中国高速電車の商務座―中国雑感〔37〕―

 2018年4月11日(水)、西安から成都への移動に、昨年開通した高速電車を利用しました。そこで、高速電車の最上位座席である商務座(ビジネス席)に乗りましたので、これを紹介します。商務座はJR東日本のグランクラス相当です。私の乗った高速電車はG89次で、北京西站発成都東站行で、途中の降車駅は石家庄站・鄭州東站・西安北站と、省都のみ停まる最速電車です。ちなみに、北京西6時53分発、石家庄8時2分発、鄭州東9時32分発、西安北11時28分発、成都東14時41分着です。西安成都間は2時間27分です。G(高鉄)は最高時速350kmですが、西安成都間は秦嶺山脈を越える山岳路線なので、最高時速250kmです。西安成都間の運賃は商務座748元、一等座(グリン席相当)397元、二等座(普通席相当)263元です。座席は16号車1Aです。

 写真1は、商務座の革張りシェルフラット座席です。写真では見にくいですが、左側肘掛け下に電源コンセントが付いています。パーソナルモニターは左側肘掛けに入っています。また、青いところが座席の操作パネルです。服務員の呼出しボタンも付いています。

 写真2は、かすかに傾いていますが、フルフラットにした座席です。この点でグランクラスの座席より余裕があり、中国人乗客の中にはこのモードで昼寝の方もいました。

 写真3は、室内全景で、本車両では全5席です。3列・8行の24座席の車両もあります。

 乗車すると、服務員(アテンダント)が飲物の注文を聞いてきます。飲物は茶・コーヒー・コーラ等で、グランクラスのような酒類はありません。写真4は、熱い茶を頼み、それと共に「商務座贈物」持ってきたのを撮ったものです。「商務座贈物」は菓子類です。

 食事時の電車には弁当が付きます。最後の写真5は、昼食のスープ付弁当です。電子レンジで温めた物ですが、意外なほど味がいいです。量的にもグランクラスより上ではないでしょうか。缶ビールを持ち込んでおかずを肴に楽しみました。

(2018.04.30)

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漢長安城未央宮遺址―中国雑感〔36〕―

 2018年4月10日(火)、漢長安城未央宮遺址(西安市未央区二環路外)に行ってきました。本遺址は「漢長安城国家大遺址」として現在整備中です。現在のところ入場は無料です。公共交通機関は地鉄1号線漢城路站下車、A出口から直進して、交差点で右(北)に漢城北路に入り、186路に城西客運站(駅から約200m)で乗車し、漢城遺址站(3停留所)で下車後、北に約1.7km歩くと、未央宮前殿遺址です。なお、前殿遺址までは現在は車・自転車で入れます。

 前漢(紀元前206~8年)の都城である長安城(東西7.6km・南北6km)には5つの宮城があり、その一つ西南角にあるのが未央宮です。未央宮は、紀元前202年に建設が開始されて、東西2150m、南北2250m、総面積4.8㎢で、4つの宮門があり、中央に前殿がありました。本宮内では現在までに1号遺址(前殿遺址)、2号遺址(胡椒房殿遺址)、3号遺址(中央官署遺址)、4号遺址(少府遺址)、5号遺址(西南角楼遺址)、6号遺址(天禄閣遺址)、7号遺址(石渠閣遺址)、15号遺址(滄池遺址)、154号遺址(明渠遺址)が発掘されて保護されています。本遺址は1961年3月4日に第1回全国重点文物保護単位に指定され、2014年6月22日に世界文化遺産シルクロードの発起点として指定されました。

 写真1は、バス停から北に約600m、漢長安城南城壁に設けられた3つの城門、西側の西安門遺址です。ご覧のように3つの門道があります。西門道は既に破壊されており、中門道・東門道は幅約8mですが、両側の礎石位置から実際の幅は6mです。門道の長さは19~20mです。

 写真2は、西安門を通り、城内からの門と西に続く南城壁遺址です。南城壁は幅40~50m・深さ3mの水壕で囲まれており、水壕の水は渭河に排水されるようになっていました。左端の塀に覆われたところは未央宮南宮門とその後背地で、現在整備中です。

 西安門から約600mで道を西に取り約300m行くと北正面に前殿遺址が見えます。写真3は、約200m先の前殿遺址全景です。前殿の基壇は南北400m、東西200m、最高15mです。

 写真4は、3号庭園からの前殿です。前殿には南から順に1~5号庭園があり、段となり高さを上げています。右に見える黄色の電動カートは中国の観光地によくある移動用ですが、現在のところ運行されていません。

 写真5は、前殿上から南を見たものです。

 写真6は、前殿を東から西へと見たものです。

 写真7は、前殿上から北を見たものです。正面奥に見えるのが2号遺址(胡椒房殿遺址)です。

 写真8は、前殿からの戻りで、2号庭園から見たものです。庭園には建物もあり、その位置の表示もあります。

 写真9は、1985年12月撮影の西から見た前殿全景です。ご覧のように遺址は畑地でした。

 最後の漢長安城・未央宮図は、

京都・奈良文化財保護サイト』奈良文化財史/花開く都城文化/東アジア都城http://kousin242.sakura.ne.jp/blogs/eee/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E5%8F%B2/%E8%8A%B1%E9%96%8B%E3%81%8F%E9%83%BD%E5%9F%8E%E6%96%87%E5%8C%96/%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E9%83%BD%E5%9F%8E/からです。

