2020年6月25日(木)午後、観自在王院に続いて、西に隣接した医王山毛越寺金剛王院(岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58)を参拝しました。本寺は慈覚大師円仁創建と伝えています。奥州藤原氏2代基衡が久安6年(1150)末から保元元年(1156)までの約6年間に金堂円隆寺以下の建築物・庭園を建立したと推定されて、さらに3代秀衡が造営を継続しました。この様は、「基衡これを建立す。まず金堂円隆寺と号す。金銀を鏤し、紫檀赤木等を継ぎ、万宝を尽し、衆色を交える。本仏薬師丈六を安ず」(『吾妻鏡』文治5年9月17日条)等と記されています。しかし、奥州藤原氏滅亡(1189年)の37年後、嘉禄2年(1226)11月、金堂円隆寺以下が焼失しました。発掘調査により、金堂円隆寺以下の礎石が確認され、大泉ヶ池を中心とする庭園も修復整備されて往事の様を見せています。拝観時間は8時半~17時(11月5日~3月4日は8時30分~16時30分)、拝観料は500円です。
写真1は、南大門跡と奥が大泉ヶ池です。『吾妻鏡』に「二階惣門」とあるものです。

写真2は、大泉ヶ池です。池の奥が金堂円隆寺跡です。南大門から池の中島へと橋が架けられて円隆寺に通じています。ここから池を時計回りに行きます。

写真3は、池の南西にある築山です。

写真4は、池の南西端から撮ったものです。

写真5は、池の西から北側へと撮ったものです。池際の手前の樹木のところが経楼跡で、奥が鐘楼跡です。

写真6は、池の北西端から撮ったものです。池南側中央が築山で、その奥が1989年に再建された本寺本殿です。

写真7は、経楼跡です。

写真8は、中島を経て南大門跡へです。

写真9は、池奥(西側)の七間六間の嘉祥寺跡です。本尊は丈六薬師如来でした。池から撮ったものです。秀衡の建立とされています。

写真10は、池から撮った金堂円隆寺跡です。本尊は運慶作の丈六薬師如来でした。両寺の間に講堂跡があります。金堂の両脇から回廊が池へとあり、それぞれ経楼と鐘楼に通じており、コの字型の円隆寺を形成しています。

写真11は、同じく金堂円隆寺跡です。

写真12は、金堂円隆寺跡から池へと撮ったものです。

写真13は、金堂円隆寺跡の東奥、常行堂から撮った遣水です。発掘調査により遺構が発見されたもので、これを修復整備したものです。

写真14は、常行堂東の法華堂跡です。写真には写っていませんが、この前が常行堂跡です。

写真15は、東門跡です。

写真16は、東からの池です。

写真17は、池の南東に位置する洲浜です。

最後の写真18は、少し西に行った出島石組と池中立石です。

なお、フォト・アルバム「毛越寺」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng7Jm-wqTr3J3xZPABA?e=V9MsESです。
(2020.07.06)