大仏切通し―歴史雑感〔63〕―

 2021年2月21日(日)午後、北条氏常磐亭跡に続き、大仏切通しを訪れました。本切通の建設年時は明確な史料が残されておず不明ですが、鎌倉中期と考えられています。本切通しは、鎌倉の大仏谷戸から梶原を経て、鎌倉上つ道へと通じています。

 北条氏常磐亭跡から西へと少し歩き、仲ノ坂交差点で左折して上っていくと、世界救世教いづのめ教団鎌倉教会のある小道へと右に入り進むと、左が高徳院(大仏)、右が火の見下の道標識のある大仏切通しに出ます。写真1は、ここらから少しのところで火の見下へと切通し道を撮ったものです。尾根伝いの道となっています。

 写真2は、さらに進んで、左へと急な下りとなるところを捉えて撮ったものです。

 写真3は、尾根を堀切って切通しとしたところです。

 写真4は、次の切通しです。先は急な下りとなっており、ここで上ってくる兵を上から攻撃できます。

 写真5は、切通しが右へと曲がり、下って平場に出ます。

 最後の写真6は、平場の崖に設けられたヤグラです。鎌倉は平地が少なく、岩肌を削って墳墓としたのがヤグラです。さらに道なりに進むと道路でて、火の見下バス停です。

(2021.03.04)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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