安倍氏関係遺跡―歴史雑感〔87〕―

 2023年9月29日(金)午前、昨年4月(「衣川北岸の安倍氏・藤原氏関係地―歴史雑感〔64〕―)に回れなかった衣川北岸に位置する安倍氏関係遺跡を巡りました。今回は昨年は徒歩でしたが、今回はより遠いためもあり、JR平泉駅前のレンタル電動自転車を利用しました。

 最初は白鳥舘遺跡(岩手県奥州市前沢白鳥舘地内71)です。北上川が東側に大きく湾曲する西岸の旧領北端部に位置します。本遺跡は前九年の役で安倍貞任の弟白鳥八郎則任の柵と伝えられてきました。発掘調査により10~16世紀にかけて長期間利用されていたことが分かりました。現在の遺跡は15世紀の郭・土塁・堀跡等の城館跡が良く残されています。

 最初の写真1は、駐車場から遠望した白鳥舘遺跡です。中央の丘陵です。下に人家が見えます。

 人家のところから順路に従うと、写真2の、郭Ⅰ(伝本丸跡)に出ます.説明板の前からに撮ったものです。木々で見えませんが約250m先が北から南へと湾曲した北上川です。

 写真3は、郭Ⅰを南から北へと撮ったものです。

 写真4は、郭Ⅰから左に郭Ⅱを見たもので、下が空堀です。

 写真5は、郭Ⅰと郭Ⅱ間の空堀です。

 写真6は、左が郭Ⅱ(伝二の丸跡)の東面です。

 写真7は、郭Ⅱの西から東へと撮ったものです。こちらが主郭と考えられています。

 写真8は、郭Ⅱの北側内に位置する神社です。

 写真9は、郭の南東部分での発掘調査です。

 写真10は、南西角の出口で、ご覧のように郭西側に土塁があります。

 次いで、長者ヶ原廃寺跡(岩手県奥州市衣川区田中西)に移動しました。本廃寺は金売商人吉次の屋敷跡とも伝えられてきました。1958年の発掘調査により、一辺約100mの築地塀・本堂跡・西建物跡・南門跡が確認され、寺院様式の建造物群跡であることが分かりました。そして、発掘遺物から約1000年間に安倍氏が建立したものと推定されました。

 写真11は、説明板から遺跡を東に撮ったものです。

 写真12は、北へと遺跡を撮ったものです。

 写真13は、本遺跡の道路脇では発掘調査中で、これを撮ったものです。

 長者ヶ原廃寺跡西北隅から道路を挟んで約170mに渡船場跡があります。発掘調査で衣川川岸に約1間間隔で3列の柱脚跡が20個発見されました。廃寺跡に近接しており、衣川水運と密接に関係した遺跡と考えられます。写真14は、この説明板です。

 最後の写真15は、木々の間から見た衣川です。以上、駅前を9時過ぎに出発し11時前に遺跡探訪は終りました。

(2023.10.24)

不明 のアバター

About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
カテゴリー: 日本古代・中世史 パーマリンク

コメントを残す