伊豆北条氏関係遺跡―歴史雑感〔40〕―

 2018年10月25日(木)午前、静岡県伊豆の国市の伊豆北条氏関係の遺跡を巡りました。これを紹介します。

 長岡温泉を9時半過ぎに徒歩で出発して、伊豆長岡駅前から国道136号を北上して、国道から西に入った最初の訪問地の真言宗天守君山願成就院に10時半前に着きました。守山東麓に位置しています。本院は、文治5年(1189)6月6日、北条時政を檀那として、立柱上棟式を行ない、建立されたものです。本堂内には木造毘沙門天立像(運慶作)が本尊右脇に起立しています。運慶作の木造阿弥陀如来坐像・木造不動明王及二童子立像と共に、以上5体が国宝に指定されています。毘沙門天・不動明王像内にあった木札から、文治2年(1186)に時政を檀那として運慶に造作が依頼されたことが分かります。本堂裏の宝物館にはこの木札や北条時政像・北条政子像等が展示されています。拝観料は500円で、拝観は10~16時(火・水曜休)です。写真1は、山門からの本院です。

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 本院内には北条時政墓があります。山門を入って左に入ったところに、西の守山と対面しています。写真2は、時政墓全景です。正面の四層石塔がそれです。時政は建保3年(1215)正月6日に78才で死去しました。

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 写真3は、左横からの時政墓です。以上で願成就院参拝は終わりで、10時50分を過ぎていました。

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なお、願成就院の公式サイトはhttps://ganjoujuin.jp/index.htmlです。

 国道を北上して「伝堀越御所跡」の掲示のあるところで、道(北条の里散歩道)を左(西)にとり歩くと、写真4の、「伝堀越御所跡」案内板のあるところに出ます。11時です。この北に広がる平地が御所遺址です。室町時代後期(1世紀後半)の堀越公方足利政知居館です。発掘調査から、鎌倉時代の居館跡に建てられたもので、鎌倉時代の居館は北条氏のものと推定されています。

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 写真5は、西から東に遺址を撮ったものです。

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 案内板のところから小道を南に行くと民家の行き止まり下が、写真6の、伝北条政子産湯の井戸です。11時10分前に出発しました。

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 さらに道を西に歩くと、写真7の、「北条一族のふるさと寺院」案内板のあるところに出ます。ここは北条氏滅亡後に北条一族の丹成尼が北条氏邸宅跡に円成寺(尼寺)を建立したと伝えたところです。発掘調査で平安時代末から鎌倉時代にかけての大量の出土品があり、往時の北条氏の財力が忍ばれます。また、建物跡も発見されて、北条氏邸宅跡と確認されました。

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 写真8は、守山北西麓に位置する邸宅跡です。北西面して狩野川に接しています。広さは1町四方程度です。11時20分前に出発して、狩野川に沿って守山麓の道を南へと向かいます。

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 伊豆中央高校の手前の橋を渡らず、小道に入り東へと行くと、11時30分、最後の写真9の、八重姫御堂(真珠院内)に着きました。『曽我物語』に見える源頼朝との悲劇の八重姫が入水したとの伝承により付近に建てられたものです。以上で今回の探訪は終わりです。

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(2018.11.08)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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