秋田城跡―歴史雑感〔96〕―

 2025年8月13日(水)午前、秋田城跡(高清水公園 秋田県秋田市寺内大畑5)を訪れました。公共交通は秋田中央交通のバスで秋田駅西口5番乗場からで、秋田城跡歴史資料館前下車です。

 秋田城は天平5(733)年に出羽柵(山形県酒田市)が秋田村高清水岡に移転したのが始まりで、所謂「蝦夷征討」の拠点となりました。宝亀11(780)年に国司1名を専任させるになり、次官がこれに当たり秋田城介と称しました。延暦23(804)年に秋田城が停廃されて秋田郡が設置され機能は郡に移管されますが、城自体軍事機構としては存続します。11世紀以降に城内の主要な遺構が確認されていないので、この頃には衰退していたと考えられています。

 秋田城跡とは道路を挟んで西側に秋田城跡歴史資料館(入場料310円 開館時間9~16時半)があります。写真1は、この展示の最初の井戸跡出土木簡です。

 写真2は、出土瓦です。

 写真3は、官人が使用した出土品です。最右のは木簡を修正(削る)するための刀手(小刀)と砥石です。

 写真4は、奥の展示室内です。左側は水洗トイレ模型と出土品です。

 写真5は、秋田城跡全体模型です。東から西へと見たものです。

 写真6は、正殿跡です。東南から見たものです。

 写真7は、政庁東門脇にある第1期政庁(733~770年頃)模型です。右隣には第2期(770~800年前後)・第3期(800年前後~830年頃)の政庁模型が展示されています。

 写真8は、内側から見た復元された外郭東門と外郭築地です。また門から政庁へ向かう東大路は道路幅12mで側溝が付いていました。

 写真9は、外側からの外郭東門です。

 写真10は、復元された水洗厠です。隣の瓶から水を汲み流します。

 写真11は、同じく水洗厠の内部です。

 写真12は、復元された水洗厠建物です。

 写真13は、外郭東門下に位置する井戸の復元です。

 写真14は、復元された井戸建物と左奥に外郭東門と築地です。

 写真15は、外郭東辺逐次之外側に当たる鵜の木地区の建物跡です。

 最後の写真16は、同じく建物跡で、遺構と遺物から奈良時代に役所としてっりようさっれていたと考えられます。

(2025.08.30)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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