 なお、フォトアルバム「陝西・漢長安城未央宮遺址」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngtN–jAdVi1BynzGsAです。

(2018.04.27)

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半坡博物館―中国雑感〔35〕―

 2018年4月6日(金)、半坡博物館(西安市東郊灞橋区半坡路155号・1958年4月1日開館)を見学しました。開館時間8~17時30分、入館料65元です。最寄り駅は地下鉄1号線半坡站です。A出口から長楽東路を直進(西)し約400mで、交差点を左(南)に半坡路に入り約200m余です。市内バスで半坡博物館站(博物館前)に停まるのは105路(火車站~紡西街・紡七路站)だけです。本博物館は仰韶文化の代表的遺跡の半坡遺址の一部をそのまま保護展示した中国最初の博物館です。

 黄河中流域の河南省から甘粛省にかけて展開した仰韶文化は新石器時代の彩陶文化で、紀元前約5000~3000年前のものです。本文化遺跡として初めて発見発掘(1920年代)されたのが河南省三面峡市澠池県の仰韶遺跡です。半坡遺跡は、1953年春、火力発電所建設中に彩陶が発見されて、発掘が開始されて、1957年までの発掘調査で、環濠を有する仰韶文化期の紀元前4700~4000年前の集落遺跡であることが判明しました。数次にわたる発掘調査により遺跡面積5万㎡で、房屋(家屋)遺跡45、窖穴(貯蔵穴)200余、陶窯6、墓葬250、他多種の生活・生産用遺物が発見されました。かくして、仰韶文化の代表的遺跡として、1961年3月4日、第1回全国重点文物保護単位に指定されました。

 本博物館は遺跡自体を展示保護しているところが特色です。これが遺址展示大庁です。本展庁の屋根は木造でしたが、2001年に5月破損が見つかり、その後全面改修となり、2006年に再度開放となりました。写真1は、大庁に入ったところから展示遺跡全景を撮ったものです。これから時計回りに順に紹介します。

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 写真2は、連通灶(連続竈)です。

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 写真3は、集落を囲む大囲溝です。現存全長300m、幅6~8m、深さ5~6mです。

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 写真4は、展示館奥の埋葬墓展示ブースの身直肢葬(男子)です。この他、本ブースには各種の埋葬墓があります。

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 写真5は、方形房屋です。

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 写真6は、半地穴房屋です。

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 写真7は、地面円形房屋です。ここは3回に渡って建直されています。

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 写真8は、集落内にある小溝です。

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 写真9は、祭祀ブース全景です。

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 写真10は、陶窯ブースの陶横穴窯です。以上で大庁は終わりです。

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 次いで、大庁手前左側の遺物展示館です。写真11は、陶紡輪と石紡輪です。

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 写真12は、陶瓶と夾陶罐です。

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 写真13は、磨盤と磨棒です。

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 写真14は、骨魚叉です。

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 最後の写真15は、人面网紋彩陶盆です。

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 なお、フォトアルバム「陝西・半坡博物館」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngtNXyaYXAbD-L7uKmgです。また、「西安半坡博物館」はhttp://www.bpmuseum.com/です。

(2018.04.24)

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西安交通大学日語系10期生卒業20周年同窓会

 2018年4月7日(土)、西安交通大学日語系10期生(1994年入学・19890年卒業)が、西安に集い卒業20周年の同窓会を開きました。中国各地から8名(全15名 女6名・男9名、出席女2名・男6名)の卒業生が母校に集いました。

 写真1は、午前校内を散策したときのもので、西の桜道です。日本と同様に桜の開花が早く、ほとんど散っていましたが、わずかに残っていた木のところで撮りました。

 写真2は、正門前です。休日で人が多かったので、全景は無理で漢字表記のみを背景としました。

 写真3は、恒例の旧図書館前の広場の地面に描かれた中国全土地図上で、各自の居住地に立ったものです。

 写真4は、午後の外国語学院における日語系師生交流会での記念写真です。

 最期の写真5は、交流会後の外国語学院前での記念写真です。

(2018.04.12・在成都)

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鶴見川の桜と新幹線

 2018年3月27日(月)午前、鶴見川土手の満開の桜と新幹線を撮影に行ってきました。桜があるのは、新幹線鶴見川鉄橋から河口へと下り、樽綱橋よりの右岸です。

(2018.03.28)

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2018年3月8日九寨溝観光一部再開―四川雑感〔27〕―

