2020年6月26日(金)午前、平泉探訪の最後として無量光院跡(岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内)を訪れました。『吾妻鏡』の記するところによれば、本院は宇治平等院を模して奥州藤原氏3代秀衡が建立し、新御堂と号しました。発掘調査により四囲は東西約240m、南北約270m、面積約6.5haと推定されています。境内は周囲を囲む土塁と3つの島を持つ園池から構成され、最も大きな中島に東向きに阿弥陀堂が建っていました。現在復元整備中で、全面的な立入りはできません。す。
写真1は、道路側(東)から入ったところから園池を撮ったものです。中央が中島です。

写真2は、南側へと撮ったものです。

写真3は、南側から園池を撮ったものです。

最後の写真4は、園池の中島を拡大したものです。

以上で、平泉探訪は終わりです。奥州平泉氏が建立した寺院・居館(中尊寺は原存ぜず)には園池が設けられていました。園池は平泉文化の一つの特徴ともいえましょう。
奥州藤原氏を滅亡させた源頼朝は鎌倉帰還後に中尊寺二階大堂を模して永福寺建立を行います。園池を伴う永福寺は全体的に毛越寺を模したものと思えます。永福寺に関しては、「鎌倉永福寺遺址―歴史雑感〔35〕―」をご覧ください。そして、両寺を比較してみてください。


(2020.07.19)