竹生島初日の出(3)彦根城

(1)豊川稲荷

(2)竹生島・近江神宮

(3)彦根城

(4)熱田神宮・竹島

2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、

31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊

1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊

2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島

です。

 大津で比叡湯葉の昼食後、彦根城観光です。彦根城(滋賀県彦根市金亀町1-1)は慶長9年(1604)に彦根山に着工され、元和8年(1622)に第3代藩主直孝の時に完成しました。

 写真1は、佐和口への中堀端のいろは松です。

 写真2は、二の丸佐和口多門櫓(重文)です。

 写真3は、佐和口からの中堀と石垣です。

 写真4は、佐和口多門櫓です。

 写真5は、内堀にかかる表門橋です。

 写真6は、表門橋からの内堀です。

 写真7は、表門山道です。

 写真8は、天秤櫓(重文)と廊下橋です。櫓の石垣は右側が築城当時の打込みハギ積み、右側が築城当時の打込みハギ積みです。廊下橋をくぐり左に回転して上ると橋に出ます。

 写真9は、左側からの天秤櫓と廊下橋です。

 写真10は、半ばまで上がったところからの天秤櫓と廊下橋です。

 写真11は、正面から見た天秤櫓です。

 写真12は、廊下橋から見下ろしたものです。

 写真13は、太鼓門櫓(重文)です。太鼓が置かれたからの名称と言われています。

 写真14は、三階三重の天守(国宝)です。屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配して、2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻縁」を巡らせて、外観に重きを置いています。大津城から移築されとされています。ご覧のように天守への行列が出来ており。結果として参観に並んでから参観に30分以上の時間がかかりました。

 写真15は、同じく天守です。

 写真16は、1階に置いてある井伊直政の牛皮小札赤備具足(複製)です。

 写真17は、天守3階か東を見たもので、下が玄宮園です。

 写真18は、西に琵琶湖を見たものです。下に見える櫓は二の丸三重櫓(重文)です。

 写真19は、二の丸三重櫓を拡大したものです。

 写真20は、北に伊吹山です。

 写真21は、3階の内部です。柱の古さが分かります。

 写真22は、切妻破風の瓦です。

 写真21は、南西角からの天守です。

 写真22は、西からの天守です。

 写真23は、北の西の丸からの天守です。

 写真24は、内堀に東へと架かる黒門橋です。

 写真25は、黒門橋から南へ内堀です。

 写真26は、楽々園です。延宝5年(1677)に4代藩主直興が造営したと伝わる下屋敷の範囲であり、同時に「隠居所」としても使用されました。

 写真27は、玄宮園です。下屋敷に伴う後園として江戸時代前期に作庭された池泉回遊式庭園です。池泉には大小4つの中島が築かれ、色々な形式の橋が架けられて回遊性をもつと共に庭園内の景観にもなっています。この写真は池の左側(南)です。

 写真28は、池の中央部です。

 最後の写真29は、池の右側で奥右上部に天守が見えます。ただ、天守見学に時間が取られたため、玄宮園は十分に見ることが出来ませんでした。位上で、本日の観光は終わり、夕食として鮎の塩焼き御膳を食しました。

(2024.01.24)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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