 九寨溝風景区は、2017年8月8日、九寨溝地震で池崩壊等の重大な損傷を受けて、即日閉鎖されました。九寨溝はアバチベット族羌族自治州にとって重要な観光地で収入源でした。地元にとってはそれ以上でこの再開は死活問題でした。懸命な復旧作業により、このたび一部完工を再開することになりました。すなわち、2018年3月8日、部分開放しました。これは九寨溝管理局が2018年3月1日に「关于九寨沟风景名胜区部分景观对外开放的公告」で公示されたものです。公示全文は、

https://www.jiuzhai.com/news/notice/6229-2018-03-01-06-44-39

です。公示内容の概略は次の通りです。

1.遊覧地域

溝口から諾日朗瀑布経を経て長海まで、扎如溝の的扎如寺、日則溝の鏡海です。この内、長海、五彩池、鏡海、諾日朗瀑布、樹正群海、双龍海瀑布、扎如寺等は基本的に徒歩遊覧。

2.遊覧時間と遊覧方式

開放時間 8~17時

遊覧は乗車した遊覧車で戻ります。すなわち、景観点毎に下車遊覧して、もとの遊覧車に戻ります。いわば、遊覧車毎の即席ツァーとなります。

3.遊覧人数制限と遊覧対象

遊覧人数は日2000人以内。

遊覧対象は旅行社の組織したツァーのみ。個人客は非対象。

4.入溝料等

入溝料 110元(4月1日~11月15日)、40元(11月16日~3月31日)

遊覧車 90元

5.入溝料等の販売方式

予約制。購入先は『阿坝旅游网』http://www.abatour.com。電話400-088-6969。

この部分再開は1年間の予定です。

 再開当日の様子は九寨溝管理局の写真付記事、

https://www.jiuzhai.com/news/scenic-news/6233-2018-03-08-06-46-24

をご覧ください。写真をご覧のように、天気は晴天で澄み渡り、先日降った雪が山々を白く染めており、五彩池も池の周りが白く、池のコバルトブルーとの対比の美しさを見せています。

(2018.03.10)

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根岸森林公園の梅

 2018年3月6日(火)午前、横浜市中区根岸台の根岸森林公園に梅を見に行きました。本公園は横浜市内での梅の名所として知られています。公園事務所では3日に満開情報を告げていました。なお、根岸森林公園のURLはhttp://negishi-shinrin.jp/ume-sakura-info/です。交通機関などはこちらをご覧ください。

 写真1は、梅林を少し入ってから奥へと撮ったものです。ご覧のように本公園の梅は木にいっぱいに咲くというものではありません。ただ、色々な品種の梅があります。

 そこで、いくつかの品種の梅をお見せします。以後の写真は奥から順に撮ったものです。写真2は、無頼紋です。

 写真3は、水月です。

 写真4は、藤牡丹枝垂です。

 写真5は、八重野梅です。

 写真6は、滄溟の月です。

 最後の写真7は、一谷です。

(2018.03.07)

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獅子ヶ谷横溝屋敷―歴史雑感〔39〕―

 2018年2月24日(土)、獅子ヶ谷の横浜市農村生活館みその公園「横溝屋敷」(横浜市鶴見区獅子ヶ谷3-10-2)に行ってきました。本公園は、旧獅子ヶ谷村の豪農で名主を代々務めた横溝家の旧居が横浜市に寄贈されて、修復復元されて、同時に寄贈された往事の農村生活資料を展示するとともに、旧居を公開しています。なお、横浜市農村生活館みその公園「横溝屋敷」のURLはhttp://qq2h4dy9n.wixsite.com/yokomizoyashikiです。最寄りバス停等はこれをご覧ください。

 写真1は、右が表門(寄棟茅葺平屋建・66㎡)と左が穀蔵(置屋根両妻兜造茅葺二階建・66㎡)です。

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 写真2は、主屋(寄棟茅葺二階建・352㎡)です。明治29年(1896)建築です。

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 写真3は、1階の奥座敷で、ひな祭りが近く雛人形が飾られています。

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 写真4は、2階で、元々は蚕室ですが、獅子ヶ谷村関係、横溝家関係、横溝家の什器・人形・家具等を展示しています。右手に見えるには獅子ヶ谷村のジオラマです。

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 写真5は、主屋2階から見た表門です。弘化4年(1847)建築です。

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 写真6は、表門右長屋の農耕具展示です。手前には草鞋奥には鋤鍬等が並んでいます。

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 写真7は、主屋右の蚕小屋(寄棟茅葺二階建)です。主屋と同時期の建築です。

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 写真8は、左の白い建物が主屋裏の文庫蔵(置屋根両妻兜造茅葺二階建)です。安政4年(1857)建築です。主屋と文庫蔵の手前、すなわち奥座敷からは小庭園が眺められます。

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 写真9は、穀蔵です。天保12年(1841)建築です。

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 最後の写真10は、穀蔵左室の養蚕関係の展示で、奥は繭籠です。右室は脱穀関係の展示です。

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(2018.02.27)

