松潘城―四川雑感〔25〕―

 2016年7月12日(火)午前、成都市に戻る途上、阿壩藏族羌族自治州松潘県城で下車して、松潘城(松州城)観光をしました。松潘城は唐代の618(武德元年)に辺境の第一線として「松州」を設置して、この政庁として築いたものです。当時から商貿易の集散地で、唐とチベットとの交流の場となりました。その後、歴代の王朝でも維持されて、明代に現在の規模となり、松州城内城外廓、瓮城(月城)・女墻(雉諜)・馬面・炮台が整い、觀陽門・延葷門・威遼門・鎮羌門・臨江門・阜清門・小西門と7つの城門があり、松州城墻全長6.2km・幅30m・高12.5mで、レンガ造りです。

 写真1は、北城門(鎮羌門)とこの前に立つ漢藏和親塑像です。本像は、638(貞観12)年に吐蕃王松讚干布(ソンツェンガンフ)が松州城を攻撃した「唐蕃松州之戦」後、641(貞観15)年、唐太宗皇女文成公主が松讚干布に降嫁し両国の和平がなり、この時、松州城を経由してチベットに赴き、この故事により近年設立されたものです。なお、吐蕃国はチベット族の王国で最盛期には現在のチベット自治区・青海省・甘粛省・四川省西部・新疆ウイグル族自治区南部を覆う地域を占めており、公主死後には両国間の戦争はたびたび起こります(吐蕃国の滅亡は877年)。

 写真2は、北城門です。ここから北に道はチベットに通じ、城最大の門です。

 写真3は、城内からの北門です。

 写真4は、城内のメイン通り北街で、ご覧のように羌族のおばあさんが歩いています。当地は、チベット族・羌族・回族・漢族など複数の民族が居住しています(昼食は回族レストランでした)。この通りは近年の城壁改修と共に改修され、古街風(観光化)になっています。

 最後の写真5は、北城門から西に山に沿って延びる城壁で、ご覧のように山部分は跡のみで、山上に望楼が見えます。このように城壁は北・東・南の三方で町を囲み、さらに西に当たる山上にもあります。

 以上で、今回のツァーの旅行記は終わりです。なお、フォトアルバム「四川・松潘城」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngrMx216ZEsuqIEObeAです。

(2016.08.08)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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