草堂です。開館時間は9時~17時で、月曜日が休館日です。入館料は身分証明書(旅券)を提示することで無料となっています。最寄りのバス停留所は送仙橋站で、19路(金沙公文站~和平小区站)・35路(三聖寺站~郭家橋北街站)・47路(金沙公文站~成仁公文站 塩市口站経由)・82路(茶店子公文站~成仁公文站 武侯祠経由)・88路(林湾公文站~百花中心站)・301路(杜甫草堂站~十陵站 武侯祠・新南門経由)・901路(成都旅游集散中心站~金沙遺址站 観光路線)などが停まります。

館収蔵品26万点から選ばれた千点ほどが展示されています。建物入口の階段を上ると、ここは2階です。展示室は3階・2階・1階です。3階は5室、「四川民族文物館」(彝族・羗族・チベット族・苗族・土族)「工芸美術館」(玉器・金銀器・漆器。蜀錦など)「百年四川館」(近現代の四川省)「万仏寺石刻館」(成都市万仏寺遺跡発掘石仏など)「蔵伝仏教(チベット仏教)文物館」(金銅仏・絵画・典籍など)、2階は4室、「張大千芸術館」()「書画館」(唐代から現代にいたる絵画)「陶瓷館」(新石器から清代の陶磁器)「青銅館」(周・戦国期の四川省内遺跡遺物)、1階は2室(ほかに特別展示室が2室)、「四川漢代陶石芸術館(一)」「四川漢代陶石芸術館(二)」(四川省内遺跡遺物)となっています。

2日(火)以来、MSN spacesへはアクセス不能でしたが、本日ようやくアクセス可能になりました。それで、ここでは簡単な紹介にして、写真は北側正面から博物院建物全景を撮ったもののみにとどめておきます。

四川博物院(旧四川省博物館)オープン―成都雑感〔79〕―

(2009.06.08)

〔追記〕 フォトアルバム「成都・四川博物館」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpILuxVkka679RFjtAです。

(2011.09.23)

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西南交通大学での新型インフルエンザ対策

 メキシコ発祥の新型インフルエンザ(swine-origin influenza略称S-OIV)、すなわちA-H1N1(中国名・甲型H1N1)は、現在、中国国内での感染例は見られず、少数の海外感染者発症例しか見えません。このためもあり、SARSの時とは異なり、成都市内は至って平穏で、報道を見ない限り、世界で流行している気配はここ成都の日常生活からはうかがえません。

 しかし、この影響を全く受けていないかというと、そうともいえません。実は、西南交通大学でも、新型インフルエンザ対策を行っているのです。すなわち、1年間のアメリカ留学から帰国した学生10名を、25日から31日までの1週間を隔離保護観察にしたのです。SARSの時も、北京などの流行地から帰った教職員・学生に同様な措置をとりました。この宿舎が、今回もSARSと同じく、私の居住している鏡湖賓館別館の専家楼です。

 ここは1号楼・2号楼の2棟(4階建て)からなり、周りを屏で囲まれています。門を閉じれば閉鎖空間になります。SARSの時は、全棟が隔離宿舎になり、門にカギがかけられ、警備員も配置され、外部との接触が断たれ、定期的に健康診断を行っていました。食事は賓館で調理した弁当を差し入れしていました。私を含め、居住者は賓館本館に移り、結果、4月末から9月初めまでこの生活が続きました。

 今回は、門側の2号楼のみを隔離宿舎に当てています。私の居住する奥の1号楼はそのままです。ただし、南側の入口(昨年の改修で新設)は閉められ、北側の入口から出入りします(北側からは直接に道路に出られます)。2号楼は北側の入口はカギで閉鎖され、別館全体の屏の門(南側)も閉鎖されています。2号楼の1階の服務員室は臨時に1号楼の1階の麻雀室(昨年の改修で新設)に移転しました。これで、いちおう2号楼は外部と閉鎖されたことになります。したがって、今回は従前通りに私は1号楼にいます。昼に1号楼の様子を見たら、2人ほどが庭に出て、屏越しに友達と話していましたし、各部屋の窓がおおむね開いていました。このことは、隔離といっても、SARSの時ほど厳重ではないといえます。学生たちができるだけ快適に過ごせるよう、接続口は設置されていましたがライン接続なく、使用不可であったのが、急遽ライン工事を行い(私の部屋も)、インターネット接続の環境を整えました。