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相模国武士土肥実平の没年―歴史雑感〔38〕―

 相模国西部に勢力を張る桓武平氏中村氏族の一員、同国足柄郡土肥郷(神奈川県湯河原町)を本貫の地とする土肥二郎実平は、源頼朝の蜂起当初から参加して、石橋山合戦敗走による頼朝安房国渡海を成就させ、源義経軍の眼代(軍奉行)として福原合戦(一谷合戦)に参戦し、次いで中国方面の惣追捕使として対平家戦の最前線に立ち、以上治承・寿永の内乱で活躍し、そして奥州藤原氏攻略の奥州合戦にも参加する等、鎌倉幕府成立の功臣であることは周知のことです。しかし、『吾妻鏡』には実平の死去記事は存在しておらず、没年が定かではありません。そこで、改めて実平関係の『吾妻鏡』記事を見てみましょう。

 『吾妻鏡』建久3年(1192年)2月5日条に、92歳になる故源義朝乳母摩摩局が鎌倉に来て頼朝と対面し、「早河内の知行地、課役免除すべきのよし、惣領に仰せられるべきの旨望み申す」と、早川庄内の地の課役免除を願い出ます。この願いに対して、「三町新給を相い加えられの上、申請の旨に任せ、さっそく盛時を召し、土肥弥太郎に下知すべきの趣、仰せられる」と、旧地に加えて新地3町を与えて、課役免除を「惣領」、すなわち土肥弥太郎遠平に命じます。遠平は実平の嫡男であり、父実平とともに頼朝蜂起に当初から参加しています。当然ながら実平の後継者として「惣領」であることは全く問題ありません。とすると、この時点では土肥氏惣領は実平から嫡男遠平に継承されていたことになります。実平が総領の座を譲り引退したのでないとすると、これ以前に実平は死去していたことになります。

 そこで、『吾妻鏡』における実平の最終所見を確認してみましょう。それは、建久2年(1191)7月18日条に、「内御厨〈十間〉立柱上棟。土肥二郎、岡崎四郎等これを沙汰す」、とあるものです。大蔵幕府の馬屋上棟式の沙汰を姉妹婿の岡崎四郎義実とともに行ったのです。実平は前年の頼朝建久第1次上洛にも参加しており(建久元年11月7日条等)、建久元・2年段階では健在です。とするなら、建久3年2月5日に嫡子遠平が土肥氏惣領として登場することは、同2年7月18日からこの間に実平が死去したことを示唆するものといえましょう。すなわち、『吾妻鏡』からの分析では実平は建久2年7月18日から同3年2月5日の間に死去したと推定することができるのです。

 さて、『系図纂要』第八册頁208に、実平の脇注に「建久二年十一ノ廿五死」とあります。『系図纂要』は江戸時代末期の国学者飯田忠彦の編にかかるものです。この意味からいうと史料的価値に劣るものです。しかし、『吾妻鏡』で推定される実平の死去時期はこれと矛盾せず、『系図纂要』の示す実平死去日時には信憑性があるといえましょう。すなわち、実平の死去は建久2年(1191)年11月25日といえます。

(2018.02.10)

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安交通大学日本語学科東北会新年会

 2018年1月27日(土)、西安交通大学日本語学科大連会を発展拡大した同東北会の2018年新年会を大連で開き、私も参席しました。この東北会最初の新年会には2期生から26期生までの16名が集い大いに盛り上がりました。写真は宴の最期に撮ったもので、所用で先に帰った人もいるため全参加者ではありませんが。

(2018.01.30)

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綱島諏訪神社初詣

 近場の綱島諏訪神社(横浜市港北区綱島東2-10-1)に午前初詣に行ってきました。諏訪神社を名乗るように主神は建御名方命です。

 写真1は、鳥居です。神社は東横線北の小丘上にあるため、ご覧のように階段を上ります。

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 写真2は、社殿に面して初詣を行う人々の列です。

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 写真3は、社殿と参拝をする人々です。

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 写真4は、御手洗越しに見た社殿と初詣の列です。

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(20198.01.01)

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2017年度記事目次

 丁酉年を終わるに当たって、2017年度(1~12月)記事目次を掲載します。なお、前回までは「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』https://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』2010年度記事目次」(2011年10月22日付)、「2011年度記事目次」(2011年12月31日付)、「2012年度記事目次」(2012年12月31日付)、「2013年度記事目次」(2013年12月31日付)、「2014年度記事目次」(2014年12月31日付)、「2015年度記事目次」(2015年12月31日付)、「2016年度記事目次」(2016年12月31日付)です。

