2017年10月27日(金)、五丈原(諸葛亮廟博物館)に行ってきました。開館時間は8~18時、入場料35元(65歳以上免除)です。当地は三国時代の蜀の丞相諸葛亮(字孔明)の第5次北伐で軍陣を構えて、死去した地です。なお、西安市・宝鶏市からの最寄り鉄道駅、祭家坡・岐山站(高速電車)からの諸葛亮廟専線バスは現在運行停止中です。従って、現時点では駅からの足はタクシーのみとなります。
最初の写真1は、「五丈原諸葛亮廟」額のある本博物館入口の山門です。

写真2は、献殿です。1799(清嘉慶4)年に建てられたもので、1940年に改修されています。5間3間構造です。左右の壁に伝岳飛筆「前・後出師表」石刻が掲げられています。この表があることは「武侯祠」に共通しています。

写真3は、献殿前の左側にある鼓楼です。1808(清嘉慶13)年に建てられたものです。反対の右側には同年に建てられた鐘楼があり、中には1534(明嘉靖13)年鋳造の鐘があります。

写真4は、八卦亭です。天井部に八卦が描かれています。清代に建てられたものです。

写真5は、正殿です。1335(元至元)年創建で、1940年に改修されています。「英名千古」額が掲げられています。

写真6は、諸葛亮坐像です。清光緒年間の雕塑で各地の「武侯祠」では最も古いものです。左右の壁側には王平像等の4人の像が置かれています。

写真7は、正殿前部にある楊儀像です。蜀軍の文臣として諸葛亮を支え、死後の撤退を成し遂げました。

写真8は、同様な姜維像です。諸葛亮の死後、軍を領導しました。2人は諸葛亮を支えた、文臣と武臣の代表です。なお、正殿の左右手前には「諸葛亮第5次北伐陳列」・「諸葛亮生前展」館があります。

写真9は、最奥の将星園右側の文臣廊の最初の蒋琬像です。諸葛亮の死後、丞相として蜀を領導しました。

写真10は、次に並ぶ費禕像です。蒋琬の後を継いで丞相となります。文臣廊には5人の像があります。

写真11は、将星園左側の武臣廊で、同じく5人がいます。最奥の張翼像です。蜀滅亡の時、劉禅降伏後に魏に反して姜維とともに殺害されます。なお、将星園の中央には落星石が、入口右側には諸葛亮衣冠塚があります。

写真12は、将星園入口の左側の月英殿(諸葛亮妻)です。左右に諸葛喬(兄諸葛瑾子・養嫡子)・諸葛瞻(蜀滅亡の時、父子ともに戦死して殉じます)が侍しています。本殿から戻ると八卦陣があります。

最後の写真13は、山門内の右手にある「三分合一槐」です。三つの枝が再び一つとなっているので、劉備・関羽・張飛の「桃園三結義」を表した槐樹とされています。

なお、フォトアルバム「陝西・五丈原(五丈原諸葛亮博物館)」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngswR-GsNrBwzXEcybAです。
(2017.11.08)