 以上は、新型インフルエンザ対策の直接的な私への影響です。

 なお、社団法人日本感染症眼科医緊急提言「一般医療機関における新型インフルエンザへの対応について」は、普通人にとっても、基本的な知識として、来るべき強毒性新型インフルエンザへの対応策としても、有効たりえるので、リンクしておきます。是非ご一読を。

(2009.05.26)

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五一二・四川汶川大地震1周年

 2008年5月12日(月)14時28分、マグニチュード8の四川汶川大地震が中国を襲い、多大の方々が犠牲になり、大いなる被害をもたらし、まだまだ復興の道は中途です。今日、12日(火)はこの1周年です。同時刻に中国全土で追悼の黙祷を捧げるとともに、震源地近くの汶川県映秀鎮の倒壊した漩口中学で、胡錦涛国家主席のもと、1周年追悼式が行われ、中国中央テレビでもこの模様を生中継しました。
火曜日は講義のない日なので、私は卒論修正の時間を割いて、テレビ中継を見つつ同時刻には部屋で黙祷しました。この映秀鎮の地は九寨溝への往復で何度か通ったところなので、この中学も目にしていたはずですから、感慨あるものです。
あらためて、犠牲になられた方に追悼の意を表すとともに、被災された方の1日も早い復興を祈るものです。
(2009.05.12)
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西安旅行へ

本日(7日)から9日まで、外事処主催の観光旅行で西安に行ってきます。
西安の観光地は熟知しているので、どうということはありませんが、
ともかく行ってきます。

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西安交通大学老師来成都

 4月24日(金)~26日(日)、西安交通大学日本語学科の5人の先生方が成都に来られました。成都在住の卒業生5人も集い、ゆったりと楽しい時間を過ごしました。川菜・火鍋・茶館・五粮液など、四川の良さに触れらたと思います。

 写真は、「寛窄巷子歴史文化保護区修復竣工オープン―成都雑感〔69〕―」(2008年6月17日付)で触れた、旧来から営業していた「茶馬古道」茶館2階での先生方です。実は、この茶館には以前2階がなく、1階(路上)のみで営業していました。今回久しぶりにここを訪れたら、2階に棚(テラス)を道側に増築し、内部と合わせ、2階でも営業していました。下はいっぱいだったので、一同2階に上がりました。午後の時間をのんびりと数時間もおしゃべりとお茶で過ごしました。

090425西安交大老師来成都 004

(2009.04.26)

 

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望江楼公園―成都雑感〔78〕―

 先日「蜀南竹海」に行ったので、成都市内で竹といえば望江楼公園(内外の約140種の竹が植えられている)が一番で、今回はこれを紹介します。望江楼公園は市中心の天府広場の東南約4kmに位置し、東を錦江に臨んで南北に長く、11.8haを占めます。北が文物保護区(北大門)で、南が園林開放区(西・南大門)です。文物保護区(望江楼古建築群―2006年全国重点文物保護単位指定)の開園時間は8時~18時で、入園料は20元です。最寄りのバス停は望江楼公園站(北大門)で、19路(金沙車站~和平小区站 草堂北路・青羊宮経由)・35路(三聖寺站~郭家橋北街站 草堂北大門・青羊宮経由)・335路(武科東三段站~郭家橋北街站 武侯祠経由)が停まります。

 北大門を入ると、前方に竹の林が広がります。写真1はその中央の道を撮ったものです。写真に見える緑色板は竹の説明版で、名称(中国名・英語名)と説明(中国語)が簡潔になされています。また、左手に行くと、成都市を縦断するシンボル的な川、錦江に沿った柳の道に出ます。保護区内でも、説明版のある竹は確認できただけでも、観音竹・牛児竹・大明竹など50種以上に及びます。園林とのを合わせ、竹の植物園といってもいいでしょう。

 「瀆竹苑」と呼ばれる竹と石の庭園を過ぎると、右手に薛涛紀念館があります。ここは唐代の女性詩人薛涛(768~831年)の事績を展示してあるところです。往事のものは残っていませんから、主として文献から彼女をたどっています。薛涛は唐の都長安(現陝西省西安市)生まれとされ、官吏の父に従い成都に移住し、父の死後に困窮し、妓女になりましたが、その詩才が認められ、女性詩人として名声を博し、白居易をはじめとする当代の詩人と親交を持ち、成都に骨を埋めました。唐代随一の女性詩人として知られています。

