世田谷・大田区の古墳―歴史雑感〔100〕―

 2025年11月22日(土)午後、武蔵野文化協会主催の「東京の古墳を巡る(世田谷・大田方面)」で古墳巡りをしました。

 最初は玉川野毛町公園(世田谷区野毛1-25)にある野毛大塚古墳です。野毛古墳群の中心的な本古墳は、5世紀初期に造営されたと推定され、長径68m・高約10mの三段築成後円部に、長15.5m・幅28mの前方方形部、その西側に長7.5m・幅10mの方形造出部を有する全長83.5m幅の帆立貝型古墳です。平成初年期の発掘調査で、既知の石棺とは別に3基の木棺と埋葬遺物が発見されました。遺物には多くの武具を含み、一括して重要文化財に指定されました。写真1は、本古墳西側から後円部を見たものです。この左横から頂部に上れます。

 写真2は、前方方形部から後方に後円部を見たものです。前方部の土は失われて復元したものです。

 写真3は、後円部頂部から下に前方方円部を見たものです。また右に復元した方形造出部が見えます。ご覧のように都民の憩いの場となっています。

木棺等の発掘場所とこの中の主遺物を示した石版が頂部に置いてあり、写真4は、第1主体部等を示したものです。

 写真5は、野毛大塚古墳の西に位置する荏原台古墳群の御岳山古墳(世田谷区等々力1-18)です。本古墳は全長57m・現高7mの帆立貝型古墳で、5世紀後半から6世紀中頃の造営と推定されています。そして、野毛大塚古墳の後継首長墓と推定されます。

  写真6は、荏原台古墳群の宝菜山古墳(大田区田園調布4-4-1)です。本古墳は前方後円墳で昭和初期の土取で後円部の多く失われましたが、発掘により全長97.5m・後円部経52m・後円高11m・前方部幅37m・前方部高8mと推定でき、4世紀前半の造営と推定できます。

 多摩川台古墳群(大田区田園調布1-63-1)は8基あり6世紀前半から7世紀中頃までのものです。写真7は、7世紀中頃までの円墳の第6号墳です。

 最後の写真8は、多摩川台古墳群の最南側の亀甲山古墳(大田区田園調布1-63-1)です。本古墳の名は墳形が亀に似ていることからきており、全長107.25m・前方部49.5m・前方部高7.5m・後円部経66m・後円部高約10mの前方後円墳です。発掘調査がなされていないためもあり造営年代は不明です。後円部が削られておりこれを撮ったものです。

(2025.11.25)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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