では、戊戌年がよいお年で。

01.01 総持寺初詣

01.25 兜塚古墳―歴史雑感〔28〕―

01.29 春節の横濱媽祖廟

02.12 大塚・歳勝土遺跡―歴史雑感〔29〕―

02.21 白河小峰城―歴史雑感〔30〕―

02.25 横浜市馬場花木園の梅

03.19 町田市の鎌倉道址―歴史雑感〔31〕―

03.30 源義経が6男とは―歴史雑感〔32〕―

04.07 太尾堤緑道の桜

04.30 天門山―中国雑感〔22〕―

05.02 武陵源索渓峪・宝峰湖―中国雑感〔23〕―

05.04 武陵源張家界―中国雑感〔24〕―

05.06 武陵源天子山―中国雑感〔25〕―

05.08 武陵源索渓峪・金鞭渓―中国雑感〔26〕―

05.10 武陵源索渓峪・十里画廊―中国雑感〔27〕―

05.12 武陵源索渓峪・黄龍洞―中国雑感〔28〕―

05.14 鳳凰古城―中国雑感〔29〕―

05.16 南方長城―中国雑感〔30〕―

06.18 城願寺土肥氏墓―歴史雑感〔33〕―

07.03 鎌倉時代武家料理

07.15 馬場の赤門―歴史雑感〔34〕―

08.25 鎌倉永福寺遺址―歴史雑感〔35〕―

08.29 足立遠元館跡―歴史雑感〔36〕―

09.10 山木夜討ち(その一)―歴史雑感〔37〕―

09.20 山木夜討ち(その二)―歴史雑感〔37〕―

10.24 山木夜討ち(その三)―歴史雑感〔37〕―

11.08 五丈原(五丈原諸葛亮廟博物館)―中国雑感〔31〕―

11.11 咸陽博物館―中国雑感〔32〕―

11.14 西安博物院―中国雑感〔33〕―

11.16 成都市地下鉄10号線(空港線)―成都雑感〔158〕―

11.20 続・成都博物館―成都雑感〔159〕―

12.06 2018年の中国の祝日―中国雑感〔34〕―

12.29 鶴見川(新横浜付近)からの富士山

12.31 2017年度記事目次

(2017.12.31)

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鶴見川(新横浜付近)からの富士山

2017年12月28日(木)午前、鶴見川の新横浜付近から、日産スタジアムとともに富士山を撮りました。

(2017.12.29)

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2018年の中国の祝日―中国雑感〔34〕―

 明年の祝日(休日)に関して、2017年11月30日、国務院の通知「国務院弁公庁関于2016年部分節假日安排的通知」が国務院公式サイトにアップされ公表されました。国務院の通知原文は次のページです。

http://www.gov.cn/zhengce/content/2017-11/30/content_5243579.htm

また、カレンダー表示(「図解:国務院弁公庁関于2016年部分節假日安排的通知」)は、

http://www.gov.cn/xinwen/2017-11/30/content_5243589.htm

です。これによる明年(2018年)の休日は次の通りで、これに基づいて、中国の公的機関は休日を実行します。民間もこれを基準に休日を組みます。つまり、明年の休日日程が定まったわけです。

一 元旦(1月1日)

12月30日(土)~1日(月)を休日。

二 春節(旧暦元旦 2月16日) 法定休日(旧暦元旦~1月3日)

2月15日(木)~2月21日(水)の7日間を休日。

2月11日(日)〔15日・木〕、2月24日(土)〔21日・水〕振替出勤日。

三 清明節(4月5日)

4月5日(木)~7日(土)の3日間を休日。

4月8日(日)〔6日・金〕振替出勤日。

四 労働節(5月1日)

4月29日(日)~5月1日(火)の3日間を休日。

4月28日(土)〔30日・月〕振替出勤日。

五 端午節(旧暦5月5日 6月18日)

6月16日(土)~18日(月)の3日間を休日。

六  中秋節(旧暦8月15日 9月24日)

9月22日(土)~24日(月)の3日間を休日。

七 国慶節(10月1日) 法定休日(10月1日~3日)

10月1日(月)~7日(日)の8日間休日。

9月29日(土)〔4日・木〕、30日(日)〔5日・金〕振替出勤日。

なお、国務院の通知が11月に発表されたことは初めてで、例年の12月に入っていたのが早まりました。

(2017.12.06)

国务院办公厅关于2018年部分节假日安排的通知

国办发明电〔2017〕12号

各省、自治区、直辖市人民政府,国务院各部委、各直属机构:

经国务院批准,现将2018年元旦、春节、清明节、劳动节、端午节、中秋节和国庆节放假调休日期的具体安排通知如下。

一、元旦:1月1日放假,与周末连休。

二、春节:2月15日至21日放假调休,共7天。2月11日(星期日)、2月24日(星期六)上班。

三、清明节:4月5日至7日放假调休,共3天。4月8日(星期日)上班。

四、劳动节:4月29日至5月1日放假调休,共3天。4月28日(星期六)上班。

五、端午节:6月18日放假,与周末连休。

六、中秋节:9月24日放假,与周末连休。

七、国庆节:10月1日至7日放假调休,共7天。9月29日(星期六)、9月30日(星期日)上班。

节假日期间,各地区、各部门要妥善安排好值班和安全、保卫等工作,遇有重大突发事件,要按规定及时报告并妥善处置,确保人民群众祥和平安度过节日假期。

国务院办公厅

2017年11月30日

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再訪望叢祠―成都雑感〔160〕―

 2017年11月3日(土)、久しぶりに望叢祠(成都市郫都区望叢西路5号)を訪れました。2007年9月27日以来です。本祠は古蜀王国の伝説上の王、望帝・叢帝両帝の陵のあるところです。両帝に関しては「望叢祠―成都雑感〔50〕―」(2007年10月28日付)をご覧ください。本祠は成都市西北郊外22㎞にある成都市郫都区城にあります。入場は無料で、開館時間は8時~18時です。市内からの公共交通は、地下鉄2号線終点の犀浦站下車、犀浦快鉄站でP17(9番目停留所)・720路(16番目)乗車し終点の郫都区客運中心站(2元)下車、同站でP08路に乗継ぎ望叢路站(2つ目・2元)下車です。犀浦站からは約1時間強かかります。

