漢旺鎮地震遺址―四川雑感〔18〕―

 徳陽市綿竹市(死者1,1098人)は、2008年5月12日の四川汶川大地震で、震源地の阿壩藏族羌族自治州汶川県(死者1,5941人)、震源断層が通った綿陽市北川羌族自治県(死者8605人)と並んで、最も被害を被った地区です。この市内で最大の被害を受けたのが市人民政府所在地の剣南鎮(銘酒剣南酒の産地)から北北西約12kmに位置する漢旺鎮です。鎮の北約30kmに震源断層が起こりました。人口約5万3千人の本鎮では、蒸気タービンの三大生産地の街(鎮人民政府所在地)が地震により犠牲者千人以上を出し、建物も甚大な被害を受け、北川県城(曲山鎮)と同様に、旧地を放棄し、新地に街を再建しました。そして、旧地はそのまま地震遺址として保存しました。記念植樹に続いて、午後はそこを見学しましたので、これを紹介します。

 写真1は、鎮人民政府の址です。門を残し建物はありません。さらに道を北に進むと、両側のビルは多くそのまま建っていますが、全て地震により壁などが崩壊・破損して、満足な建物は一つとしてありません。

 建物が切れ、原が両側に広がるところに来ます。しかし、ここは元々の原ではなく、瓦礫の山に草が生え原となった所です。ここらの建物は崩壊したことになります。その道端に15人の犠牲者を慰霊する追悼碑が建てられています。犠牲者の親族によるものでしょう。これが写真2です。昨年の地震3周年に建てられたものでしょう。もしかすると、まだ犠牲者がこの下に眠っているのかもしれません。

 写真3は、さらに進み、先の原を振り返ったところです。

 写真4は、柱の一部を除き崩壊した建物越しに北へと山寄を撮ったものです。ご覧のように、本鎮は山から綿遠河が平野部に出るところに位置しています。山が街にせまっていることがお分かりでしょう。

 最後の写真5は、「断層楼遺址」です。すなわち、四川電力金魚嘴電力工場アパートの1階が崩壊し、2階が1階にずり落ちたものです。ここには中英日韓の4か国語の説明版あります。このように遺址は案内板など見学のための整備を進めています。

 なお、フォトアルバム「記念植樹と漢旺鎮地震遺址」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpk2hO1tzSBeb6q3ngです。

(2012.03.12)

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About kanazawa45

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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