箱根への帰り、2014年1月29日午前、小田原城を巡りました。そこで本城を紹介します。室町時代後期、15世紀末に大森氏により築城されたと伝えられ、戦国の後北条氏の関東支配の拠点として、延長約9kmに及ぶ総構を持つ規模の城に発展しました。1590(天正18)年、後北条氏が滅亡して、徳川家康が入部すると、家臣の大久保氏が城主として、現在の地に改修された近世城郭を築き、忠隣改易後、破却されますが、1632(寛永9)年の稲葉氏の入部後、再改修がなされて城は一新します。その後、大久保氏が再度入部し、元禄地震により壊滅的被害を受けて再建し、明治維新に至ります。が、1870(明治3)年に廃城となり、天守閣を始め解体されてしまい、また関東大震災(1923年)で石垣などに甚大な被害を受けました。戦後、城の復興事業が市により行われて、1960(昭和35)年、天守閣が鉄筋コンクリート造りで復興され、以後復興事業が継続されて現在に至っています。
天守閣への順路に従って、紹介します。写真1は、小田原駅東口からの順路に従って小田原城に至ると、最初に見える二の丸東堀です。堀にかかる赤い橋は学橋ですが、この橋は本来の城にかけられたものではありません。後方に隅櫓と二の丸への正門である馬出門が見えています。なお、堀外側の街路樹は桜並木となっています。

写真2は、2009年(平成21)年復元の馬出門と馬出門土橋(めがね橋)です。この門を入ると白壁に囲まれた枡形となり、左に内冠木門をくぐると、馬屋郭となります。

写真3は、馬屋曲輪から見た、1997年(平成9)年復元の銅門(内仕切門・枡形・渡櫓門)と住吉橋です。後方に常盤木門と天守閣が見えています

写真4は、銅門渡櫓門正面と枡形です。左手が内仕切門です。

写真5は、常盤木橋です。これを上ると、1971(昭和46)年復原の常盤木門です。橋の下の東堀の花菖蒲園にはご覧のように梅が植えられてあります。また、斜面には紫陽花が植えられています。

写真6は、常盤木門の渡櫓正面です。多聞櫓とで枡形を構成しています。

写真7は、本丸広場から見た天守閣全景です。天守閣は三層四階で、建物全高27.20m・石垣全高11.50m、延床面積1822㎡です。天守閣入場料は400円(9時~17時)です。

最後の写真8は、後北条氏時代の主部である八幡山古郭(現小田原城の西方丘陵)の東郭跡から見た天守閣です。ここから写真でも分かるように、天守閣越しに相模湾が見えます。東郭跡は発掘調査後、公園化して保存されています。

なお、フォトアルバム「小田原城」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkdgV5r8V9gf-XnEQです。
(2014.01.30)