 大門を入ると、正面に「望叢祠」壁が目に入ります。この奥にあるのが望帝叢帝紀念館で、写真1は、この正面からのものです。1993年に改築されたコンクリート製の建物です。

 写真2は、館内に祀ってある陵の塑像で、左が望帝、右が叢帝です。説明がないため何時のものか分かりません。堂内の壁には両帝を中心に古蜀王国の説明が掲示されています。

 紀念堂の後面に出て、橋(左右は池)を渡り直進し、左手に階段を上ると、望帝陵正面に出ます。写真3は、「古望帝之陵」碑(高3.48m・幅0.58m・厚0.14m、1917年建立・青砂岩)が立てられた望帝陵(高15m・長径131.6m・短径37m・周長250m、軸は南東・北西)の南東正面からのものです。

 写真4は、望叢陵の周りを右から巡って、左側中途から撮ったものです。

 写真5は、正面から下ったところから撮ったものです。望帝陵は明らかに自然の丘を陵として伝承されてきたものです。

 望帝陵から下って直進し、道を左(北)へ池を越えていくと、写真6の、叢帝陵(高10m・長径約41m・短径約20m・周長約100m)の正面に出ます。やはり正面は南東です。「古叢帝之陵」碑は望帝陵のそれと同じです。

 写真7は、叢帝陵の裏に回って撮ったものです。

 さらに紀念館の方へと戻ると、写真8の、聴鵑楼に出ます。本楼は「望叢大華玉器博物館」となっており、古代から現代までの中国各地の玉器展示となっています。

 手前の現代等の玉器展示の奥に古代玉器の展示があります。写真9は、和田白玉龍形佩です。殷代のもので、長6cm・重さ30gです。

 写真10は、五彩沁玉壁です。古蜀文明のもので、外径14.7cm・内径3.6cm・重さ500.6gです。

 写真11は、青玉「止」字銘文戈です。周代のもので、長21cm・幅8.5cm・重さ295gです。

 写真12は、墨玉篏緑松石雙耳罐です。古羌文化のもので、高13cm・直径20cm・重さ230.5gです。

 写真13は、九節神面弦紋玉琮です。良渚文明のものです。高37cm・方9.5cm・重さ495.5gです。

 最後の写真14は、紀念館の南北に広がる北側の池の荷風亭上から紀念館を見たものです。左手の藕香謝上では機構をしているグループが見えます。なお、ここにあった茶館は現在では営業を停止しているようです。

 なお、フォト・アルバム「成都(郫都区)・再訪望叢祠」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngs1z8uFmBAAhfU5MYAです。

(2017.11.22)

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続・成都博物館―成都雑感〔159〕―

 2017年11月1日(水)、昨年は時間の関係で参観できなかった5階の「中国皮影木偶展」を見るために、再度成都博物館に行ってきました。前回のは「成都博物館―成都雑感〔157〕―」(2016年11月16日付)です。今回は「中国皮影木偶展」を紹介します。

 第一展庁「中国皮影博物館」で、基本的展示は中国各地の皮影(影絵)です。写真1は、五鋒会/辞父(清代・河北)です。

 写真2は、青海・甘粛・寧夏のです。

 写真3は、百蛇伝/断橋(清代・四川)です。他、各省の皮影が展示されています。なお、皮影の材料の基本は牛皮です。

 写真4は、皮影の製作器具、すなわち刀等です。

 次いで、第二展庁「影舞万象偶戯大千」、すなわち木偶戯(人形芝居)の展示です。写真5は、演奏楽器の鼓(現代)・三弦(近現代)です。

 写真6は、大饠・板鼓・木頭・碗碗(近現代)です。

 写真7は、提繊木偶戯(操り人形芝居)です。

 写真8は、その木偶(現代・福建)です。

 写真9は、同じく木偶です。

 写真10は、木偶頭です。

 写真11は、木偶の制作過程を示したものです。

 写真12は、木偶戯「大名府」(現代・福建)です。

 写真13は、木偶戯「西遊記」等です。

 最後の写真14は、天府広場から成都博物館を見たものです。右上端には白い毛沢東像を写し込んでいます。また、チベット族のラマ僧が右手にスマートフォンを持っていることに今の中国が見えています。そして、「蜀犬陽に吠ゆ」と称されたように、曇天が普通の成都市が、ご覧のように、珍しくも晴天でした。

 なお、フォト・アルバム「成都・成都博物館」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngsdC1U1j874TnKBCfwです。また、成都博物館の公式サイトはhttp://www.cdmuseum.com/です。

(2017.11.20)

