2018年4月12日(木)、成都市温江区万春鎮報恩村・魚鳧村の魚鳧古城遺址に行ってきました。本遺跡は四川省の古代文化(古蜀文化)の最古文化である宝墩文化(BC2500~1700年、龍山文化)に属する遺跡です。古蜀文化は続いて三星堆文化(BC1700~1200年、夏晩期~商後期)、金沙・十二橋文化(BC1200~500年、商後期~春秋後期)、晩期蜀文化(BC500~316年、春秋晩期~戦国期)と、四つに区分されます。そして、宝墩文化は「蚕叢」「柏灌」、三星堆文化は「魚鳧」、金沙・十二橋文化は「杜于=望帝」、晩期蜀文化は「鼈霊=叢帝」という伝説の蜀帝王の時代に相当すると考えられています。BC316年、この古蜀王国は北方の秦恵文王の派遣した司馬緒によって滅亡させられます。
さて、宝墩文化は都江堰扇状地に発展しました、龍馬古城宝墩遺跡以下、6か所かの古城遺跡が残されて、この一つが魚鳧古城遺址です。他にも郫県古城・紫竹古城・芒城・下芒城があります。魚鳧古城は約40万㎡と龍馬古城に次ぐ規模を有します。1996・99年に発掘調査がなされて、城壁・住居址・墓葬が確認され、石器・陶器が出土しました。2001年に全国文物保護単位に指定されました。成都市内からの交通は、地下鉄4号線の南黒大道站下車後、D出口から直進(西)して水面黒大道との交差点で右折して大道には入り、W25路の光華路口站で乗車して13停留所目の報恩村站で下車し、道(郫温路)を戻り(南)約100mで道路東側に「羅家院子休閑庄」の看板のある道を入り道なりに約150mです。郫温路には温江区の設置した「魚鳧村遺址」の説明板があります。
写真1は、城壁遺址上の全国文物保護単位碑のところで撮ったものです。ご覧のように、宝墩文化関係の古城は「成都平原史前城址」で統一されて、魚鳧古城遺址の正式名称は「魚鳧村遺址」です。

写真2は、碑の裏側に回り、古城内から城壁遺址を撮ったものです。ここは西城壁遺址に当たり、さらに長く残されていますが、あいにくの雨模様のため、さらに確かめることはしませんでした。

魚鳧古城を離れて、発掘遺物を展示している温江区博物館(四川省成都市温江区文廟街6号)に移動しました。本博物館は文廟の大成殿(1984年の火災で2003年に再建)にあります。地下鉄4号線南黒大道站下車後、A出口からW29路の地鉄南黒大道站で乗車し3停留所目の文廟広場站で下車し、文廟路を行ったところです。写真3は、魚鳧古城遺址出土の陶器片です。

最後の写真4は、石斧等の石器です。壁には「魚鳧村遺址地理位置図」等があります。

(2018.05.02)