都江堰―成都雑感〔157〕―

 クラブツーリズム主催「〈全日空利用〉九寨溝・黄龍とゾルゲ・達古(タッコ)氷河 北四川省周遊8日間」(2016年7月6日〔水〕~13日〔水〕)に参加して、中国に行ってきました。本ツァーの基本旅程は、

6日(水)ANA直行便成田発成都着 成都泊

7日(木)朝成都発 午前都江堰観光 夕黒水着 黒水泊

8日(金)達古氷河風景区観光 黒水泊

9日(土)朝黒水発 午前黄河九曲第一湾観光 午後花湖観光 若爾蓋(ゾルゲ)泊

10日(日)朝若爾蓋発 午後黄龍観光 九寨溝泊

11日(月)九寨溝観光 九寨溝泊

12日(火)朝九寨溝発 午前松潘城観光 成都泊

13日(水)ANA直行便成都発成田着

です。

 最初の観光地は都江堰です。まずここから紹介します。

 戦国時代後期に蜀を併呑した秦の、蜀郡太守李冰が紀元前256年に建設を開始し、息子の李二郎が完成させたとされるのが潅漑施設の都江堰です。堰で岷江から分水して、成都平原に用水を導き、この地を豊かな土地にして、蜀は「天府の国」と呼ばれるようになりました。しかも、この潅漑施設は補修を続け、基本的に原構造のまま現在も潅漑施設として運用・利用されて、四川省の農業生産を支えています。すなわち、2千年以上も前に建設された潅漑施設が現役で利用されている世界でも希有な例で、このため、2000年に道教の聖地の青城山と共に「青城山・都江堰」として世界文化遺産になりました。

 二王廟の上、秦堰楼入口から入りました。写真1は、秦堰楼から俯瞰したものです。中央が岷江外江(本流=金馬河)の堰堤(ダム)です。これは1974年に完成したものです。この右に突き出ているのが分水堤の魚嘴で、ここで岷江の流れを掘削した内江(灌江)と外江に分離します。魚嘴から左に人口の中州となっています。左に見える橋は安瀾橋で吊橋です。

 写真2は、秦堰楼から下流を俯瞰したものです。中央奥の左への流路口が宝瓶口です。ここから潅漑用水として成都平原に分流して平野を潤うします。この右側、中州と対岸の間は写真では見えませんが、内江と外江は繋がっており、外江側に飛沙堰が設けられて、内江の砂を外江に排出する役目を果たすと同時に、水流調整の役割も果たし、増水期には溢れた水を岷江本流(外江)に戻します。中央に見える建物は二王廟と門です。

 写真3は、二王廟です。殿内に二郎神像(李二郎)が祀られています。なお、都江堰の二王廟以下の建物の大半は2008年5月12日の四川汶川大地震で崩壊しましたが、その基材を可能な限り生かして再建されました。

 写真4は、安瀾橋手前に展示してある竹龍・榪槎の復元です。竹龍は竹で編んで内に石を入れて岸を守ります。榪槎は閉水三脚とも呼ばれ、木で三脚台を作って杭で接続し、水に向かう側に竹を入れて、水量調整や制御を行ないます。作成の簡単で、取り外しも容易で、水理施設として利便性がありました。

 写真5は、中州側から見た安瀾橋です。左上部の建物は秦堰楼です。

 最後の写真6は、魚嘴(分水堤)です。ここで岷江は外江(本流)と内江に分かれます。渇水期には内江6・外江4の割合で、逆に増水期は内江4・外江6の割合で分水されるようになっています。現在はコンクリートで補強しており(以前は竹龍・榪槎を適宜使用)、汶川大地震では特に被害を受けませんでした。

 時間の関係で観光は上流部のみでした。なお、フォトアルバム「都江堰」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpEyz9W016jVR3v47Qです。

(2016.07.15)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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