 写真2は薛涛ゆかりの薛涛井です。薛涛箋という原稿紙を成都の井戸の水で薛涛は作ったとされています。これにより、明代初期から中期に当時の蜀藩王がこの井戸の水で薛涛箋を模して作ったところから、これを薛涛井と呼ぶようになったとのことです。

 薛涛井の左手(南)に浣箋亭があります。薛涛を記念するために、清代の1814(嘉慶19)年に建てられ、現在の建物は1898(光緖24)年に再建されたものです。井の正面前方(東)には濯錦楼と崇麗閣(望江楼)があります。左(北)の濯錦楼も浣箋亭と同時期の建物です。これらの建物群の中央の空間に大木が天にそびえています、この根元に「崇麗」の字を石刻した巨石が置かれています。この字は書聖王羲之の字を集めたものです。

 

  写真3が保護区の中心の建物の崇麗閣、すなわち望江楼です。写真は閣の南側にある吟詩楼への石段上から撮ったものです。右手が錦江になります。楼は高さは27.98mで、4層からなり、下2層は四角で、上2層は八角です。1886(光緖12)年に修築され、1889(光緖15)年に完成しました。晋代の文学者左思『蜀都賦』の一句「既麗且崇 実号成都」から名付けられた閣です。なお、この閣の四囲にはライトアップ施設が設けられています。

 望江楼は最上階の4階まで上ることができます。眼下には錦江を望め、川が南東から南西へと流れを変えていくことが見えます。北の方が成都市の中心部で、今ではビルやマンションが林立しています。写真4は、最上階ではなく、3階から北へと錦江と濯錦楼を望んだもので、崇麗閣の緑色瑠璃瓦と反り返った金宝鴟尾が見えます。以上、崇麗閣(望江楼)・濯錦楼・吟詩楼・浣箋亭が清代末期の古建築です。 

(2009.04.22)

〔追記〕 フォトアルバム「成都・望江楼公園」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpIMuf3SX5oVRh_00Qです。
(2011.09.24)
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蜀南竹海―四川雑感〔10〕―

 四川省は竹の地方としても知られています。この四川の竹を代表するところが、中国最美10大森林の一つ、全山が竹に覆われた「蜀南竹海」です。名前の通り、四川省南部(蜀南)に位置し、省都成都市から南南東に直線約250kmの宜賓市長寧県万嶺鎮・江安県万里鎮にまたがり、総面積が120、中心風景区が44㎢を占めます。風景区の中核は東西約3km・南北約6kmで、ほぼ四面を険しい崖で囲まれた山で標高約1000~600mです。楠竹・水竹・人面竹・琴絲竹など土地の竹58種、他所からのを含めて全300種余り、竹林は約5千haもあります。

 今回、清明節(4月4日)の休日を利用して、1泊2日のツァーでここを訪れました。ツァーの概況は、1日目、朝成都出発・宜賓市昼食・午後蜀南竹海観光(竹海博物館・翡翠長廊・忘擾谷)、2日目、午前観光(仙寓洞・天宝寨・海中海)・午後観光(七彩飛瀑)・夜成都着でした。四川省中国青年旅行社を利用し、340元でした。この料金はシーズンとなると値上がりします。なお、入場料や食事代は含まれていますが、ロープウェー往復40元・竹筏4人60元は含まれていません。

 朝7時に集合場所(二環路成温立体橋脇のスーパーのメトロ前)に集まり、その後出発し、さらに客を拾い、市内を出たのが8時過ぎでした。成渝高速・内宜高速と約4時間走り、宜賓市内で昼食後、約1時間で、13時50分、蜀南竹海風景区に入りました。まず、近くの竹海博物館から観光のはじめです。ここは、竹の工芸品(楽器・武器・漁猟・竹腰輿など)などで、主に竹文化の展示をしています。13時58分に入場し、14時28分に出ました。

 次いで移動し、観海ロープウェー乗り場に向かい、これに乗り、翡翠長廊と観海楼に向かいます。今日はまだそれほど観光客もいなかったので、10分ほどで乗れましたが、多客期になると1時間以上の行列待ちになります。乗車時間は20分あまりと結構長いものです。降りて、道を行くと右隣が観海楼ですが、後にして進むとお土産街です。その先の右が翡翠長廊です。15時20分でした。写真1がその途上から来た方向へと撮ったものです。竹海で一般的な楠竹の色が翡翠を思わせるので、名付けられたものです。竹の葉が覆い茂る夏ともなると、葉で空を覆い隠し、竹のトンネルとなるのです。ここへは下から乗用車が入れますから、ご覧のように駐車中の車が見えるのです。

