「源義経は名将か?否-歴史雑感(1)-」は、一谷合戦の途中まで書いてきました。続きをお待ちかねかと思います。しかし、 一谷の現在地比定に関して、問題検討が不可欠となりました。これには、現在、神戸市須磨区と兵庫区との、大きく2説があります。この間は6キロ以上も離れており、当然ながら、いわゆる義経の「鵯越」「奇襲」の位置も違ってくるわけです。
そこで、一谷の現在地比定の考察を行うことにしました。しかし、手持ちの史料だけで、それを行わなければなりません。これには、特に、地誌関係の資料が欠けており、十分にできるかどうかわかりません。
したがって、当分の間、本稿を休止します。
手持ちの史料で解決できたら、でき次第、改稿を載せます。できなければ、7月の夏休み帰国後となります。