025年2月27日(木)午前、後北条氏の下田城遺址を訪れました。後北条氏が対豊臣戦を覚悟して、水軍の拠点である下田港防衛のために、天正16(1588)年に下田城は新規といえるほどの大改修がなされたと推測されます。本城は、最高地点に位置する伝天守台(標高68.7m)を各曲輪の結節点として、北に延びる曲輪と東の二の曲輪の尾根状曲輪の南側下に障子堀である横堀(空堀)を構え、南に対する主防御線として、また海際に物見台を構え港への船の出入りを見張らせ、この防御線北側の下に現在の開国広場に広い曲輪(居住地)を抱えた構造となっています。
写真1は、稻生沢川にかかるみなと橋からの下田城遠景です。


写真2は、左が下田城石碑、右が下田公園碑です。


写真3は、伝天守台から北に延びる曲輪北端の物見台からの俯瞰です。左に稻生沢川、右に下田港で、奥に寝姿山です。


写真4は、奥に物見台跡です。


写真5は、伝天守台近くからの下に空堀跡です。


写真6は、伝天守台跡で、奥(北)は下田湾です。但し、実際に天守があったわけではなく、各曲輪の結節点としての指揮所があったところとされています。


写真7は、伝天守台への登り道です。


写真8は、伝天守台の東に延びる二の曲輪からさらに南に行ったところのお茶ヶ崎展望台(物見台跡)からの下田湾です。港に出入りする船は一望です。


写真9は、展望台から奥に大浦です。


写真10は、左に二の曲輪、右に天守台間の切通しです。ただ、道路を通すためかなり拡張されています。


写真11は、二の曲輪下の空堀です。


写真12は、伝天守台下の空堀です。


写真13は、切通しと空堀です。伝天守台の比高が約10mであることが分かります。


写真14は、伝天守台下の空堀を西から見たもので、堀が障子堀であった跡が堀を横断した高みで確認できます。


写真15は、萩の丘(志太ヶ浦展望台の先)です。


写真16は、萩の丘からの大浦です。


写真17は、馬場ヶ崎展望台(物見台跡)です。


最後の写真18は、馬場ヶ崎展望台からの下田港です。


(2025.03.03)