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成都市地下鉄10号線(空港線)―成都雑感〔158〕―

 2017年10月31日(火)、本年9月6日に試開業した成都市地下鉄10号線に乗ってきました。10号線の1期工程は全長約10.9kmで、太平園站、途径簇綿站、華興站、金花站、双流機場1航站楼站、双流機場2航站楼站の6駅が設置されました。起点の太平園站で3号線に接続します。また、年末開業予定の環状線の7号線とも接続します。この10号線の開通で市内から地下鉄で成都双流国際空港に行けるようになりました。そして、3号線の春熙路站(2号線接続)・新南門站・省体育館站(1号線接続)・市二医院站(4号線接続)等と繋がり、将来は7号線の文化宮站(4号線接続)・一品天下站(2号線接続)火車北站(1号線接続)・成都東客站(2号線接続)・火車南站(1号線接続)等と繋がります。太平園站・双流機場1航站楼站間は約11分、太平園站・双流機場2航站楼站間は約13分です。太平園站・春熙路站間は約15分です。乗継ぎ時間を考えると、春熙路・双流機場2航站楼站間は約30分強で、運賃は6元となります。

 写真1は、成都双流空港第2ターミナルの到着出口です。ご覧のように床の青の案内表示に従って移動します。出口からは右へが地下鉄・鉄道で、直進がバス・タクシーです。

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 写真2は、地下2階への下りのエスカレーターです。この手前にはエレベーターがあります。

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 写真3は、エスカレーターを降りて、床の青の表示に従って左に曲がり、駅への通路を見たものです。

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 写真4は、地下鉄駅入口です。左に見えるのは空港内に入るための安全検査所です。

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 写真5は、自動券売機で、基本的に切符はこれで購入です。紙幣と1元硬貨に対応しています。もちろん交通カード(天府通公文卡)利用とこのチャージができます。現在、駅にはカード販売所はありません。なお、春期路站D出口には販売所があります。

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 写真6は、自動改札機で、カード(切符)を黄色のところにタッチして入ります。その前に安全検査で手荷物をX線検査機に通す必要があります。奥に見えるのがそうです(もちろん手前側にもあります)。この安全検査は中国共通のものです。

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 改札後、エスカレーターでホームに下ります。写真7は、入線してきた電車です。ドアが開いたら乗車です。

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 写真8は、10号線の車内風景です。今までの路線の車両と異なり、縦列座席と横列座席の両方があります。これは10号線全線が開通すると、市郊外県とを結ぶ長距離路線となるためでしょう。なお、写真に見るように保安要員が乗車しています。

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 終点の太平園站で降りると、同一ホーム上で4号線に乗換えができます。降りてそのまま前方に進めばいいです。写真9は、4号線を待つ乗客たちです。右手奥に見えるホームは降車ホームで、10号線への乗換えは案内に従ってエスカレーターで上り再度下ることになります。

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 最後の写真10は、双流機場2航站楼站に掲示されている成都市地下鉄始発・終電時刻案内です。10号線双流機場2航站楼站の始発は6時5分、終電は23時5分です。ご覧のように、中国の地下鉄は終電が速いですから、深夜の利用はできません。

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(2017.11.16)

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西安博物院―中国雑感〔33〕―

 2017年10月29日(日)、西安博物院(西安市友誼西路72号)を見学しました。本院は2007年5月開館し、小雁塔景区内にあり、開館時間は9~17時半(閉館日火曜日・祝日開館)、無料(旅券提示)です。

 まず1階の臨時展庁の「十年蔵珍―西安博物院新入蔵文物精品展」です。最初は各種の銅器で、写真1は、窃曲紋銅鼎です。

 写真2の中央右は、殿中郎中郎将印(魏晋南北朝)です、上に朱の印影が掲示されています。

 写真3は、破鏡重円(南朝)と鎏金銅鋪首(唐)です。

 写真4は、幡龍紋金鋪首(南朝)です。

 写真5は、釉陶百枝灯(漢)です。

 写真6は、緑釉陶猪園(漢)です。

 写真7の中央左は、「寄寄老人」作陶(宋末元初)です。

 写真8は、李建成墓誌です。李建成は唐高祖李淵の長男として皇太子でしたが、玄武門の変(626年)で弟李世民(後の太宗)により暗殺されます。

 写真9は、菩薩像(宋)です。

 次いで、2階の「天地之霊―院蔵古代玉器精品陳列」(玉器展庁)で、写真10は、玉斧・玉鏟等(龍山文化~殷)の玉器です。

 写真11は、玉瑠璃杯です。

 写真12は、玉飾です。

 写真13は、上段が玉龍紋帯鈎(元~清)で下段が玉帯鈎です。

 最後の写真14は、唐長安城模型です。

 なお、フォト・アルバム「陝西・西安博物院」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngsxoSl2UCIZDldE7QQです。また、西安博物院の公式サイトはhttp://www.xabwy.com/index.aspxです。

(2017.11.14)

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咸陽博物館―中国雑感〔32〕―

 2017年10月27日(金)午後、咸陽博物館(陝西省咸陽市中山街53号・1962年開館)を見学しました。「文廟」(明洪武4〔1371〕年創建)を保存補修して本博物館となっています。開館時間は9~17時30分(閉館月曜日・祝日開館)で、無料(旅券提示)です。西安市からの公共交通は、地下鉄1号線終点の後衛寨站下車、副21路バス(富怡花園行)の始発停留所後衛寨地鉄口站乗車、15番目の博物館站下車、学道門巷を北に約200m弱です。