090404蜀南竹海 (35)

 写真2は、長廊の途上で、人面竹への案内の出た道へと左に入り、途上で竹林の中で見た、竹の子です。まさに竹の子のシーズンに入ったことが、手前の竹の子の後方にも何本かの竹の子が見えることでお分かりでしょう。なお、人面竹は道に並んだ露店のお土産屋さんの切れた先にあります。

090404蜀南竹海 (46)

 長廊から戻り、ロープウェー乗り場脇の観海楼に上り、観竹海(竹林)を見下ろしたのが、写真3です。まだ竹は青々とはしていませんが、左側の山は全山竹で覆われています。こちら側に長廊は位置しており、この山が風景区の中核なのです。そして、写真中央やや右に小さく青・赤に見えるのがロープウェーの2人乗りゴンドラです。こうして、ロープウェーで帰ってきたのが、16時半過ぎでした。

090404蜀南竹海 (51)

 1日目最後のスポットは忘擾谷です。ここは両側を竹海に覆われた小さな谷です。16時50分に入りました。写真4はその奥にある五疊屛です。小さな滝ですが、段に分かれています。これは奥のです。17時20分には戻り、これで本日の観光は終わりです。夕食では皆さん20元追加で、地元産の竹の子料理を味わいました。

090404蜀南竹海 (66)

 2日目(4月5日)の観光は仙寓洞からはじめました。この日は雨が弱いながらも降っていました。この雨の中、8時6分に下車し、洞へと竹海の中の道を歩きました。10分ほど下ると、絶壁にへばり付いている洞に出ます。これは竹海の南部中央に位置し、明代の摩崖仏が残されているように、古く創設され、仏・道両教の所でしたが、現在は仏教寺院のみとなっています。数百mの絶壁上に、長さ300mに渡っており、この中に大雄宝殿等が設けられていますし、途中に滝(穿飛瀑)がかかっています。写真5は洞の東部から洞主部を望んだものです。 090405蜀南竹海 (43)

 洞をさらに進むと、天宝寨に出ます。洞と寨は同じ絶壁上に連なっています。寨は、1862(同治元)年、太平天国軍の石達開に破れた清地方官吏が防御のため築いた城です。長さ1500mで、幅の広いところでも10mと狭く、絶壁上に細長く溝をうがち、その中に13の石寨門を設置して防御施設としたものです。この中の壁には後に「三十六計」石刻が刻まれました。写真6はその中間付近で、絶壁にうがたれた溝の狭さが分かるでしょう。前門(東)からは竹海の中を上ることになります。ここには篭屋さんがいました。バスに戻ったのは9時半過ぎでした。この頃までには雨は止んでいました。 090405蜀南竹海 (51)

 次に海中海に向かいます。10時10分到着しました。海中海とは竹海中の湖ということです。ここでは竹筏で、湖を巡ります。写真7が竹筏で湖を巡っている様です。私たちの時には待ちはありませんでしたが、岸に戻ったときは、乗船待ちの観光客でいっぱいでした。11時10分過ぎにバスに戻りました。以上で、午前の観光を終え、竹海の中で昼食です。

090405蜀南竹海 (71)

 竹海最後の観光地スポットは七彩飛瀑(落魂台)です。ここは竹海最大の滝で、4段に分かれた滝が高度差200mほどを落ちます。12時15分、バスを降り歩きです。広場(八卦)に出て、案内にしたがい道を左に取ります。一段の滝上(回龍橋)を通り、下に降りると、渡し船に出ます。渡船料は4元です。船を降り下ると、二段の滝です。この滝は高さ15m・幅3mほどのものです。写真8がこれですが、見ればお分かりのように、滝の裏側がえぐれてこれが通路となっています。まだ増水期ではないですが、それでも水しぶきを浴びます。この滝は北面していますが、正午になると陽を受けて虹が出るとのことです。さらに進むと、絶壁を落ちる高さ74mの四段の滝が対面した絶壁上から見られます。そして、上っていくと広場に戻ります。以上、広場からは時計回りの周回路です。実は、二段の滝へは広場中央の道から直接下ることもできます。13時10分前にはバスに戻り、全観光が終了です。19時過ぎに成都に帰着しました。

