後北条氏小田原城遺址(その1)―歴史雑感〔67〕―

(その1)一、八幡山古郭

(その2)二、小峯御鐘ノ台大堀切西堀・中堀

(その3)三、小峯御鐘ノ台大堀切東堀

(その4)四、三の丸外郭新堀土塁

(その5)五、八幡山古郭東曲輪

一、八幡山古郭

 2021年7月21日(水)午前、後北条氏小田原城遺址を巡りました。最初が八幡山古郭です。小田原駅西口から左手(西)に進み、「八幡山古郭」の石柱のある坂道へと、右手(北)に上って行き、百段坂(階段)の手前で、道を左(西)に入り道なりに時計回りに進みます。

 写真1は、時計回りで進んできて、右(東)へと入る道を進んだ先で、東へと撮ったものです。ここが本曲輪跡で、城山3丁目です。この地は江戸時代に小田原藩の家臣屋敷地でした。奥の車の駐車している所からは眼下に小田原駅、さらに酒匂川方面が望見できます。

 写真2は、東への道に入る所から西に早川方面と撮ったものです。ご覧のように西は傾斜地で本曲輪が丘陵上にあることが分かります。

 写真3は、さらに進み、西からの道との合流点で、北の道(時計回りの道はこれです)を西へと撮ったものです。右側の高くなった木々のある所が本曲輪高台(土塁)跡です。

 少し北に進むと、「小田原城八幡山古郭」説明板の立っている所に出ます。写真4が、これです。左の木の生えている先が本曲輪高台です。この木から説明板にかけては本曲輪北堀跡です。階段を上ると、県立小田原高校グランドに至ります。

 写真5は、「小田原城八幡山古郭」説明板にある「小田原高校一帯における戦国時代遺構の展開」図です。ご覧のように、本曲輪北に接して、小田原高校に西曲輪が展開しています。本高校は発掘調査がなされ、図示されています。

 階段を上り左手(西)に「西曲輪西堀と三味線堀」説明板の立っている小空間があります。写真6が、これです。

 最後の写真7は、さらに奥に進み、「小田原城八幡山古郭」説明板の立っている所です。左手は県立小田原高校グランドのフェンスです。

 なお、八幡山古郭に関しては、(公財)かながわ考古学財団調査研究部「小田原城跡八幡山遺構群」https://www.kaf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/odawarahachimanyama.pdfを参照してください。

(2021.08.06)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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