 最初の写真1は、前殿(第一展庁)の鳳鳥銘文銅鼎(西周)です。本展庁は秦统一六国の歴史背景で、統一までの銅器・兵器・銭幣等を展示しています。

 写真2は、左が戦国餅形陳爰金幣で、右が戦国瓦形陳爰金幣です。

 写真3は、正殿(臨時展示・館蔵玉器精品展)の圓雕玉辟邪(漢)です。

 写真4は、豹班玉獅紐香薰(唐)です。

 奥左に「楊家湾西漢兵馬俑陳列」館があり、前漢の楊家湾遺跡(高祖劉邦の長陵陪葬墓区)発掘の兵馬俑が展示されています。写真5は、本館奥展示室の騎馬俑側から見た俑列全景です。騎馬俑は6方陣からなり、甲騎(甲68cm)と軽騎(高50cm)とがあります。

 写真6は、歩兵俑側から見た俑列全景です。歩兵俑は7方陣からなっています。

 左右展示室には各種の個別の俑が展示されています。写真7は、指揮俑です。

 写真8は、大騎馬俑です。

 写真9は、歩兵の長甲俑と短衣俑です。

 写真10は、歩兵の扛械俑です。なお、兵馬俑館入口の手前左側に碑廊があり、その横に馬繋ぎの栓馬柱が建っています。

 写真11は、後殿の「仏教文物陳列」にある、菩薩立像(随)です。他に釈迦牟尼仏坐像(明)、弥勒菩薩等が展示されています。

 最後の写真12は、「文廟」正面入口の大門(牌楼)を裏から南に学道門巷へと撮ったものです。

 なお、フォト・アルバム「陝西・咸陽博物館」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngsw4zOgMztAiWtTGEAです。咸陽博物館の公式サイトはhttp://xybwg.cn/index.aspxです。

(2017.11.11)

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五丈原(諸葛亮廟博物館)―中国雑感〔31〕―

 2017年10月27日(金)、五丈原(諸葛亮廟博物館)に行ってきました。開館時間は8~18時、入場料35元(65歳以上免除)です。当地は三国時代の蜀の丞相諸葛亮(字孔明)の第5次北伐で軍陣を構えて、死去した地です。なお、西安市・宝鶏市からの最寄り鉄道駅、祭家坡・岐山站(高速電車)からの諸葛亮廟専線バスは現在運行停止中です。従って、現時点では駅からの足はタクシーのみとなります。

 最初の写真1は、「五丈原諸葛亮廟」額のある本博物館入口の山門です。

 写真2は、献殿です。1799(清嘉慶4)年に建てられたもので、1940年に改修されています。5間3間構造です。左右の壁に伝岳飛筆「前・後出師表」石刻が掲げられています。この表があることは「武侯祠」に共通しています。

 写真3は、献殿前の左側にある鼓楼です。1808(清嘉慶13)年に建てられたものです。反対の右側には同年に建てられた鐘楼があり、中には1534(明嘉靖13)年鋳造の鐘があります。

 写真4は、八卦亭です。天井部に八卦が描かれています。清代に建てられたものです。

 写真5は、正殿です。1335(元至元)年創建で、1940年に改修されています。「英名千古」額が掲げられています。

 写真6は、諸葛亮坐像です。清光緒年間の雕塑で各地の「武侯祠」では最も古いものです。左右の壁側には王平像等の4人の像が置かれています。

 写真7は、正殿前部にある楊儀像です。蜀軍の文臣として諸葛亮を支え、死後の撤退を成し遂げました。

 写真8は、同様な姜維像です。諸葛亮の死後、軍を領導しました。2人は諸葛亮を支えた、文臣と武臣の代表です。なお、正殿の左右手前には「諸葛亮第5次北伐陳列」・「諸葛亮生前展」館があります。

 写真9は、最奥の将星園右側の文臣廊の最初の蒋琬像です。諸葛亮の死後、丞相として蜀を領導しました。

 写真10は、次に並ぶ費禕像です。蒋琬の後を継いで丞相となります。文臣廊には5人の像があります。

 写真11は、将星園左側の武臣廊で、同じく5人がいます。最奥の張翼像です。蜀滅亡の時、劉禅降伏後に魏に反して姜維とともに殺害されます。なお、将星園の中央には落星石が、入口右側には諸葛亮衣冠塚があります。

 写真12は、将星園入口の左側の月英殿(諸葛亮妻)です。左右に諸葛喬(兄諸葛瑾子・養嫡子)・諸葛瞻(蜀滅亡の時、父子ともに戦死して殉じます)が侍しています。本殿から戻ると八卦陣があります。

 最後の写真13は、山門内の右手にある「三分合一槐」です。三つの枝が再び一つとなっているので、劉備・関羽・張飛の「桃園三結義」を表した槐樹とされています。

 なお、フォトアルバム「陝西・五丈原(五丈原諸葛亮博物館)」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngswR-GsNrBwzXEcybAです。

(2017.11.08)

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