 以上、ツァーで巡ったスポット以外にも、仙女湖(仙寓洞風景区)・青龍湖・観雲亭・墨渓・迎風湾・挂膀岩・龍吟寺・天皇寺(天皇山)などがあります。

090405蜀南竹海 (90)

 以上はツァーですが、個人で行く場合は、成都市から蜀南竹海行バスが新南門から出ています。9時10分と15時30分の2便、風景区西大門着で、97元です。風景区の入場料は85元(12~1月60元)で、60歳以上・学生割引があります。竹海内には、3星級の蜀南賓館をはじめ多数のホテルがあります。ただ、竹海は広く徒歩で回るのは無理でしょう。しかし、中には公共交通手段がなく、移動手段としては、県からのタクシーチャーターか、風景区内のバイクということになります。

 最後に、蜀南竹海案内図(中国語)を下に示します。これは宜賓市蜀南竹海風景区名勝管理局公式サイト(http://www.bamboosea.net/)から転載するものです。

蜀南竹海―四川雑感〔10〕―

(2009.04.07)
〔追記〕 フォトアルバム「四川・蜀南竹海」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpII905RXNXnLzyOYwです。
(2011.09.24)

 

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送仙橋古玩芸術城―成都雑感〔77〕―

 中国西部地方最大の古物市場、それは「成都送仙橋古玩芸術城」です。東に青羊宮(道教寺院)、西に杜甫草堂に近く、南を青羊正街に西を浣花北路に東を摸底河に挟まれたところにそれは位置します。本市場は1988年末に開かれ、古物雑貨・金石印章・玉翡翠・書画・古木製家具・工芸品などを扱います。店を構えた販売の他に、競売会や展示会も行われます。最寄りのバス停は送仙橋站です。19路(金沙公文站~和平小区站)・35路(三聖寺站~郭家橋北街站)・47路(金沙公文站~成仁公文站 塩市口站経由)・82路(茶店子公文站~成仁公文站 武侯祠経由)・88路(林湾公文站~百花中心站)・301路(杜甫草堂站~十陵站 武侯祠・新南門経由)・901路(成都旅游集散中心站~金沙遺址站 観光路線)などがここに止まります。

 写真1は本市場の入口です。ここを入ると、左右の2階建てのビルに各種の専門店が入っています。そのまま奥へと進むと、個人店がほぼ川に沿って南北に立ち並ぶ通路に出ます。写真2がその様子です。ここにはいわゆる古物雑貨店が並び、古銭から連画まで扱っています。もちろんこの並びで真物を見かけることはないと思います。むしろ贋物を楽しむところです。また、腰掛けていた幼児が転けているように、日常生活がかいま見えます。

 

  

 さらにここから北に進むと、川岸に沿って露店の並ぶところに出ます。これが写真3です。ここでも成都らしく店員たちが麻雀の牌を囲んでいます。写真の奥(南)に「仙河茶館」があります。写真4がそうです。摸底河に沿って竹椅子が並ぶ、成都本来の庶民の茶館です。花毛峰茶5元からです。

 

 

 以上、古物に興味のある方には本市場は見逃せないところです。なお、古物の国外持ち出しに関しては、正規の許可証が必要ですから、それを出せるところで求めることが肝要です。

 最後に、本市場に対面して、浣花北路には、「『龍抄手』総店―成都雑感〔75〕―」(200812月9日付)で紹介した「龍抄手」店があります。食事にはよいでしょう。

(2009.03.13)

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成都に戻る

昨日(21日)夕方、成都に戻りました。
CA422便でしたが、成田で動力源補充のため、離陸が遅れ、
北京で1時間、成都で50分の遅れでした。
今回の、成都までの乗客は6人で、日本人は私のみでした。
まだまだ四川省への日本人客は戻ってこないようです。

なお、成都空港で、成田からの乗客が国内線用のバスに紛れ込み、
係員がそれを探しに追いかけて、国内線バス出口で見つけたようで、
彼女は後から託送荷物ラインにきました。
くれぐれも、CA422便を利用して成都に入られるときは、
北京・成都空港で、「東京―成都」案内を持った係員を見つけ、
その指示にしたがってください。

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冬休み帰国

冬休みで、本日、帰国します。
いつものCA421便で、戻りは2月21日(土)に予定しています。
23日(月)から新学期です。

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